(14) 探偵の目的
「知り合いか?」
ヒカリの問いに、風羽は静かに答える。
もうあの時のようなヘマはしない。感情に任せて、我を忘れたりなんかしない。
あの時とは違って、いまの風羽には精霊と仲間がいるのだから。
シルフがくすくすっと耳をくすぐるような笑い声を上げる。
それが消える前に、風羽は口を開いた。
「僕には幼馴染がいた。相原乃絵といってね、小さい頃から一緒に遊んでいたんだ」
「俺と唄と同じだな」
「けど二年前、僕が異能に目覚めた。それにより、全てが狂ってしまった」
ヒカリが息を飲む。
英は怪しい笑みを浮かべているが、何かをする様子はない。
袋小路は機械人形のように、静かに佇んでいる。
「僕の父は異能に否定的な人だった。警察だからかもしれないね。兄が異能に目覚めた時、父は異能を持つ兄を家族と認めずに勘当してしまった。それを僕は見て育ったんだ」
だから風羽は異能に目覚めたことを隠すことにした。兄の二の舞にならないように。風羽は、家族という繋がりを保っていたいがために、隠すことにした。
そこに付け込んできたのは、当時喜多野家に使えていた使用人の鷹野という女だった。
鷹野は風羽に異能を隠す
「すべてが狂ったんだ」
あのペンダントは異能を封じるためだけのものではなく、異能を暴走させるものだった。
風羽はあのペンダントの所為で、異能を暴走させてしまい、なぜか家の中に居た幼馴染の相原乃絵に一生消えない傷を負わせてしまった。頭を打ちつけて血を流した乃絵は、いまも病院で眠っている。目に見える傷は消えているのに、彼女が目を覚ます気配はない。
千里が言っていた。
それは恐らく、鷹野と名乗っていたこの女――袋小路夜名かその仲間の能力により眠らされているのかもしれない。
風羽はそれを確かめたかった。
「なるほど」
笑顔を浮かべるでもなく、能面のまま袋小路が呟いた。
「そこまで、お見通しでしたか。ですが遅いでしょう。あなたの大切な相原乃絵さんは、もう目を覚ますことはありませんよ」
「どういう意味だい?」
「
「それって、もしかして」
千里が言いづらそうに声を挟む。
ほほ笑むでもなく、淡々と袋小路は悲しい現実を突きつけた。
「相原乃絵さんは、もう亡くなっています」
どんな現実でも受け入れる覚悟はできていた。
風羽は強くなったのだから、これぐらいでは挫けないと。あの時から風羽は乃絵が死んだと思って二年間過ごしてきたのだから、これからも同じ生活が待っているだけだと。
それでも彼女の口から語られた真実を、望みを与えてから叩き落すような現実に、風羽は一瞬言葉を失った。
風が、さらさらと頬を撫でてくる。
「風羽、惑わされちゃいけないよ」
千里の凛とした声で我に返る。風はまだ傍にいる。
「この女がいま言った言葉には少しおかしなところがある。風羽を本当に仲間に入れたいと思っていたのなら、確実に乃絵ちゃんを治す算段があるはずだ。それに、どうしても俺は不思議なんだよね。どうしてあんな夜中に、風羽の家に乃絵ちゃんがいたのか。この女が誘い出したのか、それとも別の理由があるのか」
そうだ。どうしてあの夜、乃絵は風羽の家の中に居たのだろう。
その時、少し袋小路が笑ったような気がした。
能面のような顔が風羽を見る。
「ワタクシが言ったことに嘘も偽りもありません。相原乃絵様はもうお亡くなりになられています。正確には、彼女の魂が、でしょうか」
「魂?」
ヒカリが声を上げる。
「はい。魂です。相原乃絵さんの魂はワタクシの仲間が回収させていただきました。病院で眠っているのはただの抜け殻です。そして」
「なるほど、もし乃絵ちゃんが目を覚ましても、魂の違う彼女は別人だということか」
「ワタクシの仲間に『魂見』という異能を持っている者がおります。能力の詳細は、家系により多少異なりますが、怪盗メロディーの皆さんならお分かりですよね?」
ああ、知っている。
一ヶ月ほど前、『風林火山』と名乗る人物たちとの諍いで、風羽たちは『魂見』の女性と出会った。でもその『魂見』という異能を持つ女性は、そのあとに能力を失っている。もう、彼女は異能力者ではない。兄がそう言っていた。
(他にもいるんだね)
おかしなことはない。
同じような能力を持ったものは、世界に沢山いる。ただ、能力者の数は人口の数十万分の一ほどしかいないだけで、同じような力を持った能力者と出会う確率が低いだけで。
くすっと笑う声が耳元で聞こえる。
彼女は傍にいる。
それで風羽はいくらか冷静を保つことができる。
「魂を回収したってことは、また乃絵は生きているんじゃないのかい?」
「ワタクシにはわかりかねます。でも、あの時にはすでに、相原乃絵様の魂は欠片も当然でした。生きている保証のほうが難しいでしょう。」
「じゃあ。魂を回収されているはずの乃絵の体は、なぜまだ眠ったままなんだい?」
もし、彼女の言うことが本当なのであれば、病院で眠っている乃絵は、乃絵じゃない。乃絵の体を借りている別人の魂だ。乃絵の体は見える範囲では傷も治癒されおり、精神が眠っている状態だと千里は言っていた。もし乃絵の体の中に、別人の魂があるだけだというのなら、その魂の持ち主が目を覚ましていてもおかしくはない。
「相原乃絵様の体が、別人の魂を拒否しているのでしょう。よくあることです。ですが……そろそろ、相原乃絵様は目を覚ますかもしれません」
「え?」
「魂が馴染み目を覚ましたら、きっと相原乃絵様は喜多野風羽様の傍からいなくなることでしょう。姿かたちは同じでも、中身は全くの別人なのですから」
「……でも」
「相原乃絵様の魂を戻して欲しければ、我らの仲間になりなさい。手を取れば、相原乃絵様は目を覚ましますよ?」
「おい、風羽。正気じゃねぇよな。こいつの言うこと鵜呑みになんてしないよな?」
怒ったようにヒカリが声を上げる。その眼は袋小路の能面を睨みつけていた。
ヒカリを横目で見てから、風羽は応える。
これでいいのだと、自分に言いきかせてから。
いまはまだ。
「僕は、お前たちの仲間になんてならないよ。僕の仲間は怪盗メロディーだからね」
袋小路の仲間になったところで、乃絵の魂が無事だという保証はどこにもない。それは、袋小路自身も口にしていた。そんな確証もない誘いに乗るメリットは、風羽にはない。
ちくりと胸が痛んだ。
――いまはまだ。自分は、ここにいるべきだ。
唄の傍に。ヒカリと水練もいる。悪役じみた、袋小路の手を取って、道を踏み外してはいけない。
袋小路の手を取るのは危険な好意だと、自らの経験から理解していた。
労わるような風が頬を撫でた。
ハハッと笑い声が上がる。
この光景を静かに眺めていた英が、面白おかしいものを見たとでもいうように腹を抱えて笑っていた。
「あーあ。なんて茶番。面白いね」
「何がだよ!」
叫ぶヒカリを気にすることなく、英は目尻に溜まった涙を指で拭う。
「まあ、でもさ。そんなことはどうでもいいんだよ。君たちがどうしようが何をしようが、僕の目的はただ一つ。君たちを捕まえて、家族を取り戻すだけなんだから」
赤い花弁がその場に舞う。
薔薇の花の匂いが鼻腔をくすぐった。
風が吹く。
風の精霊シルフの熾した風は、英の生みだした花弁をどこか遠くに吹き飛ばしてしまった。
英が舌打ちをする。
千里が風羽の隣に立った。
風羽の肩に手を置き、千里は囁く。
「風羽、ひとまず後ろに下がっていなさい」
「ごめん」
「謝る必要はないよ、弟を守るのが兄の役目だからさ。――さて」
視線を英に戻すと、千里は冷たい声で言った。
「英さん。あなたの目的はもう知っています。それは、亡くなった妻を生き返らせることですよね?」
「うん。そうだよ」
英は赤い瞳を歪めて、つらそうに微笑んだ。
容姿に優れていた英を慕ってくる女性はいままでにたくさんいた。英の到底日本人だとは思えない金髪に、明るい赤色は魅力的で、彼は良く女性から好意を寄せられていた。だけどほとんどの女性は、英の見た目に惑わされているだけで、彼の本質を見抜こうとする者はいなかった。英自身も女性には興味を抱かず、彼女を作ることなく、英は大学生になっていた。
英の妻――
同じ講座でたまたま隣の席になった夏穂の青い瞳に英は目を奪われてしまった。
意思が強く前を向く瞳は英の容姿だけでなく、ちゃんと心まで視てくれたのだから。
同じサークルに入ったこともあり、自然な流れで英と夏穂は付き合うこととなり――大学二年生の時に楓花が生まれた。夏穂は学校を中退していた。
そしてその時は訪れる。
英が大学を卒業して刑事として事件にあたっている時。
夏穂は事故により亡くなってしまった。
その時の英は事件の所為で三日ばかり家を空けており、それがなければ夏穂が亡くなることはなかったかもしれない。
夏穂と出会ったことにより浮かれていた英が拾った優真と、娘である楓花は家でお留守番をしていて無事だった
一人でスーパーまで買い物にでた夏穂だけが、大切な妻だけが亡くなってしまった。
英にとっての夏穂とは、絶対的な存在だった。
その代りになれるものなんて誰一人いない。
顔と同じ瞳を持ち、英と同じ金色の髪を持っている娘もただの他人だ。
夏穂のように英の心を見ることなく、上辺だけの笑顔を慕ってくる。
夏穂だけが全てだった。
夏穂が生き返るなら、なにもかも捨てる覚悟はできている。
もとから、妻以外に愛情を持ったことなんてないのだから。
夏穂が亡くなった二年後。
屍のように過ごしていた英の前に、袋小路夜名と名乗る女性が現れた。
彼女は英が妻を失くしたことを知っており、その妻を生き返らせる方法があると言っていた。
それから英は袋小路に促されるまま『花鳥風月探偵事務所』を開業して、妻を生き返らせる目的を果たすために生きてきた。
袋小路はある二人組を探していると言っていた。
男女の二人組は、我らを裏切った元仲間だとも言っていた。
その二人組を捕まえてくれれば、夏穂を生き返らせてくれると約束してくれた。
地方で静かに活躍して調べた結果、二人組は怪盗メロディーとして活動しているかもしれないという情報が手に入った。
袋小路からそう知らされた英は、情報を調べ尽くし、出現率の高いこの街を中心に探してみることにした。
そして彼のもとに挑戦状がやってくる。
この際、あの挑戦状が本当に怪盗メロディーから送られたものかなんてどうでもいい。
いまこうして怪盗メロディーとその仲間である二人を捕まえる好機をもらったのだから。
英は、妻を生き返らせるただそれだけのために、生きてきたのだから。
「袋小路。この三人と残りの一人を捕まえたらいいんだよね」
「――はい。探している二人組ではありませんが、怪盗メロディーを捕まえれば、あの二人は子供たちを助けるために現れるでしょう。そうすれば、あなたの妻を生き返らせると約束します」
「ありがとう」
再び、花弁が英の辺り現れる。それは先程とは比べ物にならないほど多く、その量にシルフが楽しそうな笑い声を上げた。
薔薇特有の香りが鼻腔をくすぐる。
次から次から現れるその薔薇を、シルフと風羽の熾す風がどこか遠くに押しやる。
(きりがない)
風羽の額にはうっすらと汗が光っていた。
力を使いすぎている。もって二十分ほどだろうか。
千里が目を細める。
やれやれと首を振ると、千里は哀れなものを見るように英に目を向けた。
「亡くなった人は、どう足掻いても生き返ったりはしませんよ」
その言葉は英だけではなく、風羽にチクリとした痛みを与える。
わかりやすく英の顔が歪んだ。
「そんなことはない! 妻は、夏穂は絶対に生き返らせて見せる! 何があっても! それこそ、娘を犠牲にしたっていい! もともと子供なんていらなかったんだ。僕は夏穂がいればそれでよかった……ッ。夏穂だけがいれば。夏穂だけが僕のことを思って、考えて、心を視てくれた。人を操る能力しかない僕を怖がらずに、自分の意思で傍にいてくれた。彼女しかいないんだ。僕には最初から、彼女だけが……彼女が全てで……」
「英様。相手の戯言に耳を傾けてはなりません」
袋小路の冷たい言葉。
それにより我を取り戻した英が、ふ、ふふっ、と笑みを浮かべる。
それは温厚とは程遠い昏い笑みだった。
「そうだよね。そうだ。契約したもんね。僕の力を全てあげる代わりに、妻を生き返らせてくれるって。そう約束したから」
「もちろんです。英様の妻は、必ず生き返ります。――どんな形であれ」
最後の小声は、自分のことで精一杯の英に聞こえていなかったのだろう。
袋小路が少し笑みを浮かべた。
風羽はそれを見ていた。
そして、
目の前のことに気をとられている英は気づいていなかった。
背後からこの話を聞いている優真の存在に。
拳を握りしめている、優真の強い瞳に。
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