(7) 卑怯なやり方・下

 泥のような世界で生きていた。

 黒い淀みの中、息をする暇もなく繰り返される能力強化の試練を、蓮見はたった一人で潜り抜けてきた。

 理事長である父は、家庭に興味のない人だった。

 そんな父に認められようと、母が躍起になり、五歳の頃に精霊と契約することのできた蓮見は、まるで母の玩具オモチャのように育てられてきたのだ。

 蓮見と、二歳年上の睡蓮は腹違いの姉弟きょうだいだ。睡蓮の母は、睡蓮を産んですぐにこの世を去った。産まれたばかりの赤子を残し、睡蓮は当時お手伝いだった蓮見の母の手に寄り育てられてきた。


 水練も、蓮見も、産まれながらの能力者――先天的な能力者である。

 それでも父は、能力に秀でた子供たちのことなど興味がなかった。いや、睡蓮の母が亡くなったことにより興味を失くしたのかもしれない。


 土に水が混じれば泥となる。

 その泥のように蓮見は育った。睡蓮とほとんど顔を合わせることなく。

 理由は単純。物心をついたころから、睡蓮が自室に籠り出てこなくなったのだ。

 顔を合わせたのは、たった五回ぐらいだろうか。片手で数えて足りるほど、姉であるはずの睡蓮とは全く顔を合わせない、そんな日々を過ごしてきたのだ。

 姉のやっているのはただの反抗だ。母が癇癪を起こしても、蓮見が呼びかけても、自室に籠ったまま睡蓮は出てこなかった。父はそんな睡蓮のことを気にする素振りもなく、蓮見にも、母にも、顔を向けることなく幻想学園の理事長の座についていた。


 その頃の蓮見と姉の違いといえば、蓮見は精霊と契約しており、睡蓮はまだ契約していなかったことだろうか。

 その睡蓮も二年前に精霊と契約している。

 それまで二人の間にあった差は、その時に縮んでしまった。


 蓮見は焦っているのだ。

 泥が沼に変わり、それにずぶずぶ沈む前に、そこから這い出して姉よりも上に行ってやる。

 そう、心に決めていたのに。


 全ての力を出し切る前にバトルは終了した。

 決勝戦で姉に勝ち、姉に力を認めてもらうつもりだったのに。その志は、あんなにも呆気なく潰えてしまった。

 悔しい思いを握りしめ、蓮見は次の組み合わせがバトルをするからと、試合会場から出る


「あ」


 思わず声が出た。

 目をしばたたかせる。

 これは何かの夢だと、幻想だと、そう思いたかった。

 あんな惨めな場面を姉に見られてしまったなんて――嘘だと思いたかった。


「残念やったね」


 久しぶりに会う姉は優しい笑みを浮かべていた。

 スカイブルーの瞳を細め、黒いワンピースの上からなぜが白衣を羽織っている七ッ星睡蓮は、優雅に微笑んでいる。

 顔を合わせるのはこれで六回目だ。手が二つ必要になった。


「……」


 蓮見は無言で視線逸らすと、その前を通っていく。


「なんや、挨拶もなしか。悲しいなー」


 そんなこと思ってないくせに、その言葉を飲み下し、蓮見は振り返ることなくその場を通り過ぎて行った。


 蓮見の契約している精霊は、草の精霊『ドリュアス』。

 そして睡蓮の契約している精霊は、四大精霊エレメントに数えられる水の精霊『ウンディーネ』。

 力の差は、歴然だった。

 並みの精霊は、四大精霊エレメントの前では米粒程度の力しかないと云われているのだから。



    ◇◆◇



 先ほどの戦いに勝利した風羽は、選手控室に戻ることなく客席に向かって行った。もともと選手控室とは名ばかりで、戦いの前に心を落ち着けたい選手が滞在するだけの部屋だった。今回の試合の前に、風羽はなんとなく選手控え室に入ってみたものの、一年生が一人か二人いるぐらいで、蓮見も他の二年生も三年生もおらず、閑散としていた。

 今日はもう風羽の出番は終わりだ。能力をほとんど使ことなく勝つことができた。


(さて、次は睡蓮の戦いかな)


 ヒカリにメールを送ると、すぐに『二階西側。一番後ろの席にいるぜー』という返信がやってきたので、風羽は二階に行くべく階段を上りはじめた。


「喜多野君」


 同時に声が聞こえてくる。

 顔を向けると、同じクラスの高橋明菜がいた。

 特徴的な赤い瞳がきらりと光る。


「どうしたんだい?」

「と、とても大切な話があって……その、いまからお話しできない」

「……内容は?」

「ここでは言えないから、こっちに来てくれると助かる」

「……」


 なんだか嫌な予感がする。ほぼ直感でそう思った。

 風羽は赤い瞳を見つめるがそれはすぐに逸らされた。明菜は背を向けると、エントランスから出て人のいない方向――校舎裏に向かって歩いて行く。

 その背中を風羽は追いかける。


 嫌な予感がする。

 明菜の様子がおかしい。

 だけど、明菜が風羽に対して何かをしでかすとも思えない。風羽のファンクラブに入会しているらしい彼女の気持ちは、何となくだけれど把握している。それに前に唄に絡んでいた時とは違い、今の明菜は意思のない人形のような陰りのある瞳をしていた。特徴的な赤色の瞳は結構目立つ。良いことでも、悪いことだろうが印象に残りやすいようにできている。


 校舎裏に辿りついた明菜が振り返る。

 その口に笑みは浮かべられているものの、赤色の瞳は全然笑っていなかった。

 背後から、男性の声が聞こえてくる。


「君が喜多野風羽君だね。はじめまして。僕は君のお父さんの知り合いで探偵の英と申します。怪盗メロディーのことで少し、お話があるのだけどいいかな? すぐに終わるから。僕もこれから予定があって、早く娘のところに戻らないといけないからね」


 温厚そうに優しそうに響くその声に振り返ると、金髪に赤い瞳の男性がいた。

 男は、口元に笑みを浮かべてまるで敵意はないよとでも言うかのように両手を上げる。


「話、って?」


 どうしても背後にいる明菜が気になる。英にお願いされて風羽を呼びに来たわけではないだろう。脅迫されていたのか、もしくは……。


「単刀直入に訊くよ。君は、怪盗メロディーの一員だね」


 そして滔々とうとうと英はにっこり微笑みながら雄弁をふるう。


「怪盗メロディーは四人組だということは情報からしてわかっていた。そしてその内の二人が、野崎唄と中澤ヒカリだということはすぐに掴めたよ。

 だけど、他の二人が分からなかった。いくら情報屋を問い詰めても、わからないと一点張りだったんだよ。それがね、今日学校で野崎唄を見て、彼女と一緒に中澤ヒカリと君と、もう一人の女の子が四人集まっているのを見てね、直感的にわかったんだ。君たち四人が怪盗メロディーだということにね。僕が言うのもあれだけど、人の多い幻想祭だからといって、どこで誰が見ているのか分からないのだから、怪盗である君たち四人が集まるのはよした方がいいと思うよ。もう遅いけどね」


 言葉を挟む間もなく、英は続ける。


「どうして君の情報が分からなかったのかも、君の名前を知った時にわかったよ。警視総監喜多野風太郎の息子にして、主婦に大人気の異能の情報屋――喜多野千里の弟。君の情報は、別の情報屋である喜多野千里により隠蔽されていたんだってことにね。そしてもう一人の仲間の情報が分からなかったのは未だにどうしてなのかわからなかったけど、それでもバトルトーナメントに出場しているんだ。七ッ星睡蓮の名前も覚えたよ。彼女は幻想学園理事長の娘みたいだね。そう考えると、結構いろいろ思い当たる節がある」


 いったん言葉を切り、唇を舐めると、英は一瞬で笑みを消した。

 それはまるで、電源の切り替わった機械人形のようだ。


「僕は、怪盗メロディーの四人を捕まえてに突き出さなければならない。そうすれば、僕の目的は達成できる。大切な家族を取り戻すために、君も協力してくれると嬉しいな」


 風羽は慌てて右手を構えて風を起こそうとするが、それはもう遅かった。

 いや、路地裏に入ってきた時点で――相手のテリトリーに入ってしまっていたのだと、遅れて気づいた。

 眼前を赤い花弁が舞う。

 それを視界の片隅で認識して、甘い香りが鼻腔をくすぐった時――風羽の意識は無くなった。

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