(17) かけがえのないもの・下
「それじゃあ、私たちは帰りましょうか」
「うん。そうだな」
唄の言葉にヒカリは同意する。
三つ編み姿のいつもとは違い、栗色の長い髪をポニーテイルにしている唄の横顔は、どことなく淋しそうにみえた。
いつも澄ましているように見えて、唄は昔から人の情に流されやすいのだ。昔絵本を一緒に読んでいた時も登場人物に感情移入して泣いたり、逆に笑ったり。それを昔から傍で見てきたヒカリは知っていた。
唄の両親とヒカリの両親は昔からの知り合いだ。怪盗をやり出した唄の両親に誘われて、ヒカリの両親は、唄の両親に手を貸していた。
それを幼い頃から傍で見ていた唄は、自然と怪盗を目指すようになったのだろう。両親共に家にいない時、ヒカリは唄の家で一緒に留守番していたからそれを知っている。
二年前、唄の両親は怪盗を辞めた。その理由を知りたくて、唄は怪盗をやり出した。『風林火山』と『虹色のダイヤモンド』の事件により、その理由は判明したが、それでも唄は怪盗を辞めることはなかった。これからも辞めないことだろう。
唄は、両親に憧れて『怪盗メロディー』となったのだから。
袋小路を逃がしたことにより、悔しそうな顔をした風羽がこちらにやってくる。いつもの無表情とは違った、感情のある顔だ。
「ごめん、唄。これから、行きたいところがあるのだけど、ついてきてくれないかな?」
突然の申し出に、暫く迷ったあと唄は頷いた。
「いいわよ」
「俺も」
「いまの僕は、一人を連れて行くのが限界なんだ。悪いけど、ヒカリは」
「しょうがねーなぁ! 俺は遠慮しておくぜ」
「ありがとう」
ほんっとうは、唄と風羽を二人きりにするのは嫌だったが、どこか淋しそうな風羽を放っておけなくって、今回だけだぞ、とヒカリは笑顔で託すことにした。ほんっとうは嫌だけど。
「どこに行くの」
「乃絵の病院」
「……わかったわ」
差し出した風羽の掌を、唄が掴む。
風の精霊シルフが踊り、熾した風により二人はどこかに飛んでいってしまった。
そのシルエットが消えるまで見送っていると、ヒカリは声をかけられた。
「おい」
優真だ。赤い目をした優真が、口をムスッとさせて言いづらそうに口を開く。
「すまなかった。あいつらにも、伝えておいてくれ」
「おう、いいぜ」
「……じゃあ」
「あ、そうだ優真。連絡先交換しようぜ」
「……なんでだ?」
優真が不思議そうな顔をする。
「え、だって友だちになるんだろ? 前に、友だちが欲しいみたいなこと言ってなかったけ?」
「……あれは、嘘だ」
「え、ウソっ!」
ヒカリは思わず携帯を落としそうになり、慌てて持ち直す。
「それじゃあ、いまから友達になろうぜ! 俺、お前と仲良くなりたいし」
うししと笑うヒカリに、優真が驚いた顔をした。前髪をくしゃっとすると、
「気が向いたらな」
「明日また声かけるなー」
「……ああ」
照れたような顔をして英のところに戻って行く。
ヒカリは手を振って、その背中を見送った。
「あれ、風羽たち飛んでいったけど……大丈夫?」
「いいんすよ。いまの風羽は誰かいないと」
寄ってきた千里に、ヒカリは適当に答える。が、思い出すとどうしても悔しい思いが沸いてくる。
(いや、シルフがいるから二人きりじゃないよな)
「ところでヒカリ君って、唄ちゃんのこと好きなの?」
「そ、そそそそおんなこと……ッ、あ、いや」
不意打ちの質問にヒカリは調子を崩しそうになったが、自分の気持ちに正直になろうと、冷静になりつつ答える。
「……昔から、です」
「そう。大切にしてあげてね」
「当たり前っす」
赤くなった顔を見られたくなくって顔を逸らしていたヒカリは知らなかったが、その時の千里はとても優しい顔をしていた。
「じゃあ、俺は歩いて帰るよ。ヒカリ君は?」
「俺も、歩いて。一人で、大丈夫っす」
「風羽のこと、頼んだよ」
「仲間だから」
ふふっと笑うと千里は屋上から出て行った。その時、千里が誰もいない空間に向かってしゃべっていたのを、ヒカリは気づかなかった。
もうここに一人でいても無意味だろうと、ヒカリも屋上から出て行く。
疲れて眠ってしまった楓花を抱っこしている英は、とても愛おしそうな顔をしていた。
ヒカリの家族は四人だ。母と父は、ヒカリが中学生になると同時に自由奔放に海外を飛び回っておりなかなか会えないが、それでもたまに電話で話すと嬉しくなる。姉は、両親がいない家を自分が守るのだと、アルバイトをしながら家の家事をほとんど一人でこなしている。口は悪いが、弟のことを考えてくれるいい姉だ。
探偵事務所から出ると、無性に家族に会いたくなったヒカリは、家に向かって走り出した。
◇◆◇
闇夜の病院。その屋上に、風羽に手を引かれて唄は立った。
くすくすと笑い、シルフが離れて行く。
無言の風羽に連れられて、唄は病院の中に入って行った。屋上の鍵は開いていた。
暗い廊下は、僅かな明かりしかなく、どこか虚しさを感じさせる。
誰かに会うことなく、唄たちはとある病室の前に立った。
「ここに乃絵がいる」
囁くような声でそういうと、風羽は扉を開いた。
風羽に続き中に入って行くと、風羽が無言で立ち止まった。
「どうしたの?」
不安に思い風羽の横に立つと、彼の視線の先――ベッドの上に目を向けて。
「……誰もいない」
部屋はとっくに掃除されているのか、隅の方に塵ゴミ一つ落ちていない。カーテンは閉められ、誰も使われていない部屋のベッドは、マットレスが敷かれているだけ。
「どう、して」
風羽の声が震える。
目を覚ますことのない幼馴染が寝ているはずの部屋が、まるで最初から使われていなかったように整えられていたら、誰だって驚くだろう。それが大切な人ならなおさら。
慌ててスマホを取り出すと、風羽は誰かに電話をかけはじめた。相手はすぐに出たらしく、風羽はすぐに話し出す。
「兄さん。乃絵がいない?」「そう、病院」「知らない?」「乃絵は、治ったの?」「違うよね。じゃあ、どこに」「うん」「……わかった」「お願い」
スマホを切り、どこか茫然とした顔で風羽がこちらを向いた。
「兄さんも知らないみたいだ。調べてくれるみたいだけど、乃絵がどこに行ったのか全く分からない」
「部屋間違えているとか」
「ここだ。前に来たから覚えてる」
「部屋を移動したというのは?」
「兄さんの名義で借りているらしいけど、聞いてないって」
「……そう。退院したわけでもなさそうね」
「うん」
暫くベッドを眺めていた風羽は、ゆっくりとした足取りで部屋から出て行く。そのまま屋上まで一言も会話はなかった。唄はいまにも泣きそうな風羽の横顔を眺めていた。
屋上につくと、風を纏ったシルフが踊っていた。
優麗なシルフの踊りを風羽が見つめる。ふと、その頬に涙が一滴流れた。
「唄」
呼ばれて唄は彼の言葉を待った。
「……歌って欲しい」
返答しようと口を開き、唄はやめた。
替わりに、深呼吸して気持ちを落ち着かせると、それから歌い出した。
稀に、一人の人間に二つの能力が宿ることがある。
それは主に先天的なものが多く、両親が共に能力者だとなお高い確率で二つもの能力を芽生えさせる子供がいる。先天的な能力を持った能力者が、後天的に別の能力を芽生えさせることもある。
唄は能力を二つ持っていた。
唄の母から受け継いだ、『軽業』という異能。
それから、父から受け継いだ『歌声』。
人を、幸せな気分にも、楽しい気分にも、愛おしい気分にさせるその歌は、だけど能力から現れているものなのだ。
能力のおかげで、唄の歌声は、人を幸せにすることができる。
それを唄は誇りに思いながら、少し悲しくも思っていた。
自分の歌声が嫌いなわけじゃない。人を幸せにできる力を、疎ましく思ったこともない。
けれど、それは異能によるものなのだ。
いま静かに泣いている風羽を慰めるのも、自分の力ではなく、能力の『歌声』によるもの。
それが少し悲しく思う。
けれど、唄は歌った。
風の精霊が、その静かな歌声に誘われるように、静かに踊る。
いまだけは、彼に捧げよう。
魂の籠った歌声を――。
静かに闇夜に相応しい、夜想曲を――。
優麗な踊りと共に。
静かな夜に響くその歌声は、次の日この病院で『優しい気持ちになれる天使の歌声がきこえた』と患者や看護師の間で囁かれることになるのだが、それはまた別の話。
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