終楽章

幻想祭二日目と後夜祭

「やってまいりました、幻想祭二日目! というか最終日! 二日間とか淋しくないですかぁ! 私はとても寂しいです! けど、今日のバトルトーナメントの司会も、精一杯やらせていただきます!」


 体育館内に、放送委員長のアニメ声が響き渡る。


「バトルトーナメント、三回戦の対戦を発表させていただきたいと思います! まず、Aブロック、一組目、一年C組紅ユイト選手対三年B組高橋彩菜選手! 二組目、二年C組天津帆足選手対二年A組喜多野風羽選手! 情報によりますと、この二人学年のトップと二位らしいです! Bブロック、三組目、二年B組七ッ星睡蓮選手対二年D組水瀬雫選手! 四組目、二年A組灰色優真選手対三年A組吉祥寺シンヤ選手! 以上、四組の試合を行います。なお、ここまで残ってきたつわもの同士の戦いのため、結構時間がかかりそうな予感! どうする、一体いつ終わるのか! 今日中に決勝戦できるのか! こうご期待ッ!」



 学校全体に響き渡るアニメ声を聞きながら、ヒカリと唄はクラスの出し物『ドーナツ喫茶』の当番で走り回っていた。

 昨日、思ったよりも評判を得たらしく、今日の客入りは昨日より多かった。ウェイターやウェイトレスの人数はぎりぎり足りるものの、問題はキッチン担当だ。ドーナツ大好きな実行委員長の夏目と料理好きな女子が頑張って作っているものの、そろそろ在庫がなくなりそうで、昼から入店するお客さんの分が足りない可能性が出てきた。


「ええいっ! どうして俺はドーナツを早くつくれる異能を持っていないんだぁ!」


 キッチンで夏目が騒いでいる。その手は丁寧に、ドーナツを一つ一つ優しく揚げたり焼いたり、大忙しに動いていた。

 ドーナツと飲み物を取りに来たヒカリのもとに、唄がやってくる。


「ヒカリ」

「なんだ? オーダーか?」

「違うわ。気づいてないの? 来ているわよ」

「え?」


 唄の言葉にヒカリは首を傾げる。

 カーテンの裏から店内(教室内ともいう)を見渡すと、自分と同じ髪色の女性を見つけた。見つけてしまった。ヒカリの姉――中澤ヒナが、こちらに向かって手をぶんぶんと振っている。

 カーテンの裏に隠れると、ヒカリは思わず頭を抱えそうになった。


(来るなと言ったのにきやがって。くっそ!)


「ヒカリ、これヒナさんの分。仕事だから持っていきなさい」

「……はい」


 いつまで項垂れていても仕方ない。

 唄からお盆を受け取ると、ヒカリはカーテンの裏から出て行った。

 ヒナの前に、ドーナツと飲み物を置く。


「唄ちゃんと、仲よさそうで羨ましいぞ。このっ」


 肘でぐりぐりされたので、応えることなくその場を去った。

 そしてふと、ヒカリは思う。


(唄。さっきクラスメイトが傍にいたってのに、俺に話かけてきた?)


 唄は目立つのを嫌っている。クラスでうるさくやんちゃなヒカリと一緒にいると目立つので、学校では話かけないでと言われていた。

 ヒカリは思わず口元を綻ばせる。

 そんな、ちょっとしたことが嬉しかった。



 一方、その頃。天津帆足はライバルの喜多野風羽と向かい合っていた。


(絶対勝つ!)


「バトル開始!」


 放送委員長のアニメ声が開始を告げる。


 同時に手を一閃させて、風と空気を斬ると精霊を召喚するために呪文を紡ぎ始めた。

 精霊は、『幻想世界』と呼ばれるこことは違う世界で暮らしている。悪魔がいると云われている『地獄』とか、天使がいると云われている『天界』と似たようなものだ。その世界は人間の世界と交差することなく、接することなくそこにある。

 その世界から精霊を召喚するために、まずは『幻想世界』とこの世界を繋げて道を作る呪文を紡がねばならない。この呪文は、素質により長さが左右され、産まれながらの精霊遣いは、たとえ短くても強力な精霊を呼ぶことができる。後天的に精霊遣いとなったものの呪文は、短いと中途半端な力の精霊しか召喚できないことが多いため、呪文は必然と長くなる。精霊遣いは、呪文の長さで素質の有無を知られてしまうことになる。が、帆足は少し違った。

 帆足は産まれながらの精霊遣い(守護者ともいう)だが、『四大精霊エレメントとは違う系統の精霊と契約しているため、呪文は少し長くなってしまう。


「純粋なる空気は我の思いのままに――空気の精霊、エアリアル。来て」


 実体を与えるための最後の呪文を呟くと、文字通り空気が変わった。

 大気にある空気を圧縮したかのような空間に澱みのようなものが現れ、それはぎゅぎゅと縮小していくと共に、息を吹き返した魚のようにその場を跳ねた。

 黒い尖がり帽子が揺れる。目を伺わせない口元が不機嫌そうに歪んだ。緑のジャケットに手を突っ込んだ小柄な子供のような精霊――エアリアルが周りを見渡す。


『……んに? オレっちの出番かに?』

「エアリアル。敵はシルフだ。やっつけろ」

『オレっちに命令すんなって言ってるだろうに』

『くすくすっ。戦いから背を向けて逃げ出すというのですね』


 風の精霊がどこからともなく表れた。

 シンプルな小さい子供にしか見えない容姿のエアリアルと違い、幻想的な雰囲気のあるシルフが風を纏い踊っている。眉間の緑のひし形から出ている触角がぴょこんぴょこんと揺れた。


「んに。シルフは、ゆるさないに。『四大精霊エレメント』の座をギリギリで奪われたからにぃ』

『おかしいですわ。確かあの時、わたくしの圧勝だったと思いますが』


 くすくす、とシルフが笑う。

 黒のとんがり帽子に隠した双眸が一瞬現れシルフを睨みつけた。

 口元をにぃとすると、エアリアルが飛んだ。

 風を断ち切る空気を纏い、エアリアルがシルフに肉薄する。


「精霊遣い同士の戦いは見栄えがありますねぇ!」


 放送委員長のアニメ声に、会場が熱気を伴った。



 そして、バトルトーナメントの三回戦は終わりを告げた。



「続きまして、準決勝を行いたいと思います。Aブロック、一年C組紅ユイト選手対二年C組天津帆足選手! Bブロック、二年D組水瀬雫選手対三年A組吉祥地シンヤ選手……え? 吉祥寺選手? 雫が相手なら棄権するって……え、嘘でしょ? あ、雫さんからのメッセージです! 『シンヤ。出場しなきゃもう話さない』……て、生徒会長顔近いです怖いです棄権しないんですねッ。ええい、何やら生徒会長が必死になっていてうるさいので、Aブロックはじめてろぉ!」


 放送委員長のアニメ声がブツリと途切れる。どうやらトラブルがあったらしい。

 風羽は客席でそれを聞いていた。

 昨日の夜中過ぎまで精霊を召喚し続けていたのが影響したのか、途中でシルフの実体が揺らいでしまい、時間切れとなってしまった。生身一つで精霊と戦うのは体に堪えるので、風羽はその場でギブアップした。納得いかない様子の帆足が最後に、「万全の君と、また戦えることを祈っているよ」と吐き捨てて、敗者より先にリングを出て行ったのを思い出す。彼には悪いことをしてしまったかもしれない。


「風羽、座るわね」


 隣に唄が腰掛ける。

 その顔を見て、風羽はすぐに顔を背けた。昨日、醜態を晒したこともあるが、それよりも――。


「大丈夫かぁー、風羽? 負けたのがそんなにも悔しいのか?」


 顔を逸らしたことに気づいたヒカリが、唄の隣に腰掛けながら訊いてくる。


「昨日、疲れたから」

「あ、そういえばずっと精霊召喚してたしな。あれは俺でもバテるぞ」

「そうだね」


 違うんだ、と風羽は言いたかった。

 風羽は、まだ二人に隠していることがある。このことを水練には教えたが、唄とヒカリにはまだ話していない。これから話すこともないだろう。

 幼馴染のことは話した。

 だけど、どうして怪盗の手伝いをしているのか、それを唄は知らない。唄の顔を見るのが、どんなに辛いことなのか、ヒカリにもわからない。

 唄はあまりにも乃絵に雰囲気が似ている。

 乃絵が消失してしまったいま、乃絵に似た雰囲気を持つ唄の顔を見るのが、少し辛かった。そして胸も少し痛む。

 風羽は、乃絵の替わりに唄を守ろうと思って一緒にいた。

 乃絵が生きていることを知り、唄と天秤にかけるのさえ怖かった。

 そして乃絵が、また、いなくなった。

 乃絵はどこに行ったのだろうか。

 生きているのか、死んでいるのか。

 魂は、心は、体は――。

 どれだけ傷物にされればいいのか。

 風羽の胸が、またチクッと痛む。


 気のせいだろうと押しやり、風羽はAブロックの対戦を眺めた。

 紅ユイトの赤いつるぎが、天津帆足の眼前で止まる。

 それは流麗で威厳に満ち、そして美しい剣技だった。

 空気が動くまで、紅ユイトは会場の人々に嘆息をもたらしていた。



 暗闇に取り込まれた帆足が、投げ出されるようにリングから飛び出る。

 空気を得た魚のように口をパクパクさせる帆足の前に、吉祥寺シンヤが立った。


「ごめんね。いま俺は傷心しているから、早く終わらせたかったんだ」


 精霊を召喚する時間もなかった。

 余りにも力の差がありすぎる。

 歴然としたそれに打ちのめされた帆足は、それでも立ち上がった。


(僕はまだ強くなる)


 吉祥寺シンヤは、朗らかな笑みを浮かべていた。その瞳は退屈そうに現実を見ていない。


「雫……ごめん。なるべく傷つけたくなかったんだけど……生徒会長としてそれは駄目だろって雫が言ったから……いや、俺は戦いたくなかったんだ……」


 どうやら生徒会長は本当に傷心しているらしい。

 帆足はとある噂を思い出した。

 生徒会長は、幼馴染の少女を溺愛している単細胞の単純馬鹿だから扱いは簡単らしい、というものだ。根も葉もないうわさ話だと思っていたが、あながち間違いではないかもしれない。


 放送委員長のアニメ声が響く。

 それは誰しもが待ち望んだ、決勝のコールだった。


「バトルトーナメント! 決勝戦! 優勝は、三年A組吉祥寺シンヤ選手です! さすが生徒会長だぁ! よっ、単細胞!」


 どっと会場が沸く。



 そして午後五時になり、幻想祭は終幕となった。

 外部客がいなくなり、どこか閑散としているように思える校内を、生徒が高揚した気分を隠すことなく後片付けをしている。

 優真もクラスメイトに交じって、後片付けをしていた。

 思えば、怪盗メロディーの件があり、結構時間が経っている気がしたが、この街に越してきてまだ三週間ほどしかたっていない。


(いろいろあったな)


 結局英が涙を見せることはなかったのは少々癪だが、あれから仮面のような笑顔を浮かべなくなったので、許すことにした。今日も、楓花を連れて学校にやってきたので、幻想祭の案内をした。それを思い出すと、少し恥ずかしくも、嬉しくも思う。


「ゆ、う、ま!」


 ヒカリが優真の肩を叩いた。

 顔を向けると、にかっとした笑みを浮かべる。それを無言で眺めた。


「て、あれ無視? ま、いいや。連絡先交換しようぜ」

「……は?」


 意味が分からず首を傾げていると、ヒカリが戸惑った顔をした。


「昨日、交換するって言ってなかったけ?」


 記憶を探ってみるが、そう言った覚えはない。

 どうやら、中澤ヒカリという男子生徒は、結構都合の良いように物事を考えるタイプのようだ。

 迷い、けれど観念して、優真は懐からスマホを取り出す。


「教えてくれるのかっ! ありがとよ!」


 ヒカリも携帯を取り出し、連絡先を交換することにした。それを傍で見ていたクラスメイト(主に男子)が、「ヒカリ、灰色と仲いいのか!」「俺とも交換しようぜ!」と群がってくるのに、優真は眉を潜めるが不思議と嫌な気分はしなかった。


「おい、お前らっ。早く片づけしろよ!」


 実行委員長の夏目の声に、集まっていた男子が散り散りになり、それぞれの片づけに戻る。


「灰色、俺とも交換しようぜ」


 そう言って出してきたスマホを眺め、優真は無言で頷いた。


 優真はこの後、英と楓花とご飯に行く約束をしている。

 前に何気なく言った約束を、英は覚えていてくれていたみたいだ。

 ――新たに家族の絆を育んでいこうね。

 そう言った英は、懐かしい笑みを浮かべていた。

 それから、英は暫くこの街に滞在するみたいだ。もしかしたら、もうずっとここに住むかもしれないともいっていた。

 悪くない。

 優真はそう思った。



 水練は、一人でアーチのかかった校門から外に出た。

 また暫く学校に来ることはないだろう。

 こんな騒がしくうるさいところにいるより、廃墟のマンションにいる方が体も心も安らぐというものだ。

 昨日、水練のもとにやってきた絵画は、あの後千里が受け取りに来たので渡した。あんな不気味なものと一緒にいると、こちらの心がやられてしまうだろう。絵画に思い入れはないので、渡すのに躊躇いはなかった。

 千里は知り合いの除霊師(能力者だろう)にお願いして、あの絵画にかかっている幻惑や幻術を解いてもらうと言っていた。そのあとは恐らく燃やすことになるだろうとも。


(どうでもええ)


 ふと、誰かに呼ばれた気がして水練は足を止める。

 軽く振り返ると、中等部の制服を着た男子生徒がこちらを見ていた。

 目が合うと、先に視線を逸らされた。

 笑みを浮かべながら手を振ってみる。

 顔も逸らされてしまった。


(蓮見もかわらずやな)


 前に向き直り、水練は一人で廃墟に戻って行く。

 途中にコンビニに寄ろうと、そう思った。



    ◇◆◇



 風羽は鍵を開けると、家の中に入る。

 昨日風羽は家を空けていたが、それを咎められることはなかった。どうやら、兄から父に連絡がいっていたらしく、風羽は千里と外食をしていたこととなっていたらしい。

 父は少しやつれた難しそうな顔をさらに難しく歪めていたが、「ごめん」といきなりそう言った。昨日のことだ。


 ふとそれを思いだし、風羽はその意味を考える。

 だが、それよりも先に、パンッ、という派手な音が響いた

 色とりどりの紙吹雪が風羽の顔にかかる。

 クラッカーを引いた状態の兄――千里が、笑顔を浮かべる。


「おひさー!」


 昨日会ったばかりだというのに、何が久しぶりなのか。どうしてクラッカーを向けてきたのか。紙吹雪が髪に引っかかっている。

 千里の後ろから母がパタパタと走ってくる。


「ちょっと、千里。後片付けが大変だからやめてって言ったじゃない」

「ごめん、母さん。風羽を驚かせたくて。久しぶりに家族四人が揃うんだ。盛大にお祝いしないとな」

「もう、しょうがないわね」


 母は笑っていた。

 リビングから父も出てくる。

 厳格な顔を顰めた父は、千里に顔を向けることなく、


「風羽、おかえり」

「ただいま」


 それっきり、リビングに戻ってしまう。


「父さん、やっぱり俺のこと」

「千里、違うわよ。あの人、照れているだけだから。嬉しいのよ、きっと」

「だといいけど」

「風羽、着替えたらすぐに降りてくるのよ。久しぶりに千里がきたから、作りすぎちゃった。私も舞い上がっているわね」

「うん」


 リビングに母が入っていき、その後を千里がついて行く。

 「あ」と、千里が足を止めた。


「そうだった。おかえり、風羽」

「……ただいま。それから、兄さんも、おかえり」

「あー。ただい、ま」


 苦笑して千里はリビングに消える。

 風羽は知らずの内に笑顔を浮かべていた。

 千里が勘当されて家からいなくなってから、こんな未来が訪れるなんて思っていなかった。

 それが、少し嬉しかった。

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