phase:3『最初の感染者は特別なゾンビと出会う』

 その物体は脇目もふらず、まっしぐらに俺へと向かってきた。突然の出来事に対処が遅れる。この刹那に分かったのは、それが人形ひとがたの何かってことだけだ。けっこうな勢いでぶつかってきたソイツを全身で受け止めながら、頭を打たないように受け身をとる。倒れた方向は真後ろではなく、側面にショルダータックルを受けたような形になったので、必然的に横へ飛んだ。


 宙を舞うのは手に持っていたミネラルウォーターが入ったペットボトル。その行方を気にしている余裕などありはしない。


「なんだ!?」


 押し倒された俺の懐辺りに明らかに人の頭部がある。モゾモゾと蠢く。この様子だと助けを求めてやって来た生存者より、死傷し、ゾンビになった元人間の可能性の方が高いだろう。

 でも、そうなると謎が残る。それは仮定を根底から覆すもの。そう、俺は襲われないはずだ。勘違いでした、なんて結論に落ち着かせるのは愚考だろう。俺はかなりの確証を持って、襲われないと思っている。


 なんて、思考より先にやるべきは──


「邪魔だ、そろそろどけ!」


 もしもに備え、襲撃者と距離をとることだ。腕に力を込め、相当の力で振り払う。俺の上からゾンビと仮定した人間が退いたので、その隙に立ち上がる。


「仁さん。だ、大丈夫ですか!?」

「あぁ、平気だ。怪我もしてない」


 自身の肉体を目視で確認しながら、安否を伝える。俺がゾンビに襲われない体質かもしれないってのは、勿論美咲ちゃんには教えてない。それをする必要性がないし、メリットもない。言ってしまえばデメリットしか発生しない。バレるのも良くない。だから、なるべく隠しておきたい。


 その為にも迅速に疑わしい者から距離を取る必要があったのだ。


「コイツはゾンビなのか?」


 身動き一つ取らないので、怪訝に思う。信じたくはないが、確かに俺を襲ってきたはずなのだが?

 うつ伏せで倒れているので表情など顔を確認することが出来ない。視覚から判断できる情報だと、服装からして性別は恐らく男だろう。しかも俺より圧倒的に若い。もしかしたら小学生くらいかもしれない。


 ──観察をしている今この時も、いつ起き上がり襲ってくるかも分からない。そうなると必然的に危ないのは俺ではなく、美咲ちゃんになるのだけど。


 危険は無いに等しい。軽く近づいてひっくり返そう。そう思い、俺は一歩を踏み出しかけた。だが、足は止まった。それは声が聞こえたからだ。


「僕……は貴方がおっしゃるゾ……ンビです……多分」


 途切れ途切れに聞こえてきたのは若い男の声。変声期にも達していないであろう高い声だ。


 その発生源はにわかには信じがたいが、状況からして俺に飛びかかってきた男から発せられている。今も変わらず、地面に倒れている、男から……


「え、どう言う事ですか。何が起こってるんですか?」


 美咲ちゃんが俺の顔を見る。そんなもの俺も分からない。楽しそうな展開になった事しか俺には分からない。


「とりあえず、立ってくれるか?」


 半信半疑ではあるが、指示を出してみた。これは予想でしかないが、俺の口から出た疑問に答える形で、彼は話したのだろう。何故、ゾンビが自らの意思を持って話をするのか。そもそも何故意志があるのか?

 俺への問いに答えたのか。疑問は山積みになっていた。それを解消しないと先には進めないだろう。


 音もなく倒れていた彼は立ち上がった。俺は再び観察する。顔立ちからして、彼、で合っているようだ。


 俺の後ろに隠れていた美咲ちゃんが顔を覗かせる。


「ヒッ!」


 不可抗力だろうが、それはあまりに失礼な息の漏れ方。見慣れない人ならばそんな反応にもなるだろう。


 彼の口元は血で真っ赤に濡れていた。返り血だろう。白を基調にした洋服も残念な風貌になってしまっている。


 そして、首筋には何者かに噛まれた後。感染の際の傷だろう。少し肉も持っていかれているようで、抉れている。


 俺の心はそんな見るも無惨な姿の人を見ても、動かざること山の如し。とでも言いたげな感じだ。不動である。


「君の名前は?」


 逃げようだとかなんだとか、後ろでゴチャゴチャと五月蝿いのは放っておく。俺は意思の疎通が可能なのが分かったので、もう一度試みた。自分の名前なんて記憶喪失でない限りは答えれるだろ。


「……りん……です」


 名前から性別が判断しづらい。顔立ちも中性的だし、背も低く体つきも華奢なのでなんとも言い難い。とりあえず、この場では無視して話を進めよう。そこまで気にするような点でもないしな。


「凛。君は誰に殺された?」


 死人に気遣いなんて無用だ。包み隠すなんて回りくどい事を態々しない。そう、直接聞くのが手っ取り早い。だと言うのに、それに対してまたもや美咲ちゃんが何か文句があるらしい。背中を叩かれているが、そちらに意識を向けはしない。


「……女の人に……大人……」


 それだけだと何も分かってないのと変わりない。女の人で、彼から見て大人。そして、この場所か付近だろう。さらに絞るとするならば、彼は会話が出来る。それにも何らかの理由があるはずだ。

 ここまで、少な過ぎる情報を纏めて出てくる結論は俺の考えと見事に一致している。やはり、彼女を探す必要があるな。


「凛。君はこれからどうする? ついてくるか?」

「……僕は…………貴方の命令に……従います」


 従順だな。出処不明の確信を持つ。彼は俺の命令は絶対遵守なのだろうと。根拠のない完全な直感は信じるようにしている。なにかと当たるからな。


「じゃあ、命令だ。俺の後ろにいる美咲ちゃん。この女の子は人間だが、襲うな」

「……分かりました」


 形だけでもこう言った対応はしておかないとな。後でまた新しい命令を施しておこう。


「よし、これで一先ず問題は解決だな」


 俺は段になっている所に腰を掛けた。凛がミネラルウォーターを持ってくる。俺が飛ばしてしまった物だ。


「ありがと」


 礼を言う。彼は命令に従っているだけなのだが。


「その髪邪魔だな。切るか?」


 俺はこれからを考え美咲ちゃんにそう提案した。


「わ、私の髪ですか?」


 この三人の中で髪が長い奴なんて君しかいないけど。腰くらいまである、よく手入れされた綺麗な黒髪。明らかに邪魔だろう。


「そこまで長いと掴まれる可能性が高い。火とかで焼け落ちたりするより、自分の手で無くした方が良いだろ?」


 考え込んでしまう美咲ちゃん。俺の意見は正論で的を射ている。だからこそ、悩んでいるのだろう。機能性などを重視する理性と、髪を残したい感情の狭間で。


「分かりました」


 渋々と言った感じの返答。髪は女の命だとか言うけど、それで本当に命まで持っていかれたとなったら、笑い話にもならない。彼女が死んだところで俺に支障はないのだけど。


 彼女はサバイバルナイフを取り出した。


 サバイバルナイフ。ギザギザの形状をしている部分があるナイフだ。無いものもあるけど。

 何故、ギザギザの部分があるのか。用途はなんなのか。見た目を重視したデザインでは当然ない。あれはノコギリのような使い方をするものだ。繊維ロープや蔦などを切るためにある。つまり、端的に言ってしまえば髪を切るのにも使える。


 彼女は切り揃えるだとか、細かい事を気にせず髪を斬髪した。躊躇う事だろうと思っていたが、一度決めると案外思いきりのある子だなと評価を改める。


「よし、行くか」


 マイペースに先へ行く。俺の意識がしっかりしていた時。


──



 人の集まる場所に行けば自ずと出会えるであろう。なんて甘い見積もりで街を歩いているのは俺と女子高生と少年ゾンビ。


 なんとも異質な光景だ。馬鹿の一つ覚えのように近付いてくるゾンビ共の対処は基本的に凛に任せている。数が多い時は俺が手伝うけど……


「あまりに驚きすぎて今まで触れてなかったんですけど、彼はなんなんですか?」


 美咲ちゃんが耳打ちしてきた。それは意味のない行動だと思うけど。ゾンビ化した人間達は聴覚、嗅覚が異常に発達している。その代わりに視覚、触覚が衰えている。味覚は流石にハッキリしていない。

 でも、人肉を好んで食べてる節があるようだし、悪食な印象を受ける。そこら辺試しに凛に聞いてみてもいいかもしれない。生態も把握しておきたいからな。


「さぁ? これからも触れないんで良くないか?」

「良くないと思いますけど!」


 ほら、答えたらこれだから。面倒な事この上ない。仕方ないけど、これ以上詳しく答えてやる義理もない。安全だから深く考える必要はないと、説明する。納得はしていないようだが、見捨てられると生きていけないと分かっているらしく、それ以上口を開かない。


 理不尽な場の納め方をしたその直後、前方から集団でゾンビが寄ってきた。

 人を殺す感覚に慣れないと、なんて常識から逸脱した発言をするつもりはない。美咲ちゃんの生死なんて俺の預かり知らぬ事だからな。勝手に生きて、嫌なら死んでくれ。

 土壇場での切り札に使える手札って程度の認識でしかない。情を湧かせないようにしないと、とも考えていたが、それはいらぬ心配だったようだ。どうやら俺はそう言った類いの感情を最初から持ち合わせていないらしい。


 砂糖に群がる蟻のように無限に沸くゾンビの大群を蹴散らすのは同じくゾンビであるはずの凛。普通の子供ではありえない身体能力。何故か精神、肉体共に成長が促されているイメージだ。

 これも他のゾンビとは相違する特徴だ。他のゾンビは基本的に力が生前と同じ、もしくはそれより下だ。

 それでも、数の暴力と言う圧倒的なアドバンテージがある。戦争でも数の多い方が有利なのは、ちょっとやそっとでは覆せない事実である。それに指揮官が付いた時点で最強と言っても過言ではない。

 ゾンビには指揮官がいない。それは幸いなのだが、それでも数の優位は覆らない。食欲に支配され、それだけに突き動かせる集団と言うのは、もしかしたら有能な指揮官がいる軍より強いのでは、とも思う。

 自らの欲求が指揮を執っているのだから……


 そうだとしても、その蚊帳の外にいる俺には関係ない。それは凛も同じだ。俺達はゾンビの敵でもなければ、第三勢力でもない。例えるならば気象のようなもので、人の手ではどうしようもない厄災なのだから。


 暴風のように猛威を振るう凛は、まさにその例え通りの姿だ。


 俺も負けじと、いとも容易く、何事もないかのように軽々とゾンビの機能を停止させていく。二度目の生も幕を閉じる。無理矢理、本能に動かせる生なんて苦痛なだけだろう。せめて安らかに眠れ。


 ──俺にポッカリと空いた空白の時間。そこでどんな事があったのか。それも気になる所だ。どうも思考に矛盾を感じてならない。



 ──この数は処理しきれない、な。一旦逃げるか。それまでの思考を強制シャットダウン。即座に殲滅を諦め、逃げの一手を打つ。


「よし、駄目だな! 逃げるぞ、美咲ちゃん。凛も戻ってこい!」


 俺は簡潔に伝え、踵を返して最初からトップスピードで駆ける。


「え? ちょっと待ってくださいよ、仁さん!?」


 美咲ちゃんの焦りが具体化した悲痛な叫びが聴こえたような気がしたが、俺の耳には届かなかった。ことにした。



 この度逃げ込んだのは洋服屋です。はい。毎度、何処かの店に逃げ込んでるのは利用できそうな生存者がいるかもしれないと、そんな淡い期待を抱いているからなのだが、その挑戦は二回とも失敗に終わっている。


 不思議と荒らされた形跡のない店内。落ち着いて休憩出来るから別にいいけど。


 俺の命令に従属している凛には、ある程度の事は自分で考えて動けと指示しておいた。あと、美咲ちゃんに対する命令は形を改めておいた。


「凛……君。このままだと生きてる人に出会った時に困ると思うんですけど……」


 全くの盲点だった指摘を不意にした美咲ちゃん。確かに、見た目完全にゾンビだからな。一般人からすると天敵でしかない。


「ここは、ちょうど洋服屋だからな。凛の服をここで調達するか?」


 さて、ここで問題が発生する。これは倫理観の問題だ。小さな男の子を、大の大人、しかも男が服を脱がせる光景。犯罪臭が多大にする。それを言うと女子高生がやっていても同等のレベルで犯罪臭がするので結局は俺が手伝うんだけどね。

 そんな世間体なんて気にするような環境ではないしな。なんとなく場を和ませようとしただけだ。繰り広げている、講演会場は自らの脳内だけど。




 ──数分後。俺は店内の隅にある椅子に腰かけていた。

 ──服にセンスなんて必要なのだろうか。俺は機能性しか考えない脳味噌だからな。その感覚で選んでいると、美咲ちゃんに止められた。


「それだとあんまりです! 凛君が可哀想ですよ!」


 そんなに悪いかな……そこまで率直に言われると可哀想なのは凛ではなく俺の方だと思うけど……

 しょうがないので、服選びは美咲ちゃんに任せる事にした。これが間違いだ。


 女と言う生き物は服を選ばせると無駄に長いのを失念していた。うんざりしながら、俺は美咲ちゃんと凛を待つことを余儀なくされた。


「はぁ」


 溜め息をつきながら、俺は煙草を懐から取り出し火を着け、軽くふかしていた。

 注意してくるような奴も居ないし──


「仁さん。煙草を吸うのでしたら、外で吸ってください」


 ──俺は火種を指で摘まみ、静かに煙草の火を消した。

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