(13) 再び

「て、あれ?」


 呆けた声を出すと、ヒカリはそこにいる人物に目を向ける。


(風羽が成長したみたいだ)


 風羽と同じかそれ以上に身長の高い優男がそこにいた。

 風羽と違い、穏やかな笑身を浮かべた優男は、ヒカリに歩み寄ってくる。


「はじめまして、中澤ヒカリ君。俺は、喜多野千里。風羽の兄です」

「あ、これはどうも」


 差し出された手を握る。


「では、早く逃げようか。ここはもうとっくに探偵にみつかっている。包囲されるのも時間の問題だ」

「あ、風羽の兄ってことは、刑事じゃ……」

「俺はただの情報屋だぜ。風羽の味方だ。刑事は親父だね」


 それじゃ安心だ。とヒカリは千里の後をついて行く。


「さて、ちょっと飛ぼうか。もう下まで探偵が来ている」


 屋上の縁に立ち、千里は下を見下ろしながら囁く。

 千里の能力が何なのかわからないが、風羽の兄ということは同じ風使いなのだろうか。

 ヒカリは特に気にすることなく、千里の言葉に従うことにした。

 屋上の縁から助走をつけるべく千里が下がってきた。


「そうだ。君は風羽の友だちみたいだから教えるけど、俺の能力は千里眼でね、遠くのものを視たり人が視えないものを視たりできる能力で、風遣いではないよ」

「へ?」

「だから、ここからは鍛え抜かれた体術の力だ。君は精霊遣いだから、大丈夫だよね?」


 一瞬遅れて、千里がやろうとしていることにヒカリは気づいた。

 だけどそれはもう遅い。

 階段を駆け上がってくる足音が複数きこえる。警察だろう。

 千里が走り出した。

 屋上の縁からジャンプして、隣のビルに渡ると、次のビルまでまたジャンプして――


「いやっほー! やべぇ、超楽しい!」

 と叫んでいる。


 風羽とは違う無邪気な行動にヒカリが呆気にとられていると、屋上の扉が開いた。

 ヒカリはその音を聞いた瞬間覚悟を決めた。

 残り少ない力を使い、光輝く杖を現す。

 杖を握りしめたヒカリは屋上の縁まで走っていって、そこから飛んだ。

 そのまま隣のビルに着地することもなく、遥か下の地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。

 パトカーが複数台道路上に止めてある。

 それを眺めて、


(やべ、死ぬ)


 ヒカリはそう思った。

 次の瞬間手を引かれる。

 ヒカリの体が引っ張られるように空を泳いだ。

 顔を上げると、そこには風羽がいた。


「君は何をやっているんだい?」

「いや、飛べて言われたから」

「死んだら意味ないだろ」


 お前の兄が言ったんだよ! という言葉を飲み込み、ヒカリは唇を噛み締める。

 風羽に引っ張られるまま体を任せていると、とある建物の屋上に飛び立った。もう戦線からは離れている。刑事の包囲網に、囲まれることはないだろう。結構なスピードで、ここまで飛んできたのだから。

 唄が呆れた顔をして立っていた。

 その顔を見て、ヒカリは安堵からくる笑みを浮かべる。



「風羽、お前どこ行ってたんだよ」

「いろいろあってね」


 風羽がため息をつく。

 ジト目でそれを眺めていた唄が、静かに口を開いた。


「それはいいけど。風羽はどうして私たちをこんなところに連れてきたの? やっぱり」

「君が何を考えているのか分からないけど、僕は君を裏切らない。絶対にね」

「……そう。でもここは」

「なんだ、どうした?」


 話についていけない。

 ヒカリは二人を交互に見る。


「ここは、『花鳥風月探偵事務所』の屋上だよ」

「は? 何で?」

「だからいろいろあったって言っただろ。ちょっとね、探偵と話したいことがあるんだ」


 そう言った風羽の瞳はどこか遠くを見ているようで――少し不安になる。

 風が吹いた。

 喜多野千里が屋上に降り立つ。


「いやあ、空中散歩、とても楽しかったよ」

「兄さん。あまり無茶はしないでよ」

『……喜多野風羽さん。本当に、この方はあなたの兄なのかしら』

「シルフちゃん酷いぞぉ。どう見ても風羽と俺、似ているだろ?」

『言動からして子供かと思いましたわ』


 くすくすっと、姿を現した『風の精霊』シルフは、ふわっと浮いて風羽の傍に寄る。

 どうやらさっきの千里の行動は、シルフがついていたからこそできたらしい。そうではないと生身の人間がビルの上を飛び回ることなんてできはしない。


「さて」


 千里が口を開いた。彼は徐にビルの屋上の入り口に目を向ける。


「そろそろかな」


 鋭い殺気がその場を満たした。

 屋上の扉が開き、そこから金髪の男性が現れる。

 男性は穏やかな笑みを浮かべながら、明らかなる殺意の籠った赤い瞳で場を見渡した。


「どうやらあちらから捕まりに来たみたいだよ、袋小路。これで僕の目的は達成できるかな」


 ヒカリの横を通って風羽が前に出る。唄は風羽の後ろに隠れた。

 風羽は英と対面すると、単刀直入に訊いた。


袋小路夜名ふくろこうじよなは、どこにいるんだい?」

「僕の後ろに控えているよ」


 英の後ろから、黒髪をふんわり一つに束ねた女性が現れる。

 能面のような顔で彼女は暫く風羽を眺めると、口を開いた。


「お久しぶりです。風羽お坊ちゃま」



 風羽の記憶は戻っていた。

 正確には千里の力により思い出すことができた。

 あの時風羽の人生を滅茶苦茶にしたお手伝いの女性――夜名と呼ばれていた女は、今目の前にいるこの女だ。

 表情と髪型が違うものの、それでも間違いなくこの女だ。

 この女か、その仲間であれば、乃絵を目覚めさせることができるだろう。

 英と袋小路は、風羽の眼前二メートルほどのところで歩みを止めた。

 その背後からすんっと鼻を鳴らす音が、微かに聞こえてくる。




 ベッドで寝ている楓花の額に、優真は手を置いた。


「楓花は、俺が守るからな」


 楓花の危険を脅かす相手が誰であろうが、絶対に許さない。

 それが優真の唯一の目的だった。

 家族を守るため、優真は立ち上がる。

 楓花はすやすやと眠っている。暫く起きることはないだろう。

 部屋を出ると、優真は事務所から出て階段を上がり、屋上に向かった。

 屋上の扉は開いており、そこから英と袋小路の背中、それから喜多野風羽の顔が伺える。


 すんっと鼻を鳴らす。

 優真は見極めなければいけない。

 誰が敵で、楓花の平穏を脅かす相手なのかを。

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