phase:7『最初の感染者は嵐のように過ぎ去る』

「随分とぶかぶかな服を着てるな」


 何処がとはあえて言わないが、特定の一部分に余裕を持った装いをしていた美咲ちゃんを見ながら、女性へのデリカシーなんて欠けるどころか欠片もない俺は発言した。


「それは……!」


彼女は言葉を詰まらせる。


「おかあさんは、すたいるがよかったから!」


 かんなちゃんの自慢の要素が多大に含まれたそれは美咲ちゃんの胸を見事に抉った。精神的にも、そして物理的にも。


 美咲ちゃんはどうやら、かんなちゃんの母親の服を身に纏っていたようだ。垂れる彼女の肩にそっと手を置き、無言で慰める。こんな時くらい慈悲は必要だろう。子供の無邪気は、悪意などがない分鋭利に心へ刺さるのだ。これでまた俺は一つ賢くなれた。早朝に一人へ大きな人的被害を出しながら。


 昨日は皆で並んで寝ていたのだが、それをしたせいでこんな悲惨な事件が起こるとは。遅かれ速かれ、なっていたとは思うけど。主に俺が発端で。あんな不注意な発言をするのは俺しかいない。なんて、自己分析をしながら歯を磨く。歯ブラシは昨日のうちに買っておいた。使い捨てのやつなんで上等なものでは勿論ない。


 何故、それぞれ寝床があるのに、一緒に固まって寝たのか。まず、前提にかんなちゃんの体調を考え、ベットで寝てもらうつもりでいた。だが、バラバラになったら、もしもの時危険だ。美咲ちゃんとかんなちゃんが。俺と凛はこの際、除外する。人間相手でも性別の問題があるからな。まぁ、人の性癖なんて、それこそ人それぞれ千差万別なのだが。


 でも、ここで皆で寝る事となったのは一重にかんなちゃんが、


「おにいちゃんたちといっしょにねたい」


 と、言ったからだ。これが無かったら自らの思考に従っていた。彼女も不安なのだろう。可哀想に思った俺は皆で就寝するのを選んだ。


 そんなわけで、無事事件発生。今に至る。と、そんな感じなのだが。


 今日の行動の予定について話し合うのが大切だろう。俺はふと思い歯磨きを終え朝食の後片付けが終了したの見計らい畳が敷き詰められた、つまり和室に全員を集めた。


「今日はどうしようか?」


 俺は話を切り出した。三人の視線が集まりそしてすぐ何かを考えるように俯いた。かんなちゃんだけ他の二人に合わせたようだった。


「あ、かんなちゃんは今日も昨日と変わらず、安静にしててね。君が優先すべきは療養だ。体が健康じゃないと心の健康が保たれないからね」


 俺はなるべく優しく言う。彼女の昨日の言葉は体調が優れないことからも来たのだろうと推測した。そこから俺はこんな余計な事を言ってしまったのだが。


「うん!」


 かんなちゃんは笑顔で頷いた。どうやら病気も快方に向かったいるようだ。明日にも治っているかもな。俺はそう考えながら、彼女をベットに連れて行き、戻って来た。さっき俺が座っていた場所に腰かけ美咲ちゃんが淹れてくれていたお茶を飲みながら今度は彼女の方に顔を向ける。


「美咲ちゃんの本日の予定は?」


 俺は問いかける。言っても良いのかと躊躇っている様子なので、気が変わる前に先手を打ったのだ。


「私は替えの服とかこれから必要そうなものを取りに行こうかな、と……」


 それは間違いなく単独では不可能な行動だ。だから話すのを躊躇ったのだろう。


「一人で行くのか?」


 意地悪な質問をする。彼女は言葉に困り顔を伏せてしまう。


「嘘だよ。流石に俺でもそんな鬼みたいな事は言わないよ」


 美咲ちゃんは顔を上げた。それを確認して畳み掛けるように言葉を重ねる。


「行ってきてもいいよ。一人じゃなく凛を同行させる。でもそれを許すためには一つやって貰いたい事がある」


「な、なんですか?」


 おずおずと彼女は聞いてくる。どんな無茶を提案されるのか怯えているように見える。


「なにも難しいことじゃないよ。ただ一体でもいいからゾンビを倒してきて欲しんだ」


「え?」


 彼女は固まった。え? と言いたいのはこっちなのだが……


「だからゾンビを倒してきて欲しんだ」


「それは、聞こえてますけど……」


 言葉を失う。それが似合う感じで見るからに戸惑う美咲ちゃん。やはりまだ彼女には難しのかもしれない。彼女に限らずとも一般的な感性を持った、普通の一般人には心の準備が必要だろう。もしかしたら、それに時間を有しても無理なのかもしれない。でも、そんな悠長にしている時間もない。覚悟のないものは死あるのみの、くそったれな世界だから。


「これは君の為でもあるんだ。もし俺や凛が居なくなった時、君はどうする? 生きれるのか? そんな時に備え今の内から練習しとかないと」


 これは一応本音が含まれている。正確には美咲ちゃんの心配というよりはかんなちゃんの心配である。そして、単純な戦力強化の意味合いもある。


「……そうですけど」


「無理はしなくていいんだ。危なければ凛が守ってくれる」


 凛の方を見ると、彼は何を言うのでもなく、ただ静かに頷いた。多くを語る奴より信頼できるタイプだな。


「……分かりました」


 悩んだ末に彼女は結論を出した。まぁ、そうなるとは思っていたよ。


 これで、終わりだな。


「それじゃあ凛と美咲ちゃんは一緒に行動するように。俺は単独で動く」


 そう言って立ち上がる。部屋を出るときに凛を呼び、美咲ちゃんに聞こえないように耳元で指示をしておいた。



 ──今日すべきは周囲の探索。ついでに本格的に移動用や用途別の車を見つけるのと、さらに加えてするとなれば拠点を築かないといけない。

 これからやらないといけない課題は山積みである。自分の事も分かっていないような、こんな環境で。俺の過去を知っていそうな女性の手がかりもない。


 俺は車を運転しながら、落ちそうな灰を窓から外に落とす。

 これからは倹約して煙草も吸わないとな。あと、かんなちゃんの前とかでは吸わないようにしないと。環境の変化で、取らねばならない行動も変わってくる。


 気構えも重要になってくるな。考えながらハンドルを右にきる。


 百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かず。百行は一果に如かず。百果は一幸に如かず。


 有名な百聞は一見に如かずと言う言葉の続きとして挙げられる故事ことわざ。

 人に何回も聞くより、一度自分で見る。そちらの方が確実である。

 そして、何回も見るだけではなく、考える。

 考えた後は行動に移す。だけど、それだけでは駄目だと。

 行った物は成果に結び付かないとその意味をなさない。

 最終的に成果は、誰かの幸せに繋がらないといけない。


 美咲ちゃんや凛に聞いたりするよりも、ナビなどで見るよりも、実際に走っているのは幸せの為の下準備なのだ。


 俺はハンドルを左にきった。灰がまた窓の外に落ちた。



 ──ガソリンを速めに確保しないといけない。それに気付いたのは単に車の燃料切れが迫っていたから。


 そうか。そちらの確保がまだだったな。


 俺はガソリンスタンドを目指して走っていた。


 一人エンジン音を聞きながら会話も無しだと寂しいな。なんだかんだ言って誰かと話している時間は嫌いではない。生産性が皆無な会話も時には居心地のよいものなのだと、実感する。

 他愛もない事を、愛すべきなのかもな。


 利用できるものは、なんでも利用する。自らの益にならないものは切り捨てる。この思想を曲げるつもりはないけど。

 やはり人との会話自体も、暇潰しになるからって理由でやっている節がある。


 そんな自分も悪いものではないと、そう思う。


 遠目にオレンジ色のよく知る看板が見えたので、そちらに向かっていた。近くなってきたから、思考を打ち切る。


 俺は目的地で停車した。周りには数体のゾンビがいるので、いつも通りナイフで殺すのだが……引っ掛かる。


「数が少ない、な」


 明らかに昨日と比べ数が少ない。ちょっと遠出したので、俺の影響ってのも考えにくい。

 確かに殺しまくったけど。人間ってのは山ほどいるからな。簡単に全滅しないはずだ。つまり、ゾンビもあの程度ではない。


「数体しかいないのはおかしいな」


 誰かが殺して回ってる可能性が出てきた。ここらに近付くにつれてゾンビの姿も影を潜めていた感じもしていた。


「はぁ、厄介だな。話の通じる相手ならいいけど。出会わないのが一番だな」


 中途半端な力を持った者は勘違いする。過信する。増長する。こうなったら力の差の境界線がぼんやりと滲み曖昧になる。

 つまり、なんにでも噛み付く狂犬のようになってしまう。そんな輩に絡まれたらと想像すると、それだけでうんざりするだろ?


 歩いていたゾンビを消してから、車にガソリンを満タン入れ、残った分は車に積み込んだ。昨日コンビニから取ってきた様々な物品はマンション一階の個室に移しておいた。


 そこまでの作業をしてから、ポケットに入れていた棒つきの飴を口に入れた。

 火気厳禁なのもあるが、煙草を我慢するのにも飴は効果的だ。煙草を吸うのは依存性があるからだ。つまり、依存する対象を他に変えると自然に止めれる。場合もある。そう簡単な物ではないけど。ようは慣れだ。


「ここにもう用はない。かな」


 俺は立ち去ろうとする。ここでそれが出来ていればどれだけ良かったか。

 遠くから聞こえたのは甲高い悲鳴。そしてそれに続いて銃声。


「あぁ~、面倒だなぁ」


 生気が声となって漏れ出す。心底面倒でなるべく関わりたくない案件が身近で起こった予感。勘弁してくれよ、さっき出会いたくないって言ったばかりだぞ。


「さては、言霊ってのは実在するな」


 今度から気を付けよう。無用心に独り言なんてしない。そう固く心に誓った。


 俺は乗り込もうと開いていた車の扉を荒々しく閉じ、歩いて悲鳴と銃声の聞こえた方へ向かった。



 危険因子は害をなす前に排除が必要なのだ……ソイツが余計な事をしたせいで気づかないフリが出来なくなった。建前を失ったじゃないか!

 こちらの事情なんて知らない相手に対して心の中で目くじら立てながら怒っている。なんとも不毛だな。


 事件が起きたであろう現場に着いていた。物陰に隠れ様子を窺う。そこにいたのは男二人に女一人。男は両方、片手に銃を持っている。恐らくどちらかが発砲したのだろう。女の方は地面に座り込んでおり、涙を流している。三人の位置関係からして女の方が建物から逃げ出し、それを追いかけて男が出てきた。威嚇射撃として銃を一発撃った。


 そんなとこだろう。見てもないのに、ほぼ確信している推理を披露する。それは当たっているようで、男共は女を捕まえ扉の開いてる建物の中に消えていく。


「ゾンビは音に敏感だって言うのに……馬鹿な奴だな。それに女を連れ去ってるって事は目的は1つか。本当、情けないな」


 それはお前が言えないだろ。美咲ちゃんと出会ったとき真っ先に何を考えてたんだ。思い出してみろ。と、指摘されそうな小馬鹿にした思考。


「でも、野放しには出来ないよな」


 何処から入手したか銃を所持している。さらに、女好きなのだろう。このままにしておくと美咲ちゃんにかんなちゃんが危ないかもしれない。

 どうせ、俺達とは出会わず何処か関係ないところで勝手に野垂れ死ぬだろうが。もしかしたらが存在する以上は先に対処しておこう。


 フル装備の俺は腰のホルスターに手を掛け、銃を抜いた。その瞬間、俺から溢れたのは明確な殺意だった……


「さて、狩ろうかな」


 俺の言葉は誰にも届かず風に乗って通り抜けた。


 扉の前に立つ。流石に鍵は閉められている。


「ふぅ」


 短く息を吐き、呼吸を整える。そして一回息を止め、それを吐き出すタイミングで扉を蹴破り内部に突入!


 そこは工場のような場所で、入ってすぐに鉄製の落下防止の柵があり、地下に位置する場所に色んな機材がある。そんな中、ベッドのように上手く改造された箇所がこちらから丸見えの所にある。


「これは酷いな」


 落胆の色を隠さず、視界に捉えた下半身丸出しの男二人に向けてまず、構えた銃で一発撃った。片方の男の肩にヒット。痛みで声を上げる。


 突然の出来事に興を突かれたのだろう、抵抗しようとしない。こんなもんだよな。過度に期待しすぎた。襲った相手の抵抗を期待するのも、またおかしな話だけど。


 仕方ないので柵から身を乗り出し下に降りる。これで生まれた時間で正気を取り戻した無傷な男は急いで銃を探す。女に取られたらと配慮し手元には置いてないらしい。


 ……それが迂闊だよな。


 その滑稽な姿を見ていた俺は顔に手をやりながら笑った。笑うしかないような、まるでつまらない喜劇を見ているような滑稽さだったからだ。


 見ず知らずな人間に恥を晒されいるのも、不快だな。

 俺はやっと銃を見つけ、震えながら銃を構えた男のこめかみを撃ち抜いた。バタリとその場に倒れる。


「俺はここだよ。全く何処を見てるのか」


 呆れながら、それでも素早く近付き銃を奪っておく。こんなもの危ないだけだからな。銃を持って、それで人の命を奪いながら、なんとも説得力のある意見。


「で、俺はなんだと思う?」


 意図のない質問。


「この……人殺しが!」


 肩の痛みと、仲間を殺された憎しみで男は声を荒らげる。


「うん、正解だな」


 悪びれない。コイツらは後々、何かをやらかす可能性のある危険な者達だった。生きた人を殺めたのに不思議と俺の感情は変動しない。自然体である。


「君はどう思う?」


 女に問い掛けるが震えるばかりで何も言わない。


「まぁいいや。で、質問があるんだけど、君達ってゾンビ殺したりした?」


「はぁ!? そんなの関係ねぇだろ! よくも俺のダチを殺してくれたな、お前それでも人間かよ!」


 女性を無理矢理犯そうとしていた奴に人間性を問われてもな。頭に血が上っててマトモな会話は残念ながら望めそうにない。


「ふーん。だったらいいや。時間の無駄だね」


 無関心に無感情に俺は叫ぶ男の額を撃ち抜いた。一発の銃声。ただそれだけで静寂が立ち込めた。


「多分ゾンビが多いのはコイツらのせいじゃないな。頭が悪すぎる」


「……あ、あの」


 俺が替えの飴を舐めながら呟いていると、存在を忘れていた女が話し掛けてる。


「あ、そういや君いたね。何してるの。もう、危険は無いんだから何処へでも逃げて良いよ?」


「え?」


「あ、武器がないと困るよね。ちょっと待ってて」


 俺は殺した男の持っていた銃に弾を込めて女に渡してやる。


「ほら」


 差し出されたそれを女は受け取った。


「で、でも……」


 まだ何か言いたげだ。


「お礼とかなら別に良いから。俺は直ぐに立ち去るよ。後、身だしなみはしっかりした方がいい」


 俺は男達が持っていたであろう銃と弾薬をかき集め用意しておいた袋に詰めて、その場を後にした。



 一人取り残された彼女は、状況が理解できず、嵐のようにやって来て、自分を辱しめようとした男を殺し颯爽と帰っていった、その名も知らぬ男が出た扉の方を呆然と眺めていた……

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