phase:9『最初の感染者は動き出す』
「さて、ゾンビの群れに襲撃された訳なのだが。俺はこれで終わりだと思ってはいない。何か、不吉な事の始まりだとすら思っているほどだ。このままここに留まっていると危険なのは確実だろう」
不安になるような発言を包み隠さず告げる。無用な不安感を植え付けるのは愚行だが、これは必要な緊張だ。
──もう少ししたら夜になる。移動するのは明日の方が良いのかな。闇に紛れて行動するのは有力な候補ではある。俺は夜目が利くのも分かってるし、安易に動きたくなる気持ちもある。今、行動すれば状況が好転する。……それはまた違うのだ。
しっかりと好機を見極め、それを掴み逃さないようにするのが最も頭が良い。
ここで動いてしまえば遠距離から攻撃されるかもしれない。大人数に囲まれるかもしれない。可能性を上げればキリがない。
それならば一晩はここに留まった方が良いだろう。火を放たれる等のありそうで怖い戦略を取られるのは仕方ないと割り切る。それを差し引いてもここに立て籠るのにはメリットがあるのだ。
総合して籠城戦を取るのが得策だと言える。
「…………」
かんなちゃんは終始無言を突き通す方向で意思を固めている。推測や仮説を用いて現状の把握は大方済ませていたはずだが。それでもその幼い脳は心と一致してはおらず、真実を受け止めきれていない。そんな所だ。
声を掛けるべきではない。彼女は賢い子だ。真実が分かり、そこからさらに仮説を立てると、最悪の結論に行き着くのは目に見えている。だけど、そんな時にするべき行動を誤るほど愚かではない。俺はそう信じている。
「銃の確保が昼の内に出来ていて良かった。これは幸運だな」
話を逸らすためにそうおどけてみせた。万が一、昼間に俺が感じた違和感に勘づかれでもしたら、無意味に不安を持たせてしまう。それは避けたい。
「そうですね。でも仁さんですから。あまり驚きはないですね」
美咲ちゃんはそう言って笑った。数日の付き合いで俺を良くも悪くも高めに評価してくれてるようだ。
自分に見合わない過大な評価は勘弁願いたいけど。過小な評価もよろしくないが。適切な、見合った評価でないと、目が雲ってしまう。
誤判断を生み出しやすくなる。そんな簡単で単純なものこそが大きなミスをつくるからな。審美眼はいつでも磨いておかないと、だな。
「明日は移動しよう。それもかなり早朝に。だから、安心して寝れなかった、なんて事にはならないように」
見張りには凛をつける。ゾンビである彼は不眠不休で活動が可能だからだ。コンディションにバラつきがないのは素直に羨ましい。人間ってのはどうしても、その日の様々な条件で動きのキレが左右されるからな。
話し合いのような近況報告。これからの動きを話して、それぞれ別の部屋に行ったりする。かんなちゃんと美咲ちゃんは食事を用意するらしい。不安はあるようだが、それ以上に俺や皆が居るのに安心して、二人ともいつも通りに振る舞っている。
俺と凜の男組は料理を任せ、風呂に入る。これでも最前線で戦闘を繰り広げたからな。汗も掻いている。
しっかり汗を流したいものだ。服を脱ぎタオルを持って、汗を軽く流してから湯船に浸かった。
「ふぅー」
自然と声が洩れた。良い湯加減だ。気持ちが良い。
腕を上に伸ばしてから、凛を見る。会話がないと気まずいからな。
──それにしても、凛の事で少し不思議に思った。湯船の中からシャワーで汗を流してた後、体を洗っている彼を観察しながら、話しかける。
「凜は腐敗とか侵攻しないんだな」
俺は彼の体を舐めるように上から下まで見ている。はっきり言って変態っぽい。──違うからな。
「僕の体は一般のゾンビと比べ、少し特殊なようですね」
流暢に受け答え出来るようになったものだ。学習能力と言うよりは生前の自分。本来が戻ってきたってのが正しそうだな。
そして彼が言ったことは確かにその通りだった。彼は元々特別だったのだ。時間の経過で体が朽ち果てるゾンビでも、彼と比べるのは間違いだろう。
彼はどちらかと言えば人に近いのだから。
「そうだな。それのおかげで何かと助けられてる。これからも頑張ってくれよ」
俺の言葉にあり得ないものを見たかのような感じで、大袈裟に目を見開く凛。
「俺が感謝するのはおかしいか? あぁ、思い返せば変に思えるか。でも、これでも感情はあるんだぞ? 感謝くらいするさ。──ありがとうな、凛」
俺の言動を思い返せば、人間味に欠け、冷たいなとも思った。だが、合理性を突き詰めればそうもなる。仕方ない事だが、これからを円滑に進めるならばこう言った気配りも大切だと考えたまでだ。
「僕も仁様と出会えて良かったです」
凜は初めて俺の名前を呼んで、そして微笑んだ。
「様付けってのは慣れないなぁ~。まぁ好きなように呼んでよ」
俺は照れ笑いを浮かべながら、寛容に対応した。美咲ちゃんには名前呼びを強要したのに、凛には甘いな。なんて思われるかもしれない。だけど、これは関係性の問題である。関係が違えば呼び方も変わるのは、常識だろ?
そんな常識ですら欠如してしまっている若者ってのは、この世の中溢れかえっているようだけど。
「仁様は僕の主ですから……!」
そんな事を思われていたのかと、知る。誰がそんな入れ知恵をしたのか。俺が指示したのではないから、自己判断ではなく、第三者の意思だと考えよう。恐らくだけど。
「そう言われると悪い気はしないよ。誰かに慕われるのを良く思わない奴はそうそういないからね」
俺の単純な脳味噌は気分が良くなった事で、凛に対して何かしてあげたくなったようだ。
「背中でも流そうかな」
俺はそう宣言したのち、湯船から出て凛の背中を流してやる。
「痛くないか?」
「はい、丁度いいです」
「そうか、ならいい」
そこから他愛もない世間話や、生前の凛の話をしながら、ゆったりと時間は流れる。
「ほい、終わりっと」
「ありがとうございます」
「お礼はいいよ。俺が勝手にやっただけだし」
俺はついでに頭も洗ってやる。案外、人に何かを施すのは好きなのかもしれない。自分の意外な一面を発掘してしまった。
お湯で綺麗にして、全て終わらせる。うん、満足な出来だな。
「今度は僕が仁様を洗いますよ」
凛がそんな嬉しい事を言ってくれる。俺はその好意に甘える事にした。
「そうか、じゃあ頼もうかな」
凛と位置を入れ替わり、為すがままになる。こうなると、まるで家族のようで心が落ち着く。
「はぁ~」
疲れが抜け落ちていく。声になって漏れだした。
「大丈夫ですか?」
「あぁ。気持ち良くて声が出ただけだよ」
真剣に心配する凛に苦笑する。そんな大真面目じゃなくてもいいな。なんて思う。
「そうですか」
返しは素っ気ないが、背中越しに照れているのが伝わって来る。
──男二人で風呂を楽しんだ。大変な事態に陥った後とは思えないほど、楽しんだ。こんな時だからこそ、ってのもあるな。
「お、もう夕食準備できてたのか」
タオルを首に掛け、湯から上がったばかりのおっさん然とした俺はキッチンのテーブルに用意された少し豪華な料理を目にした。
……おっさん然てか、まんまおっさんだな。なんか自分を若く見積もったみたいで、申し訳ない。
「随分と長湯でしたね。料理が冷めてしまうと思って、もう少しで呼ぶところでしたよ」
「そうか、それはすまないな」
料理はやはり出来立てが美味しいからな。
今日のメインは肉料理のようだし、尚更だろう。
「じんおにいちゃん! わたしもてつだったんだよ~」
「そうなのか。それは凄いなー」
「そうなの~。だからほめて~」
「あぁ、凄いぞ! 流石かんなちゃんだ!」
「えへへ~」
まだまだ構って欲しい年頃。頭を撫でられ喜んでいる姿を見ると、自然と笑みが溢れる。子供ってのは不思議な生き物だ。
椅子を引き、腰掛ける。皆もテーブルを囲むようにそれぞれの席についた。
「それじゃあ、いただきます」
胸の前で手を合わせ挨拶をする。俺に続いて各々が挨拶をしてから、箸を持ち自分に用意されている料理をつつき始める。
「それ、使い終わったら貸して」
美咲ちゃんにドレッシングを要求する。意外にも食の好みは似ているようで、味覚も近い。好きなドレッシングも同じだったのだ。
「えぇ、良いですよ」
少量、野菜にかけてからキャップを付けずに手渡してくれる。俺はそれを受け取り皿に盛られた野菜にかけた。たっぷりと浸るくらいに。使い終わったものは手元に置かれていたキャップを付けてから、元あった場所に戻す。凛とかんなちゃんは別のドレッシングを好んでいる。
先に野菜を食べ、次にメインへ移る。腐るのが早い食品は腐る前に消費してしまいたい。そんな理由と、ここを離れるのが被さって豪勢な料理を口に出来るのならば、それも良いものだな。
肉汁たっぷりの厚いステーキ。ナイフなどは一切使用せず、そのままかぶりつく。
「うん、美味い!」
素材の良さを十全に発揮していた。味を決して損ねないように、邪魔をしないように塩コショウで風味が整えられている。
1人1枚与えられているステーキも、十分にメインを張れるのだが。その他にも食べきれないほどの品数が大皿で用意されている。
暗に俺と凛がどれだけ長い事風呂に入っていたのか証明されている。これはもう下衆の勘繰りが働いてもおかしくないレベルだ。
「これだけ上手に料理を作れるとお嫁さんとして引く手数多だろうな」
世辞を抜きにして心からそう思った。何なら俺が貰いたい程だ。こんなご時世でなければ、だが。
「そ、そんな事ないですよ!」
照れながら、否定してくる美咲ちゃん。頬が緩んで口角が上がっているのを抑えきれていない。まさか、俺からそんな褒め方をされるとは、想像もしていなかったのだろう。
「わたしは~?」
かんなちゃんが自己主張してくる。彼女もどの程度かは分からないが手伝っているらしいからな。
「かんなちゃんも将来は美人さんになるだろうし、モテモテだろうなぁ」
現状でも片鱗を見せているからな。知的で品位のある、美しい女性になるのは間違いない。
「じんおにいちゃんがおよめさんにしてくれるの?」
驚きの発言に、それはかんなちゃんが大人になって、その気持ちが変わらなかったらかな? なんて適当にはぐらかしておく。俺への好感度は意識の外で急上昇していたらしい。
まさか、結婚の話題を振られるとは思ってもみなかった。
こんな時に考えられる話ではないな。なんて思考に区切りをつける。
腹を満たして英気を蓄える。これからは俺も精神を研ぎ澄まさなければ何が起こるか予測がつかないからな。
和気あいあいとした夕食も終わり片付けは俺と凛が請け負った。その間に二人は風呂に入るようだ。女の人は長風呂な場合が多い。個人差はあるけど。
キッチンに立ち並んで食器を洗う。ゾンビともなると手荒れとかは気にならないのだろうな。……もしかしたら、逆なのかも。そんな、どうでも良い事を考えながら、次々に洗剤付きのスポンジで汚れを落としていく。
それを凛に手渡す水で泡を落とし、食洗機に置く。流れ作業を繰り返し全てなくなす。
「ふぅ、完了だな」
最後に自分の手を綺麗にして、タオルで拭いてから一息つく。
「俺はちょっと煙草を吸ってくるから、凜は適当に寛いでてくれ」
「はい、分かりました」
俺はポケットの煙草とライターを取り出しながら、ベランダへ向かう……
外に出て煙草を吸うのは無用心過ぎるかな? 俺は考え直し、屋上へ向かった。
このマンションは高層で、ここより高い所は限られている。凄腕のスナイパーでも居ないと、屋上への攻撃は不可能だ。
エレベーターを使い昇る。
屋上の扉を開けると、冷たい夜風が俺の傍らを吹き抜けた。
服を着こんでくるんだった。と、遅めの後悔をする。
少し震える手で煙草に火をつけ、軽くふかした。
「はぁ、憂鬱だな」
これからの苦労を思うと愚痴の1つも言いたくなる。
「今更、見捨てるぐらいなら育てた方が幾分マシだよな」
合理的に考え、下した決断はそれだった。感情の入る余地はあるようで、自分の意識も介入しているが、これが最善だと言えよう。
「突然現れた俺を襲うゾンビ……か」
ガソリンスタンド付近で感じた違和感。嫌な気配。予知にも似た何が関係しているのは疑いようがなかった。
「不気味だよな~」
煙を大きく吸い込み吐き出す。白いそれは、夜の闇に溶け込み消える。
「厄介でもある。正体が不明なものは勘弁して欲しい」
人は目に見えない幽霊や夜などの暗闇を怖がるのは、自分では把握しきれない何かを怖がるからだ。だから、人間は光を求めた。科学を追求し幽霊の正体に理解を求めた。
「光を探すか……」
今の俺が夜目の利くように、安全を求めて皆を導かないといけないな。とりあえず、今日は休んで。明日には光風学園に行かないと。生存者がいれば現状も少しは好転するだろう。囮が増えるからな。
集団心理は怖いけど。陥る前に離脱は前提だろ。俺、上手く説明できるかな。てか、生存者がいないと話にならないけど。疚しい気持ちはあれど、行動に移してないから大丈夫、かな?
「頭が痛いな」
責任の重さに、俺は煙草の煙とは違う白い息を満天の星が煌めく寒空に深々と吐き出した──
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