(8) 現れない者


「おめでとー」

「一年生相手やもんなぁ、力を出し切ることなく勝てたで」

「それでも勝ちは勝ちだろ。明日も楽しみだな」

「明日がこればね」


 ニヤニヤと水練は微笑む。

 ヒカリも微笑んでいたが、隣にいる唄が妙に静かだ。


「どうしたんや?」

「……いえ、風羽がいないのよ」

「風羽のこと心配しとるの? ヒカリ、がんば」

「何がだよっ!」

「えーべっつにぃー」


 あははと笑う水連から視線を逸らし、ヒカリは唄を見た。

 水練の出番の前、風羽にどこにいるか訊かれてメールを返したものの、それ以降全く連絡なく、風羽はヒカリたちとのところにやってこなかった。電話かけても留守電に繋がるだけだ。


(てっきりくると思ったんだけどな)


 頬を掻く。


「あいつ、どうしたんだろうな」

「……逃げたのかしら」

「え?」

「また逃げたんじゃない。『叫びの渦巻き』から」

「いやいや風羽はそう簡単に逃げないだろ」

「どうだか。あの無表情、何を隠しているのか分からないもの」

「……それは、そうかもだけど……」


 ヒカリはうーんと唸る。


「なんや、喧嘩か?」

「ちげーよ」

「風羽なんてどうでもええけど、とりあえず体育館から出るで。屋台終わる前に何か食べたいわぁ」

「そうね」


 水練の言葉に、唄が先立って動く。その後ろをヒカリはついていきながら、どこか覇気のない唄が気になっていた。

 それでも訪ねるのを躊躇い、水連の嫌味な視線を横目で見返す。


「何や」

「別に。なあ、水練は知ってるか?」

「風羽がどこにいるかなんて、今まで戦っていたあたしに訊いても分かるわけないやろ」

「そうだよなぁ」


 どうすりゃいいんだよ、という呟きに唄が振り返ることはなかった。

 エントランスから出る間際、背後から放送委員長のアニメ声が聞こえてくる。

『次は、二回戦六組目、二年C組山原水鶏選手対二年D組の水瀬雫選手の戦いを予定しておりましたが、山原水鶏選手が棄権したため、不戦勝で水瀬雫選手の勝利が――』



    ◇◆◇



「つぎ、ゆうまおにいちゃんのばんだって!」

「楽しみだね」


 客席から乗り出して幻想結界に囲まれたリング内を指さす楓花を、英が微笑ましそうに見守る。英を挟んで楓花の隣にいる袋小路は、まるで動くことのない人形のように能面のような顔でただ遠くを眺めている。彼女の眼差しは眼鏡により隠されてよく見ないとわからないが、その瞳は目が合ったものを委縮させるほどの鋭さを持っている。


「クレープおいしかったよ!」

「それはよかった。さっき屋台で見かけた時、楓花が好きそうだなって思ったんだ」


 青い瞳で見上げてくる娘の頭に、英は手を置く。

 にへらと幸せそうに楓花が微笑んだ。

 その笑みを胸に受け止めて、英はもう一度袋小路を見た。

 こちらに関心を示さない袋小路が何を考えているのか、『花鳥風月探偵事務所』を結成して役五年ほど一緒に過ごしてきたが、彼女のことはよくわからない。

 それは彼女が英を慕っているわけではなく、〝主〟と敬う人物の命令で動いているだけだからだろう。袋小路は、まるで機械人形のようだ。

 心が無く、ただ忠実に主の云う通りに動く、機械人形――。

 ふいに袋小路の灰色の瞳がこちらを向いた。


「御用でも?」

「いや、なんでも」


 袋小路は視線を前に戻す。

 こっそりと、英は口元の笑みを消した。


(きっと彼女はいろいろ僕に隠しているんだろうね。だから、今回のことは内緒だよ)



    ◇◆◇



 一般客が帰り、生徒の後片付けが終わった後。

 ヒカリと水練は二人で校門から外に出た。クラスの片づけが終わった後、唄は何か考えながら一人で帰ってしまい、ヒカリは気になりつつも登下校を一緒にすると水練と約束していたため、今二人は一緒に歩いている。

 唄は携帯もスマホも持っていない為、家に電話をかけるしか連絡手段はなかった。両親のことは知っているものの、自分から何を言っていいのかわからないので、ヒカリは悩みながらも考える。


(風羽は結局あのまま戻らなかったし)


 幻想祭は明日もある。だから後片付けと言ってもゴミ捨てや在庫整理だけで終わったものの、目立つ存在の風羽がいないことはクラスでいろいろな憶測が飛ぶほどだった。結論はバトルトーナメントで疲れたのだろうということになったが、バトルを観戦していたヒカリからすると、力をほとんど使っていない風羽が疲れているわけないだろと心の中でツッコミを入れていた。


「風羽のことが心配? それとも唄か?」

「ち、ちげーよ」

「ふーん。まあ、今夜頑張ろうね」


 ふふっと水練が笑う。

 楽しそうで何よりだ。ここ数日水練と会ってなかったこともあり、久しぶりに見る笑みにヒカリは安心する。


(今夜かぁ)


 怪盗メロディーからの予告状によると、『十一月六日木曜日、夜の二十二時に××をいただきに参ります』というものだったらしい。××というのは絵画の名前で、公にされていないがヒカリはそれが何なのか知っている。

 警視総監――喜多野風太郎の所有物、『叫びの渦巻き』。

 その絵画には人を惑わせる何かがある。

 絵画の所為で、風羽の父親はおかしくなったとか。

 今夜、厳重な警備の中、喜多野邸に怪盗メロディーは盗みに入る。

 それをサポートするのが、パートナーである水連と風羽――それからヒカリの役目だった。



    ◇◆◇



「で、どうしてこいつがここにいる」


 優真は眉を潜めた。

 その部屋はあまりにも無機質だった。家具はベッドとクローゼットのみ。それ以外は米粒ほどの塵すらない。ただ寝て、服を着替えるための部屋――英の私室となっている部屋だった。


 そのベッドの上、見たことのある顔が眠っている。

 制服姿のまま、両手を縛られて眠っているのは――黒髪長身の、ブレザータイプの制服を着た男子生徒、同じクラスの喜多野風羽だ。

 今は夕方で寝る時間には早い。

 何か嗅がされて眠っているのだろう。

 スンと鼻を鳴らすと、ツンとした匂いを感じる。

 優真は前髪をくしゃっとすると、この部屋の主で優真を呼び出した本人に目を向ける。


「『怪盗メロディー』を捕まえるためだよ」


 温厚な笑みを浮かべて英が答える。


「こいつも、そうだったのか」

「うん。そうだ」

「でもこれは、いささか横暴すぎやしないか」

「これも目的のためだ」


 前髪の合間から、優真は英を見る。

 今回、どうして英が『怪盗メロディー』を捕まえようとしているのか、それは優真も知らないことだった。

 笑みを消すことなく、どこか淋しそうに英は言う。


「僕は、大切な家族を守るために、『怪盗メロディー』を捕まえなきゃいけないんだよ」

「それは、楓花のためか」

「……そうだよ」


 そしてにっこりと英は微笑んだ。

 優真は風羽をもう一度みて、そして視線を逸らすと部屋から出て行く。


「信じないぞ」

「君は僕の言葉を信じてくれないのだったね。……淋しいなぁ。淋しくって毛が抜けそう」

「禿げろ」

「それは冗談かな?」

「ちげーよ」


 応接スペースに行くと、楓花が掛け寄ってきた。


「おにいちゃん、えほん!」

「いいよ」


 頭に手を置き、優真は他の人には見せないような笑みを浮かべる。


「どれがいい」

「これ!」


 渡された絵本を受け取り、優真はソファーに座る。

 丁度、英が私室から出てくるところだった。


「楓花、お父さんはこれから仕事があるから、良い子にしているんだよ」

「うん。おとうさん、いってらっしゃい」

「優真、楓花のことよろしくね」

「……ああ」


 返事をするのも癪だったが、楓花の手前返事をした。


「袋小路、行くよ」

「かしこまりました」


 事務所から出て行く英の後ろを、付き従うように袋小路が能面を崩すことなくついて行く。

 彼女の鋭い視線と目が合った気がした。

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