(16) かけがえのないもの・中

 英と同じ金糸のような金髪。夏穂と同じ青い瞳。

 それが、じっと英の瞳に突き刺さってくる。


(同じだね)


 瞳の色や顔立ちは、母親譲りなのだろう。

 久しぶりに娘の顔をちゃんとみて、英はそれを思い出した。


「おとうさん、ないてるの?」


 英は涙を流していない。指で目を拭う仕草をしてみるが、濡れていない。


「泣いてないよ?」

「うそ、だよ」

「え?」


 楓花はとても泣きそうな顔をしていた。

 いまにも崩れそうで、だけど意志の籠った青い瞳で英の眼をじっと見つめる。


「おとうさんはいつもさみしそうだった。ふうかがいても、おにいちゃんがいても、ずっと、ないていたでしょ? ふうかはわかるよ。おかあさんがなくなったのは、ふうかちいさくておぼえてないけど、おとうさんはいつもつらそうなかおをしていた。だからふうかはげんきづけようとおもって、ずっとわらっていた。でも、おとうさん、ぜんぜんわらってくれない。くらいままずっとさみしそうで、ふうかおとうさんにわらってほしいって、ずっとおもってた」

「ふう、か?」


 英の手を離さないように掴んでくる楓花の手は温かかった。

 気づいていたのだ。優真だけじゃなく、楓花も。英が心の底から笑っていないことに。

 気づいていなかったのは自分だけだ。誰も自分のことを見てくれず、みてくれだけに騙されているのだろうと、そう高を括っていた。

 いまにも泣きそうな楓花の頭に、英は掌を置く。


「ごめんね」

「……おとうさん?」


 楓花の手をやさしくゆっくり離し、英は二人に背を向けた。


「優真、楓花のこと頼んだよ」

「てめぇ」

「ほんっと、優真って口が悪いね。ちゃんと直さないと、モテないぞ」

「こんな時に馬鹿なこと言ってんじゃねぇ」


 袋小路は静かにこちらを眺めていた。見定めるような目と視線を交わす。

 能面のような顔に感情はなく、鋭い鳥のような瞳は、いまにも牙を剥いてきそうなほど攻撃的だ。

 英は人を操るのが得意で、苦手だった。

 人を操るのに快感はなく、ただの罪悪感ばかりに悩まされてきた。


「袋小路」

「……なんでしょうか?」


 誰に対しても警戒心を解くことのない袋小路に、英は微笑みかける。


「契約は解消するよ」

「……それでは、あなたの妻は生き返りませんが、本当によろしいですか?」

「生きているよ」


 英は断言していう。


「夏穂は生きている。良く言うだろ。人が死ぬときは、誰からも忘れられたときだ――って。夏穂は、まだ生きている。僕は絶対に忘れない。忘れるわけがないよ。だって、楓花も、優真もいるのだからね」


 袋小路がため息をついた。


「……それでは仕方がありませんね。布石はいくらでもありますから、その内の一つが壊れたところで、特に大きな障害はないでしょう。ただ」

「僕の心臓のことかい? それは、君の力でどうにかならないかい?」


 花弁が舞う。真っ赤な、赤い薔薇の花弁が。


「…………」


 袋小路は何も言わない。


「結構長い間一緒にいただろ、僕たち。だから、もしかしたら情が芽生えたんじゃないか、って思っているんだけど」

「……それはありません。ワタクシは主様の命により、あなた方と一緒に過ごしていたまでのこと」

「そう。それは残念だよ。じゃあ」

「それも必要ないでしょう。もとより、あれはただの出まかせですから。あの時の貴方はただの屍のように妻のことを思って、それ以外に興味を示していなかったため、操りやすかったのです」

「もしかして、嘘だった?」


 悪びれた様子もなく、袋小路は淡々と業務連絡のように語る。


「我らの目的は主に二つ。裏切り者を探しだすことと、それから能力者の仲間を集めることです。貴重な能力者であるあなたを殺すような真似、我らはいたしません。我らの邪魔をしなければ、静かに暮らしていけることでしょう。たった一つの布石が、いま崩れただけです」

「本当だよね?」

「ええ。いまのワタクシは、まだあなたの秘書でございますから。虚言はいたしません」

「それはよかったよ」

「……ですが、もうすぐ深夜零時となります。ワタクシはその時を持って、あなたの秘書という立場を辞職させていただきます。長い間、お世話になりました」


 袋小路が後ろ向きで歩いていく。

 その顔は能面に覆われており、瞳だけが警戒心を露わにしている。

 ふんわりとひとつに結んでいる黒髪が風に浮かんだ。


 風の精霊が笑い声を上げる。

 袋小路は屋上の縁に立っていた。彼女は、ふと思い出したかのように千里に視線を向けた。


「あなたに。一つだけお尋ねしたいことがあります」

「どうぞ」

「あなたはどちらですか?」

「ん? どっちでもないよ」


 優男の微笑みに、袋小路は眉一つ動かすことなく呟く。


「……いまは、そういうことにしておきましょう」


 喜多野風羽が右手を振り上げる。

 風が吹いた。

 シルフが袋小路に向かって行く。

 だけどそれよりも早く屋上の縁から飛んだ袋小路は、そのまま地面に向かって吸い込むように消えて行った。


 浮かんだシルフが地面を見下ろす。


『おかしいですわね。まるで霧のようにいなくなってしまいましたわ』


 すんっ、と優真が鼻を鳴らした。



    ◇◆◇



「いいの、夜名チャン」

「どういう意味でしょうか?」


 人通りの少ない深夜の歩道橋。

 袋小路の横に、長身の女性が立っていた。

 否、見た目こそ女性ではあるが、彼はれっきとした男である。

 野太い声で、白衣を羽織った男が囁く。


「あそこ、居心地よかったんじゃないの?」

「そんなことありません」

「そう? キミ、いつも能面のような顔をしているけど、あの家族と触れ合っているとき、時たま優しい顔をしていたよ」

「……ワタクシには様しかおりませんから」

「そうだったね。それじゃあ、帰ろうか。その様のところに。も、早く夜名チャンに会いたいって言っていたからね」


 袋小路が歩きだす。

 その後ろを、桜色の髪を一つに結び前に垂らした、大人しい女性のような容姿をした男が、ついて行く。

 男――咲良さくらは優しく微笑んた。

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