(2) 幻想祭のはじまり・中


「風羽、どうだった?」


 人混みから出てきた風羽を見つけると唄は声をかけた。今日は人が多く、みんな自分が楽しむのに必死なため、風羽と一緒にいてもあまり視線が集まってこないので都合がいい。


「……あ、うん」


 どこか気まずそうな顔でポケットからスマホを取り出した風羽が、画面をこちらに向けてくる。それを受け取り、唄は画面を観た。


「あら、水連はBブロックなのね。風羽はAブロックだから、当たるとしても決勝戦になりそうね。良かったわね」

「そうだね。ただ、睡蓮はもしかしたら三階戦で水鶏にあたるかもしれないよ」

「……それはそれで楽しみでもあるけれど」


 校庭から中庭のほうに歩きながら、唄と風羽は会話をする。

 中庭にも屋台があり、そこから香ばしい焼きそばの匂いがした。

 風羽が顔を上げたので、唄はチラリと屋台を眺めてから少し微笑む。


「まだ昼前だけど、先にご飯済ませておく?」

「今日は弁当じゃないのかい?」

「幻想祭だもの。お母さんが、ここで済ませなさいって」

「じゃあ、お言葉に甘えて……あ」


 言葉を止めた風羽が、遠くを見て眉を潜める。

 唄は不思議に思い視線を辿ると、その先にいる人物に気づき思わず目を開いた。


「ヒカリ」

「……やっときたみたいだね」

「ええ」


 先っぽが跳ねた茶髪の男子生徒が笑顔でこちらに手を振っている。その背後には、シックな黒いワンピースの上から丈の長い白衣を羽織った少女がいた。少女の容姿は、人の視線を集めるほど可愛い部類に入るだろう。腰ほどまで伸びた水色のウェーブされた髪の毛が風に弄ばれ、スカイブルーの瞳がキラキラと光っている。だけど、その表情はどこか憂鬱そうで、口がムスッと結ばれている。

 視線を集めている少女、七星水連しちせいすいれん――本名、七ッ星睡蓮ななつぼしすいれんは、唄たちの近くまでやってくるとやれやれと手をひらひらさせた。


「何や、随分人が多いんやないの?」

「幻想祭だからね。人が多いのは当然だよ」

「嫌になるやん」


 ぶすっと項垂れる水練に、風羽が呆れたようにため息をつく。


「やっほー、唄と風羽。おはよー」

「おはよう、ヒカリ。今日は遅かったわね」

「あ、ごめん。遅れるかもとは夏目に言ってたんだけどな、お前らに連絡してなかったな」

「別にいいわよ」

「えー。あ、ドーナツ喫茶の方はどう? 俺って、明日の午前中でよかったよな」

「そうね。確か私もその時間ウェイトレスやんなきゃいけなかったわ」

「へえ、唄がウェイトレス? おかえりなさいませご主人様とかいうん?」


 水練が茶化してくるが、唄は少し微笑んで答える。


「メイド喫茶はC組よ。私たちのクラスは軽い喫茶店みたいなもの。注文を取って運ぶだけだもの。メイド服は着ないわ」

「それは残念。とっとと試合終わらせて、唄の面白い写真いっぱい撮ろうと思ったのに」

「私のメイド服の姿、誰が喜ぶのかしら?」

「ん? ヒカリ、とか」

「ば、ばばばばかかっ! お、俺は、別に、普通のエプロンでも、メイド服じゃなくってもって違うぞ!」

「……ね、唄。どうやらヒカリ、唄の写真が欲しいみたいだよ。良かったらいまから撮ってあげようか?」

「馬鹿言わないでちょうだい」


 スマホのカメラをこちらに向けてくる風羽の腕を下げで、唄は平常心を保ちながら答える。

 ヒカリは何があったのか、ちょっと赤くなった顔を手で覆い蹲っている。そんなヒカリを、ニヤニヤと意地の悪い笑みで水練が眺めていた。


 ふう、と場を落ち着かせるために風羽がため息を吐く。

 唄は深呼吸をしてから、風羽を見て、それから他の二人を見る。

 今日は幻想祭だということもあり、ちょっと浮かれていたようだ。昨日までの悩みが嘘かのように、久しぶりに四人全員が集まったにも関わらず、すらすらと会話ができていたことに唄は若干安堵する。


 丁度会話が途切れたのを見計らい、唄は三人に声をかけた。


「場所を変えましょうか。できれば内緒話できるところだといいわ」

「じゃあ、図書室か?」

「今日は鍵が閉まっているから無理だよ」

「ふーん。屋上はどうや?」

「……さすがに幻想祭だからね、屋上も閉まっているだろう」

「じゃあどこがあるのかしら?」

「そうだね」


 顎に手を当てて考えていた風羽が、ふと顔を上げた。


「あそこだったらいいかもしれない」



 三年D組の出し物は、『個室居酒屋風喫茶店』だった。

 段ボールを黒く染めたものがコの字型で机の周りを囲い、天井近くまで伸びている段ボールは入口になっている一部以外、外部からの視線を遮断してくれている。

 丁度四人掛けの席が一つ空いており、そこに通された唄たちは男女向かい合う形で席に座った。唄の前には風羽がおり、その隣にヒカリがいる。水練は唄の隣で、ヒカリをニヤニヤと眺めている。ヒカリの顔はまだどこか赤いみたいだ。風邪でもひいているのだろうか。

 唄は気にすることをやめて、周りを取り囲む黒い段ボールに目をやる。


「これなら、確かに大きな声を出さない限り大丈夫そうね」

「けど来る途中、カップル多かったなぁ」

「もしかして僕たち、ダブルデートだとか思われていたりして」

「じょ、冗談でも言うなよ!」

「ヒカリうるさい」


 叫び声を上げたヒカリに釘を刺してから、唄は「さて」と前置きをする。


「とうとう今夜よ」


 緊張感が奔り、ヒカリが真剣な顔になった。

 風羽はいつも通りの無表情ながら、どこか口を引き締める。

 水練はニヤニヤとしている。


「風羽、準備はどんな感じ」

「順調だよ。ただ、刑事の中に厄介なのがいてね、ちょっと手間取っている」

「もしかして、それって異能を使う」

「そうだよ。前に唄が相対した刑事。どうやら感が鋭いみたいだから下手に動けないんだ。だから、今夜僕は手を貸せないかもしれない」

「それは想定済みよ。水練」

「ん? ハッキングは済んでるでー。ただなぁ、今日は家が狭いからなぁー。ちょっと、前みたいにうまくはいかんよ? というより、本当に盗むつもりなんやな」

「……そうね。前失敗しているから、今回成功しないと怪盗として示しがつかないわ。大切な名前を汚したくないし」

「そうやなぁ。でも敵はあの探偵やろ。調べてみたけど、地方のほうで有名だったみたいやね。で、どうやら探偵の英という男は、もと刑事みたい。でも事故か何かで妻を失くして、探偵になったみたいや」

「妻を亡くした?」


 ヒカリが言い難そうな顔で言う。

 ふふっと水練が笑うが、無表情の風羽が彼女に目をやって真剣な声を出した。


「で、その情報はどうやって?」

「調べたんに決まってるやろ」

「誰に調べてもらったんだい」

「は? 何よ、あんた、まだあたしの情報網信用してないわけか?」

「違うよ。ただ、警察の情報まで知っているなんて、すごいなと思って」

「……別にいいやん」


 ムスッとした顔で水練が顔を逸らす。

 風羽は続いて唄に目を向けた。


「ねえ、唄。これはお願いなんだけど」

「何かしら」

「探偵の挑戦、受けない方がいい」

「どうして?」

「嫌な予感がするからだ」

「どうして?」

「彼らは恐らく『怪盗メロディー』の一員を調べ尽くしているのかもしれない。こちらはあちらのことを全く知らないのにも関わらず、相手はこちらを知っている。どう考えても、僕たちは不利だ。それに僕は今回手を出せない」

「……そ、そうだ、唄。俺も、今回は止めた方がいいと思う。だって、別に唄は、絵画を盗みたいとは思ってないんだろ。別に、俺は探偵と戦わなくってもいいんじゃないか、ってずっと思ってて。風羽もこう言ってるし、どうなんだ?」

「……嫌よ」


 二人を交互に見てから、唄は断言する。


「ねえ、風羽。あなたが『叫びの渦巻き』を盗んで欲しいと言ったのよ。それなのにいまになってどうしてそんなこと言うの? あなたの言っていることもわかるけど。絵画は……お父さんは、いいの?」

「……それは、僕がどうにかするから」

「どうにもならないから私に頼んだんじゃないの?」

「だけど今回は明らかに不利だ。もっと探偵を調べないと」

「そうね。でも、早くしないと、あなたのお父さん取り返しがつかなくなるかもしれないわ。絵画には、意思があるのでしょ?」


 それでもいいの、と問うと風羽は考え込むように背もたれにもたれかかる。


「あとね、ヒカリ」


 ちょっと微笑みながら唄はヒカリを見る。


「私は、探偵と相対したいと思っているわ。だって、なんだか楽しそうだし。これでも、結構楽しみにしていたのよ」


 いつも学校では見せることのない唄の楽しそうな笑みを見たからか、ヒカリは複雑そうに微笑んだ。


「そうだな。風羽は使い物にならないから、俺がフォローするぜ」


 ヒカリはそういうと、うししと笑った。


「なんや、二人っきりの方がよさそうやなぁ」

「な、ななななんだよ。どうせお前、廃墟から出るつもりねーだろ」

「そうやけどなぁ。なんか気が変わりそうや」

「う、べ、別に、その方が効率がいいんだったら、俺は構わねぇよ」

「ヒカリが効率とか笑わせるなぁ」


 ニヤニヤと水練が楽しそうに微笑む。そんな彼女に目を向けた風羽が、思い出したかのようにスマホを操作すると、一枚の画像を表示させて水練に見せた。


「これ、トーナメント表だけど」


 トーナメント表を覗き込んだ瞬間、睡蓮が顔をこわばらせた。


「どうしたの?」

「あ、いや、何でもない」


 いつもの適当な方言を忘れたのか、取り繕うような笑みを浮かべた水練がスマホ画面から目を逸らした。


「あれ」


 そのとき、声をかけてくる人物がいた。

 その人物はコの字型になっている黒い段ボールの入り口からこちらを覗き込み、陰気臭そうに微笑んだ。長い前髪が邪魔そうで、その下から薄ら気味悪い目がこちら見ている。

 知らない人だ。

 四人は顔を見合わせ、それぞれ首を傾げた。


「なんだよぉ、オレのこと、知らねぇのかよぉ。オレだってバトルトーナメント参加するんだぜ」


 茶色く濁った眼が風羽を捉える。


「キミが、二年生の学年二位か。二回戦で当たると思うから、よろしくねぇ」

「……もしかして、根倉夕先輩ですか?」

「そうだよぉ。楽しみだね」


 にたにた笑う根倉夕は、手を振って去って行く。


「どうせ無理や。あいつ、一回戦で負けるよ」


 どこか不機嫌そうに、水練がぼやく。


「どうしてかしら?」

「だって、あいつの一回戦の相手、あたしの弟だし」


 その言葉で唄は画面にもう一度目を向ける。

 根倉夕の一回戦の相手は、七ッ星蓮見ななつぼしはすみという名前だった。


「蓮見は強いから」


 水練は、どこか淋しそうな微笑みを浮かべていた。

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