(3) 幻想祭のはじまり・下
二年A組の出し物は、『ドーナツ喫茶』だった。
目玉のドーナツは、文化祭委員長である夏目と料理上手な女子が作り置きしているため、それを紅茶やコーヒー、ジュースなどの飲み物と共にお客様のところに持っていくのがウェイターの役目である。
一日目の午前、ウェイター役の灰色優真は、ウェイトレス役の女子が受けてきた注文票を見て、そこに書かれてあるドーナツと飲み物をお客のところに持っていく。
「お待たせいたしました、ドーナツと紅茶です」
「ありがとう」
その声に、優真は思わず顔を上げる。
仕事を早く終わらせるため、なるべくお客の顔を見ていなかった優真は気づかなかったのだが、英が我が物顔でそこに座っていた。
そういえば、注文をとってきた女子が少し紅潮したような顔をしていたような気がする。周りの客も、ちらちらと英を眺めている。
薄い金髪を軽くウェーブさせた赤い瞳の外国人のような外見をしている英は、探偵として名を馳せていることもあり、外見と相成りその存在自体が注目の的となっているのだ。
沸き出てくる怒りを押し殺し、優真は愛想笑いすら浮かべることなく机の上にドーナツと紅茶を置くと、振り返りその場を去ろうとした。服の裾を、英が掴んでくる。
「ごめんね、優真。楓花にどうしてもバトルトーナメントを観たいってお願いされたから、きちゃった」
「てへっとすんじゃねぇ」
「楓花はあとから袋小路とくるのだけど……ちょっと、その前に時間ないかな」
「……あと一時間」
「わかった。じゃあ、また来るね」
英の手が離れたので、優真は答えることなくキッチンとなっている黒いカーテンの裏に戻る。そして小さくため息をついた。
◇◆◇
やっと、メイド服を脱ぐことができた。
男子の制服に身を包んだ帆足は、軽やかな足取りで校内を歩きだす。これからは自由時間だ。まだバトルトーナメントの出場までに時間があるので、二つ隣のクラスに顔を出したくなったのだ。
隣のクラスの二年B組は、お化け屋敷をやっている。中から悲鳴が聞こえてくるのに、通りがかったの外部客が驚いた顔をして、楽しそうにお化け屋敷を指さす。その光景を、受付の女子生徒と男子生徒の覇気のない顔が台無しにしていた。楽しい幻想祭のはずなのに。
(そういえば、このクラスの代表が企画したんだっけ)
二年B組からバトルトーナメントに出場することとなっていた
なんとなしに教室を眺めて、ふと帆足は疑問に思った。
そういえば二年B組のもう一人の出場者、七ッ星睡蓮とは一体誰なのだろうか。
他のクラスメイトの名前をすべて覚えているというわけではないが、学年一位という肩書きを持っている帆足は、他のクラスで目立つ生徒の名前ぐらいは把握していた。
それなのに七ッ星睡蓮という名前は、聞いたことがない。正確には、七ッ星という苗字には覚えがあるが、まさか理事長の娘が同じ学年にいるとは知らなかった。気になって、B組の生徒に七ッ星睡蓮の名前を訪ねてみたものの、同じクラスメイトですらその素性を知らない始末だ。
帆足はB組の前を通り過ぎ、その隣のクラスであるA組の後ろの扉からそっと中を覗いてみた。
(野崎さんは……いないのか)
思わず落胆してしまうが、気を取り直して帆足は歩きだす。中庭の屋台で昼を済ませようと思ったのだ。
「あれ、お客じゃないのか」
低く囁くような声に顔を上げると、後ろの扉を開けて男子生徒がこちらを眺めていた。その黄色のかかった白い瞳に惹かれて、帆足は思わず目を合わせる。
「中を除いているからてっきり客かと思ったんだが……。通りすがりか」
「あ、ごめんね」
お客だと思った相手にする態度かと思ったが、帆足はわざわざ出てきてくれた生徒に対して謝罪する。すると、茶色いボサボサの髪をくしゃっとしながら男子生徒が首を傾げた。
「あれ、あんた男?」
「し、失礼なッ。ぼ、僕はどこからどう見ても男だ! 制服だって男子用だぞ!」
「ああ、すまん。一瞬女だと思った」
反抗したくなる気持ちを抑える。相手は初対面の相手だ。帆足は中性的というより女性的な顔立ちをしているせいで、よく女子に間違えられることがあるのでこういうのも慣れている。冷静さを取り繕い、口を開く。
「僕は男だからな。今度から間違えなければそれでいい」
「……何だか随分と態度がデカいな」
「うっ。それは、癖だ。女に間違われるのは、好きじゃないんだ」
「それは、本当にすまなかった」
男子生徒は困ったように視線を彷徨わせ、トレーの上に乗っているドーナツに目を止めると、それを徐に帆足に差し出してきた。
「お詫びと言ってなんだが、これやるよ」
「それは売り物だろ。さすがに受け取れないよ」
「そう、だよな」
ドーナツを掴んだまま、またも考え込んでしまう男子生徒を哀れに思い、帆足はそのドーナツを受け取った。
「しょうがない。貰っておくよ。借りはいつか返す」
「別にいらねーよ」
「そうしないと僕の気が治まらないんだ。……そうだ。僕のクラス、メイド喫茶をやっているんだけど、ドリンク無料券をあげるよ」
「メイド喫茶? 興味ねぇな」
「……そ、そうか。男子だったらと思ったのだけど……。でも、借りはいつか返すからな」
「あー。はいはい」
教室の中から、「灰色くーん」という女子生徒の声が聞こえてくる。それに男子生徒が反応したので、
「僕は自分の言葉は曲げないからな」
帆足はそう言ってからその場を後にした。
「面倒だな」
背後から何やら聞こえた気がしたが、帆足は気にしないことにした。あんなに美味しいドーナツをくれたのだ。お返しは必ずする。そう決めた。
◇◆◇
二年A組の担任である山崎壱郎は、パトロールの腕章をつけながら校内を回っていた。
幻想祭は外部客が非常に多い。異能力者の通う学園だからだろう、中に撮影許可をもらうことなくカメラを構えるマスコミがいることもあるのだ。または、この学園に通っている能力者を狙った、裏の組織がいる可能性もある。
あくまで可能性で確証はないけれど、それでもこうして学園祭を生徒たちが盛り上げている最中は、先生が学園中を見回ることになっていた。
幻想祭はあくまで生徒の催し物だ。生徒が企画をして楽しむもの。
唯一バトルトーナメントだけ出場者を担任が決めることとなっているが、それは単純に生徒同士で決めさせた場合、無用な争いが出るためである。以前それが問題になり、出場者は担任が決めることとなっていた。詳しいことは、当時山崎はこの学園にいなかったため知らないけれど。
バトルトーナメントは、校舎から離れたところにある体育館で行われる。といっても、体育館内に幻想結界を張って行うため、外部どころか内部に被害が起きることなく、攻撃的な異能を持つ者でも存分に戦える環境が整っている。
幻想結界とは、とある一定の「場」の軸を歪ませ、全く違う空間を作る結界である。結界内で起きた被害は、結界が解けた際その「場」に影響を与えることはない。幻想結界は別空間を生み出す一番高度な結界のため、生徒で使えるのはいまのところ副会頭の淀野六だけだと把握している。淀野は結界を張る係のため、バトルトーナメントに不参加となっている。結界を作るのは淀野だけではなく、他の先生と一緒に行うこととなっている。残念ながら山崎は空想結界止まりなので、幻想結界を使えるというだけで、淀野には少し興味があった。
(別空間って、想像して保つの難しいですよね)
空想結界は、単純にその「場」を別の空間に見立てることでできる結界だ。結界が解けた際、中で起きた被害はその「場」に影響を与える。もしそれが人の沢山いるところで、炎が踊り狂ってでもいたら、結界が解けると同時に「場」でも炎が踊り狂い、阿鼻叫喚の嵐になる可能性がある。
そうならないように、バトルトーナメントは幻想結界を使うこととなっている。
「山崎先生」
「あれ、桐野先生。どうしたんですか?」
前からやってきた金髪の女性を眺め、山崎は柔和な笑みを浮かべる。
桐野レイカは、山崎の先輩である。もう三十は過ぎているだろうが、ハーフであることと容姿が若々しいため年相応にはみえない。金髪の髪を一つに束ねてポニーテイルしている彼女は、ふと視線を逸らす。
「いえ、ちょっと気になることがありまして」
「そうですか?」
山崎は辺りを見渡し、
「あ、もしかして」
中性的な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「娘さんのことが気になりますか?」
「……そう、ですね。それもあります」
はあ、とため息をつく。
「まさか、二人とも選ばれるとは思っておりませんでしたからね」
「ですね」
バツイチの桐野には子供がいる。しかも高校一年生で、双子だ。
桐野弥生と、桐野萌黄。一卵性双生児である二人の顔はとても似ており、日本人離れした金髪に、年齢にしては幼い顔立ちをしているため一年生の間ではちょっとした人気となっているらしい。
「これは、ますますバトルトーナメントが楽しみですね」
「……ええ、怪我がないといいのですが」
「どこまで行けると思いますか?」
「それは……あたくしの娘ですからね、決勝まで、と言いたいところですが、まだ一年生だから無理でしょうね。少なくとも娘たちは、あたくしと違って精霊を召喚できませんから、それも期待できませんね。一勝はして欲しいものですが……」
「まあ、どうにかなりますって!」
「あなたは……本当に気楽そうで素晴らしいですね」
「えー。褒められてるのかなぁ」
「少なくとも貶してはおりません」
適当に会話を交わすと、桐野が巡回を再開させるべく歩きだしたので、山崎も別方向に歩きだす。
(それにしても、今日は随分と人が多い)
幻想祭だから当たり前かもしれないけれど。
◇◆◇
トーナメント表の前に、三人の人物がいた。閑散としているそこで、三人は各々の表情でトーナメント表を眺めている。
「兄者よ、どうやらいないみたいだぞ」
「それなら良い」
「つまらないですわ。あたし、もう一人の兄者の勇姿を拝見したいと思っておりましたのに」
「もしあいつが出場することとなっておれば、私が止めていた」
「もう、つまらないですわ。相変わらずいけずですわね、織兄は」
「ははっ。まあいいじゃねーか。どころでどうするんだ、兄者。あいつは、やっぱ殺すのか? もともと死んでることになってんだからな。いまさらのこのこ出てきたところで、嘘偽りなく死んでもらった方がいいんじゃねぇか? 俺なら、殺せるぜ」
「まあ、青兄は野蛮ですわ。そんなんだから、力も碌に使いこなせないのですわ」
「あん? 朱ん坊は黙れよ」
「なんて失礼なのかしら。あたしは女ですのよ。坊と云われる筋合いはありませんことよ」
「お前なんて赤ちゃんなんだから朱ん坊で十分だろ」
「頭にきましたわ。なんでしたら、いまここで青兄に痛い目を見せてあげてもよろしいのですのよ!」
「はっはっはっ。朱ん坊には無駄なことだ。てめえの力で、俺様に勝てるわけがないだろ!」
「もうっ。ふふっ……わかりましたわ、本当にいますぐここでッ」
「二人とも静まれ。不毛な言い争いで、我らの家名に泥を塗るのは許さんぞ」
「も、申し訳ありません」
「ふんっ」
「これから別の仕事に赴かねばならない。行くぞ」
そして遠くから、トーナメント表を眺める集団がもう一つ。
白衣を纏った長身の男と、各々の好みの服に身を包んだ三人の女は、互いが好き勝手なことを口に出していた。
「ふふっ、はっははははっ! きたぞ、このワタシの時代がっ!」
「まあ、素晴らしいですワ、主様」
「主様、あそこにあル焼きそば食べたイぞ」
「ジー姉さまハ食い意地張りすギ」
「ジーてゆうな。何かジーちゃんみたタいでイヤだ」
「じゃあ何テ呼べばいイの?」
「う、うーん。次女姉さマ、とか」
「呼びづラいからイヤ」
「おい、お前たち。ワタシの言葉を無視するんじゃない! やっと、ここまでやってきたのだぞ! 長かった。ああっ長かった。逃げ出した最高傑作を、やっと捕まえられるのだ!」
「まあ、素晴らしいですワ、主様。ワタクシは、とても楽しみで仕方がありマせん」
「さすが長女だ。主を立てることを心得ておる。それに比べて次女と三女はいけないな! 失敗作だからか!?」
――そして、バトルトーナメントが開始される。
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