phase:4『最初の感染者は違いを語る』


「仁さん。終わりましたよ~」


 美咲ちゃんからその言葉がかかったのは一時間弱ほど経過してからだった。店の外にいた俺を呼ぶ彼女は扉から顔だけだしており、体はなるべく店内に留めるような体勢になっている。身の安全を考慮した彼女なりの防衛、対策なのだろう。


 本当に待ったぞ。と、白い煙を口から吐き出しながら、ベンチで項垂れていた体を起こす。


「仁さん、何をしていたんですか?」


 近付いてくる俺の顔や服に付着した血液に気付きわざとらしいほど目を剥く。


「ちょっと駆除兼実験をしてただけだよ」


 俺がしてたのは店の周囲を歩いていたゾンビを無力化したりして、耐久度の違いや個体差がどれほどの物か試していた。あと、単純に数が多くてうざったいので間引きしておいた。そのお陰でかなり数は減った印象である。

 因みにサバイバルナイフは予備や研ぎ石があるにしろ貴重なので手頃な日用品などで簡易な武器を使って対応した。


 ボロボロになったのでそこら辺に不法投棄しておいたけど。こうして世界は少しずつ汚れていく。こんな状況だと極小さな事で気にするのも馬鹿らしくなる誤差でしかない。


 そう言えば世界で思い出したが、このパンデミックが一体どの程度の範囲で起きてる現象なのか気になってテレビを見たが、どのチャンネルでも何も放送していない。

 ただ、黒い液晶がそこにあるだけだった。これは本格的に楽しそうだ。と、心を踊らせたのはここだけの話だが。


「そ、そうですか……」


 これ以上踏み込むと嫌な話になると察した彼女はこの話題を打ち切った。


「で、終わったんだよな?」


 俺は本題が重要なだけで美咲ちゃんの精神の平穏なんて知った事ではない。ズカズカと不躾に踏み込む。


「はい、格好よくなりましたよ!」


 そんなのはどうでもいいんだが……

 ここで大切なのは如何に一般人に見えるか? だからな。もしくは、人間に見えるか? かな。


 まぁ、どちらでも結果は変わらない。


 俺は店内に再び足を運んだ。中には様変わりした凛。首の傷が隠されるように、しっかり考えられたコーディネートだと感心する。それに動きやすそうだし。……それでも、やはり機能性や合理性を真っ先に考えるのは変わらずだけども。


 凛が身に纏っている服の個々がそれぞれどんな名称なのか分からないので、上手く表現出来ないが、それでも感心するほどの腕前だと言える。

 今時の女の子ってだけあって、センスはしっかりしているらしいな。第一印象では頼りない、サバサバした子ってのが強かったけど。大和撫子って感じでも、スポーツ少女って感じでもない。なんとも中途半端な位置だ。

 失礼な評価だとは思わない。俺の実直な主観だからな。


 それでも今回の働きには及第点どころか、満点をつけても良いほどのものだった。


 ここまで激しく印象が向上しているのに、情が芽生えないのは何故だろう。

 頑なに変化をしようとしない俺の感情に一抹の不安を覚え始める。これは人間って言えるのかな? こんなに改変されない気持ちってあるのか? それこそ、気持ちが、悪い。


 胸の中で形容しがたい物がグルグルと渦巻き巣食う。


 この悩みも、全ては1つに繋がっている気がする。これも直感でしかないのだけど……




 ──凛の偽装も済んだのでここにいる用もなくなった。さっさと離れよう。同じ場所にずっと滞在していると囲まれかねない。

 ここまで侵食の進んだ街で生存者がいるのかも怪しくなってきた頃。


 ぐぅ~。と結構な音量で腹の虫が鳴いた。凛の腹の虫が……


「美咲ちゃんでも食べる?」


「馬鹿な事言わないでください!」


 ブラックジョークの1つも通じないとは不便な人だな。てか、恐らくだが彼の腹が鳴ったのは空腹とはまた違った理由だと考えられる。それが、なんなのかは皆目見当もつかないけど。それについても後々、研究が必要になってきそうだ。


 「冗談だよ。そう怒らないで。可愛い顔が台無しだよ?」


 冗談の次は軽口。これ以上続けると殴られそうなのでやめておく。引き際は見極めないと。これを誤ると、大変なことになる時がある。


「凛。腹減ってるのか?」


 実際に聞いて見る。本当に腹が減っていたら困るからな。だが、彼は首を横に振った。


 なら、心配はいらないな。そう考え、店を後にした。今度は燃やさなかったいや、俺としては燃やすつもりだったんだけどね。美咲ちゃんに凄い止められたからな。貴方は放火魔ですか! って酷い言い様だと思うなぁ。




「──仁さんっておかしいですよね」


「唐突に失礼だね。その自覚はあるけど」


 美咲ちゃんが中々な事を言ったのでおどけて見せる。この程度で人殺しなんてしないから近づいてきなさい。緊急の事態に守れないでしょ。てか、もしかしたら撃たれるかもなんて考えてるんだったら言わなかったら良いのに。


「すみません。言葉が足りなかったです」


 何やら、伝えたかった内容はまた別らしい。それが伝わってないのを空気で察した様子の美咲ちゃんは当たり障りのない言葉を探しながら静かに話し始める。

 今更考えても意味ないと思ったが、それは言わず耳を傾ける。


「仁さんって何の躊躇いもなく人を殺すじゃないですか」


「それはこの変わった世界で初めて出会い、その最初から見ていた美咲ちゃんならば嫌なほど分かっている事じゃないかな?」


 俺がそう言うと、彼女はまた頭を捻る。だから、あれだけ失礼なこと言った後で考えても意味ないって。あれで殺されてないんだから大体何言っても許されると思うけど。そんな問題では無いのだろう。


「経験があるのですか?」


 それは人殺しのかな? なんて意地の悪い質問は控える。女の子を困らせて喜ぶ趣味は無い。


「そんな経験はないな。慣れるものでもない。生半可に一人殺したことがある人の方が逆に躊躇するだろうし。大量殺人犯とか、頭のネジが外れてる奴じゃないか。嬉々として人を殺すのなんて」


 この意見には主観の自論も含む。だけど、間違ってはいないと思う。


「それだと仁さんの頭は──」


「そう思ったのなら言ってくれていい。否定するだけだからな。俺は少なくとも倫理観の方面では正常だ。やって良い事と、いけない事の区別くらい出来る。子供じゃないからな」


「だったら、なんで?」


 それは、なんでゾンビを散歩をするのと同じ気軽さで出来るのかと、そう聞きたいのだろう。これは物事の捉え方の違いだから納得してもらえるか怪しいな。


「だって、ゾンビは人間じゃないだろ」


「え?」


 俺の口から紡がれたものに、美咲ちゃんの思考は一時停止したらしい。前に進めていた歩みを止めてしまう。それに合わせて俺も立ち止まった。


「俺だって人を殺すのは……難しいだろう。でも、ゾンビは簡単だ。って、もしかして君はゾンビを人だと思ってるの? そうだとしたら、それはおめでたい思考回路をしてるね」


「でも、その人は確かに生きてた時があったはずで……」


「もう、ソイツは死んでるだろ? 空っぽの脱け殻が歩いて、人を襲ってるだけだ」


 この会話はこのままだと平行線だろう。この状況とは似て非なる例えを持ち出した。


「美咲ちゃんはスワンプマン。日本語で沼男って呼ばれる思考実験を知ってるかい?」


 俺の問い掛けに彼女はNOと答えた。


「この実験は同一性やアイデンティティーを考える為のものらしいよ。内容は──」


 俺は簡略化した物を伝えた。


 ある日、男がハイキングに出掛けた。道中、不幸にも彼は沼の近くで落雷に打たれてしまう。その時、偶然にも、もう1つ別の落雷が沼に落ちていた。

 なんの奇跡か、沼の汚泥と雷が化学反応を起こし、死んでしまった男と同一、同質の形状の生成物を生み出してしまう。

 この生成物をスワンプマン。つまり沼男と呼ぶ。スワンプマンは原子レベルで死ぬ直前の男と同じ構造で、外見も見分けがつかない。それは内部もで、脳もだ。

 記憶も知識も同じスワンプマンは男の住んでいた街に帰る。そして、死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と他愛もない会話をし、死んだ男が読んでいた小説の栞を取り、その続きから読み、眠りにつく。

 そして、死んだ男が通勤していた会社へ向かう──


「君は彼を彼だと思うかい?」


「私は──そう思います。記憶も全て同じなんだったら彼は彼だと……」


 これの答えは、その者と過去との繋がり、因果関係がなければ、本物とは言えない。なのだが、直ぐに分かる過去。過去の全てが闇へ溶けようとするこの世界では抜きにすると、やはり、同一と捉えるのも1つの考えとして成立する。


 それでも、俺は同じだとは言えない。


「そこが、俺との違いだ」


 考え方は人それぞれ。価値観は皆バラバラでそれぞれに意味がある。相容れないものは仕方ないと諦めよう。


「俺はどうしても同じとは思えない。ここにいる凛も一度死んでる。だけど、俺達は今の彼しか知らない。生前の彼を知らない。でも、やっぱり生前の彼と死後の彼は違うのだろう」


 沈黙する。静まり返ったこの一部の空間。周りの喧騒は変わらないのに、ここだけは耳が痛いほど静寂だった。


「まぁ、理解出来ないものは無理にしなくて良い。悩むだけ無駄ってことさ」


 音と色を失ったこの場所を元に戻そう。俺は近付いていたゾンビの一体に発砲した。耳を一瞬で擘くような破裂音。俺が放った弾丸は眉間を貫いていた。バタリと倒れ、動かないのを見届け、俺は再度、足を動かし始めた。


 音に呼応するように反応したゾンビが群がりだす前に。


 形の良い眉を歪めたままの美咲ちゃんは、まだ真剣に思考の渦に飲まれているようだ。

 凛は顔色1つ変えない。変えれる顔色がないのだから、それもそうか。


 銃を仕舞いながら、そのまま流れるような動作で煙草を懐から取り出し、火をつけた。


 大きく吸い、そして吐く。白い煙は乾燥した空気に溶けて消えた。




 ──休憩しよう。美咲ちゃんの不意な問い掛けで忘れていたが、俺の腹も大分減っていたのだ。

 凛のより数倍大きく腹の虫が鳴いたので、限界も近いのだろう。


 てな感じでスーパーにやって来た。数が一番多く、最もポピュラーな店に。

 飲食店でも良かったけど人も多そうだし、面倒だから止めておいた。この辺の理由って普通に、お昼時に飯屋を避けるのと似てるよな。

 お昼は人が多いから、ちょっと時間ずらして行こうとか。そんな事思って行動しない?

日本人って列があると直ぐに並びたがるし、案外同意されにくい意見かもな……


 自動ドアはまだ機能しているらしい。中に人は居なかった。死んだ人もゾンビとなり勝手に外へ出たのだろう。こちらとしては好都合だ。


 丁度昼時だしな。腹も減るはずだ。


 俺は三度目の店内物色作業をする。プロの空き巣みたいだな。空き巣にプロも糞もないけど……


 あ、ミネラルウォーターこっちで貰えばタダだったのにな。と、今頃気づく。水は必需品だからな。飢えた時に空腹は耐えれたとしても、喉の渇きはどうしようもないからな。耐え難いものがある。あった方が絶対に良いだろう。


 上手く偽装した凛の爪などが汚れていた事を思い出す。


 服が汚れているのは分かる。逆に汚れていないと不自然だ。だけど、爪などが血で汚れているのはどう考えてもおかしいだろ。誤魔化しようはあるけど。


 ミネラルウォーターを何本か取り、外で綺麗にしてやる。ついでに石鹸も拝借。水だけだと限界があるからな。



 まだまだ、寒いこの季節。凛の手はそれと無関係な冷たさをしていた。熱のない肌に触れながら、俺は泡立てた石鹸を使い、彼の手をなるべく綺麗にした。これも綺麗にし過ぎると目立つからな。これからは手袋でも着けさせればいいかな?


 それを終えると、今度こそ自分の昼食選びをする。


「美咲ちゃんはどうする? 何か食べる?」


「私は自分で選びますよ」


「あ、それもそうだね」


 だったら俺は凛のでも選んであげるかな。そもそもゾンビって普通の食事するのかな。それだったら人を襲う必要ないし、共存とか可能になっちゃうけど──


 ──普通に食べました。レンジで温めた弁当を食べながら、その姿を観察する。あれ、これだと人間と変わりないぞ。

 特別なゾンビだけって可能性も捨てきれないからなんとも判断に困る案件なんだよな。これも実験しないとなんともなぁ。


「聞いてませんでしたけど、これから何処に行くんですか? 私は仁さんの指示に従うしかないのですけど、不安なので」


「そうは言わず、意思を持ってほしいけどね。俺が聞くかどうかは別の話としてね」


 そんな主張をしてみる。仏頂面のままなので、質問に答える。


「人の居そうな所を中心に回ってみるよ。立て籠れそうな場所とか。人が集まれそうな所とかね。警察署やショッピングモール、学校とかも良いね」


 適当に思い付いた場所を例に挙げる。


「でしたら、私の学校に行きませんか? 設備がしっかりしてますし、塀が高くて、門も頑丈です。それに部活熱心な人も多くてこの時間だと人も多くいたでしょう。生き残ってる人もいると思いますよ」


 期待は出来そうにないが、行ってみようかな。

 因みに今日は速く学校が終わったらしく、家の用事があった美咲ちゃんは友人と帰宅していたらしい。そして、あの状況。幸か不幸か、とりあえず死ななかっただけマシだも思って貰うしかないな。


「それじゃあ美咲ちゃんの学校に行こうか」


 俺は唐揚げを口に運びながら、そう言った。


 何やら、美咲ちゃんは嬉しそうな表情を浮かべた。


 好きな人の心配でもしてるのかな? なんて思いながら、俺は唐揚げを咀嚼していた。

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