phase:10『最初の感染者は学園に着く』


 恐れていた夜間襲撃もなく、無事に朝を迎えた。嵐の前の静けさ。そんな言葉が最も適しているような平穏に不安を掻き立てられながら、旅立ちの用意を着々と済ませている。


 必要な物の選別。淡々と、そして粛々と行われる作業。頭を回転させ最低限の重量に抑える努力を惜しまない。


「これは、置いていけばいいか」


 胡座をかいている俺は要らないと判断したものを不要品袋に詰めていく。無くても困らないもの。後から簡単に調達可能なもの。そんな基準で選別をする。


 日が昇ってから間もない時間。薄明かるい室内でブツブツと何かを1人呟いている男。この図は危険な香りしかしないな。


 客観的に考えて酷い絵面なのを悟りながら、手は止めない。


「まだ二人は寝ているし、声は抑えるかな……」


 ボソリと口の中で呟く。二人と言うのは美咲ちゃんとかんなちゃんの事だ。凜は俺の指示を守り夜の間一睡もしていない。かく言う俺も浅い眠りで、物音がすれば直ぐに臨戦態勢が取れるようなものだったが。それでも体を休めれたので少しは疲れが落ちている。


 なんだかんだ女性組は神経が図太いのだと思う。それは美点であり、欠点でもあるのだけど……

 それをとやかく言うつもりはない。今は体を休めるのが最優先だったのだから、どちらかと言えば俺の方が悪い。


「銃の調整も必要だな」


 命を預ける武器なのだ。やり過ぎな位がちょうど良い。

 何処で仕入れた情報か分からない、脳内の記憶を頼りに銃の具合を確かめながら、俺は欠伸を1つ大きくついた。


「仁様」


 いきなり後ろから声が掛かる。声と呼び方から間違いなく凛。突然で内心ドキッと心臓が大きく一回脈動したが、それは察せられないように仏頂面で押し隠した。


「なんだ?」


 声が震えないように、ゆっくりとその三文字を発音する。


「予定の時刻になりましたので、差し出がましいかもしれませんがお伝え致しました」


「そうか、ありがとう。助かったよ」


 腕時計を確認する。確かに俺が予め凛に言っておいた時間ピッタリだった。全く気付かなかったのでお礼を口にする。


「勿体ないお言葉です」


 気持ちを伝えて箍が外れたのか、前にも増して丁寧な対応をするようになった凛。流石にこれはへりくだり過ぎてるような、そんな印象だ。人によっては対等な関係を望む者もいる。年齢の差を壁にしたくないなんて考えだ。

 例えで挙げるなら、学校などかな。経験がある人は少なからずいるだろう。相手からか、自分からかはこの際抜きにして。


「あー、敬語じゃなくてタメ口でいいよ」


 みたいな事だ。因みにこれも受け手による。このような発言をする先輩も嫌われる場合があるから要注意なのだ。つまり、初対面の人間には不必要な発言はせず、時間が経ち、相手側の意思を汲んで対応するのが一番だと言えよう。


 などと例えを用いて長たらしく説明をしたが、俺の結論を述べると別にどうでもいい。だ。それが実害をもたらすものや、後々明確に不利益になりそうなものでない限りは、好きにしてくれて良い。


 さっきまでの熱弁は何処にいったのか。個人差があると最初に言ったから問題はないだろ。と、政治家の言い逃れみたいな発言をしてこの思考は終わりにしよう。


 おおよそ準備も整った。移動の時間も来たらしいし、二人を起こして簡単な朝食を取りながら移動に移るか。


 重くなった腰を持ち上げ俺は二人が寝ている部屋に行く。ドアノブを捻り普通に部屋へと入ったのは良いが……

 スゥスゥと可愛く寝息をたてている女の子を見て男が思う事は1つ。


 ──イタズラでもしてみるか。顔に落書きはベタすぎる、かな?


 真っ先に思った事がそれとは、俺は少年の日の心をまだ忘れてなかったんだな。なんて、自分に呆れながら感心し、直ぐに考えを改める。

 こんな所で時間を使っている場合ではないのだ。自ら進んで脱線し、自ら修正するとは、一体何がしたいのか意味不明なのも良いとこだが、気分が少し軽くなったのは気のせいでは無いだろう。


「お前ら、そろそろ起きろよ」


 枕元にずっと立っていても遅刻した幽霊のようになるだけなので、しゃがんで美咲ちゃんとかんなちゃんの肩を揺すり夢から現実へ連れ戻す。


「……うぅ、あと──」


「5分は無しだぞ」


 言いそうな内容を予測し先手を打つ。それにしても、これまた王道だな。


「ほら、起きろ。悠長にしてる暇はないんだぞ」


 俺は美咲ちゃんから布団を剥ぎ取り無理矢理に起こす。


「さ、寒いです!」


 そりゃあ、暖を溜め込んでいた防衛ラインを取っ払ったからな。至極当然の結果だろう。


「だったら動くことだな。そうすれば寒さも忘れる」


 鬼畜な意見を押し付けながら、まだ夢現に目を擦ってるかんなちゃんの服を着替えさせようとして──


「それは私がやります!」


 ──と、止められる。起きたばかりで、これほど機敏に動けれるのであれば心配はないな。


「じゃあ、さっさとしてくれよ」


 俺は部屋を後にする。力技だがこれで直ぐに準備も整うはずだ。


「凛」


「はい、お呼びですか?」


「纏めた物を車に詰め込む。手伝ってくれ」


「分かりました」


 何が嬉しいのか目を爛々と輝かせながら凛は応える。

 無条件の信頼は重くのし掛かるな。凛の場合は失敗しても見限られる心配がないから、幾分マシな方だけど。


 失敗を恐れるのは、人に呆れられのが怖いから。これはかなり大きい。会社などでは上役になればなるほど、責任などと同じくらいの割合でこれが負荷を掛けてくる。


 人と言うのは無意識か意識的にか人からの信頼を失うのに恐怖する。それは単純に生きにくくなるってのもあるだろうが、自分の感情が起因している事が多い。



 先程も言ったが凛は俺を信頼し期待することはあっても失望する事はない。どんな失態を犯しても全幅の信頼を変わらず置いてくれるだろう。それも、困ったものだ。

 人から向けられる感情を重圧に思った経験がないから、なんとも言えないけど。


 俺は多くの人に当てはまる事を言うが、大概自分はそれから外れている。そこから導き出されるのは自分が圧倒的少数派に属している、紛れもない真実。


 この世の中は多数決だ。これをした時、少数意見も尊重するべきだ。なんて意見は少数派が出した幻想に過ぎない。多い方が強く、多い方が正義。少ないものは多いものに捩じ伏せられて終わり。それが世の常なのだから。


「仁様」


「ん? なんだ?」


「荷物の運搬、完了しました」


 ちょっと手伝ってもらうだけの心積もりだったのに、俺が考え事をしている間に終わらせてしまったようだ。


「そ、そうか。それはご苦労」


 ぞんざいな対応になってしまったのは一時思考停止したからなので許してほしい。なんて誰にしてるのか不明な言い訳をしながら、美咲ちゃんとかんなちゃんを待つことにした。


「お待たせしました」


 しばらくすると服を着替えた美咲ちゃんとかんなちゃんが出てきた。俺は吸っていた煙草を地面に落とし足で踏んで消す。


 彼女達の私物は昨日のうちに荷造りを済ませていたらしく、大きめのリュックを背負っている。


「車に乗れ。直ぐに出発する」


 俺はコートを靡かせながら振り返らず歩き、用意しておいた車の運転席へ乗車した。


 助手席には美咲ちゃんが、後部座席には凛とかんなちゃんが乗った。


 ゾンビは彷徨いているが、俺や凛を目掛けて襲ってくる気配はなかった。昨日の事が嘘のようだ。


 不信感を抱きながら、緩やかにアクセルを踏み発車した。




 ──エンジン音をBGMに襲われる事もなく、平穏無事にドライブを続けている。


光風こうふ学園ってのはそう遠くないんだったよな?」


「はい。ですが、使える道が少なくなっているので遠回りになっています。それが影響して時間が掛かりますね」


 危険を避けると時間は必要になる。あまり時間を使うと、それはそれで危険なのだけど。急がば回れとは言うが……状況によっては考えものだな。


 ハンドルを切り、右折しながら周囲へ気を配る。こう知らぬ間に底無し沼に嵌まっているような、なんとも形容しがたい感覚に支配されていく。


 昨日の襲撃は誰かが明確に意思を持ち、行ったのだろう。そして、その犯人にも見当がついている。だが、深い闇に包まれ姿の一部しか掴めてないのが現状。全貌が分からない。

 俺とは関係のない所で、俺を巻き込んだ物語が動いている。そんな陰謀説にも似た仮説を立てながら、俺は息を大きく一回吐き出し、目をギュッと瞑り、見開く。


 悪意を持ってやって来るものには慈悲を与えず、さらに強い凶悪で制す。


「仁さん」


 少し怯えた声が横から聞こえる。そちらに目を向けると、彼女からヒッと声が漏れた。


「どうかしたか?」


「いえ、あの……怖い顔をしてたので……」


 心の中に溜めた悪が表面に浮き出てしまったらしい。軽く謝る。


 視線を車外に戻した時、タイミング良く目の前に何かが飛び出してきた。


 俺は慌ててハンドルを切る。


 ──なんて滑稽な真似はせず、そのまま撥ね飛ばした。


 グシャと、衝撃。美咲ちゃんは突然の出来事に短く悲鳴をあげ、理解が追い付かないかんなちゃんは固まっていた。凛は変わらず無表情。


「な、なんで轢いたんですか?!」


「そっちの方が皆が安全だから」


 美咲ちゃんの問いに、簡潔に答える。


 人間は突然目の前に何が現れた時。咄嗟に避けようとする。それは、自転車やバイク、車に乗っている時も例外ではない。


 だが、教習所などで教えられるかもしれないが、もし何が飛び出してきた時。避けようとせず構わず轢けと。そちらの方が自分は安全だし、後の事は後で考えろと。


 無理に避けようとすれば、被害が大きくなるかもしれない。殆んどの場合大きくなるだろう。


 今なんて避ける選択肢はもとよりなかった。ここで下手にその選択をすれば皆死んでいたかもしれない。


 そんな考えが分かったのか、美咲ちゃんはそれ以上何も言ってこない。


 この世界で命の危険を顧みず飛び出してくるのなんてゾンビと決まっているしな。いよいよ避ける理由が見つからない。


 俺が跳ねたのは案の定ゾンビだったようだし……とりあえず、するべきは。


「ちょっと飛ばすぞ。どっかに掴まって注意しとけ!」


 俺はアクセルをベタ踏みする。


 何処からか湧き出したゾンビを振り切る。スピードを落としカーブ。狭い道を使い撹乱。


 まるで待ち伏せしていたような。いや、まるでではないか。恐らく待たれていた。なんで行き先が分かったのかは不明だけどな。


 後ろから足音が聞こえる。車に足で追い付こうとは、つくづく化け物だな。まぁ、人ではない、過去に人だったものだからな。


 狭い道を抜け、大きな道へ出る。


 すると、正面に待ち受けていたのは、一匹のゾンビだった。


 このまま轢くしかないな。俺は再度アクセルを踏みスピードを上げる。ゾンビとの距離が急速に縮まる。互いが同時に中心へと吸い込まれてるのかと錯覚するほどに。


 3、2、1──ぶつかる!


 そう思い反射的に目を瞑った。だが、衝撃は来なかった。ゾンビが俺達の乗っている車を華麗に飛び越えたからだ。


「はぁ!?」


 驚きで声が漏れる。圧倒的に他の個体とスペックが違う。あんなもんに襲われたらひとたまりもないぞ。


 だが、そんな心配は杞憂に終わる。俺達の車を避けたゾンビは、追い掛けてきていたゾンビ達の方へ駆け出した。


「「「え?」」」


 三人分の疑問がピッタリ重なった──



「味方……だったのか?」


「そうなんじゃ無いでしょうか?」


「…………」


 俺は推測し、それを美咲ちゃんが肯定し、かんなちゃんは沈黙している。凛は変わらず無表情。


「一時的に危機は去ったと考えてもよさそうだな」


 フゥ、と息を吐き安堵する。一般的なスピードを保ち移動は続けているが。


「煙草が吸いたくなったな」


 俺は胸ポケットから煙草を出して、火を付ける。


 一服しながら、疲れた頭を休めていると。


「あ、もう着きますよ!」


 と、美咲ちゃんが言う。


 やっと光風学園到着か。無駄に長く感じたな。目の前に見えるのがそれなのだろう。確かにデカイ建物だ。



 ──俺は門の前に車を堂々と駐車した。


 それは良いのだが……何故か門が開いている。


「これは期待して良いのか。怪しいな」


 まるで歓迎されているようだ。このまま正直に誘われても良いのか悩ましい所だが。迷っても仕方ないだろう。


「凛はここで待機。車を守ってくれ」


「分かりました。仁様」


「美咲ちゃんとかんなちゃんは俺と一緒に中へ入るぞ」


 母校に帰れた美咲ちゃんは期待に満ちて見るからに明るい表情。それとは対照的に影を落とすかんなちゃん。二人とも首を一度縦に振り俺に着いてきてくれる。


 かんなちゃんは俺の服の裾を持っている。これは単純な怖さってより、死を予期しているように思える。


 確かに一歩近づくだけで、不穏な空気は濃くなる。


 そんなものを感じていないであろうThe 能天気。美咲ちゃんは笑顔だ。


 正面玄関から入るのはあまりに不用心だと考え、裏から侵入する。その為には回り込まないといけない。


 グルッと大きく校舎の後ろ側に回る。


 監獄のようなこの学校は、中の様子が全く把握できない。小さな裏口の扉を開ける。慎重に……ゆっくりと……



──全て開ききった時。暗い校舎の中から、一筋の風が傍らを通り抜けた。


 後方で重々しい落下音。聞き覚えるのある、音。これは──



 背後に目をやったとき。そこにあったのは、首から上の無くなった美咲ちゃんの体と、地面を転がる、彼女の頭だった──


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