(6) 犯人

 天津帆足が登校してくると、二年生の教室が建ち並ぶ三階が、何やら騒がしかった。階段を上ってすぐのところにある「二年A組」の教室が、騒ぎの元凶だろう。帆足は沢山の生徒をかき分けながら、何事かと覗き込もうとした。。

「あ」

 ちょうど唄が教室に入って行く後姿が見えた。自然と目で追い、帆足は空いているところからA組の教室を覗き込む。

「これって」

「あ、帆足ちゃん」

 同じクラスの女子生徒が帆足を見つけて話かけてくる。

 帆足はいつもだったら「ちゃん」付けしたやつらを怒るのだが(笑われるけど)、いまは目の前の光景に呆気にとられてそれどころではなかった。

 「二年A組」の教室が荒らされている。

 幻想祭準備の途中だったのだろう。

 看板が折れ、窓が割られ、黒板も割られ、このままだと幻想祭はもとより今日ある授業にも差し障るだろう。

 授業は今日で終わり、明日からは二日間は準備期間として一日中授業は行われない。そして三日後に、幻想祭がある。

 隣にいる女子生徒に帆足は何があったのか尋ねた。

「今朝、このクラスの生徒がきたときにはこれだったみたいよ。昨日は何ともなかったらしいから、昨日の下校後から朝までの間に何かがあった、と思われるって。よくわからないけど。あ、他のクラスは無事みたいよ。他の学年もね。何故かこのクラスだけだって」

「どうして、のざ……A組だけ」

「さあ、ってあ」

 女子生徒が廊下に目を向けて見開く。帆足は視線を追い、そこにいる人物を見つけると思わず背筋を伸ばした。

 他の生徒も気づき騒ぎ出す。

「生徒会長だ」

「副会長もいるわね」

「あれ、D組の水瀬さん。確か生徒会書記だっけ」

「なんで先生じゃなくって生徒会?」

 三人の男女がそこにいた。

 一人は、肩ほどある黒髪を女子みたいに後ろで一つ縛りをしている、男子生徒――吉祥寺きちじょうじシンヤ生徒会長。

 彼の背後でむっつりと口を引き結び難しい顔で佇んでいるのが、淀野六よどのむい副会長。吉祥寺よりも身長の高い彼は、まるで立ちはだかる壁のようである。

 そして生徒会長の隣にいる、色素の薄い長い髪の女子生徒が、水瀬雫みなせしずく。二年生にして生徒会書記をしている秀才である。だが本人は目立つのを好まず、いつも静かに気配を消している。

「通してくれ」

 吉祥寺が帆足の前ほどまでくると、周囲を見渡してそう言った。

 さっと波のように生徒が道をあける。その間を生徒会の連中が入って行く。

「あれ」

 その時、帆足は気づいた。淀野の巨体の影で、一人の女子生徒が隠れるかのように怯えているのを。



    ◇◆◇



(うっそ。やっべー。生徒会長のお出ましじゃん)

 ヒカリは思わず背筋を伸ばす。近くにいた唄が隠れるように一歩後ろに下がった。

 吉祥寺は静かな足取りで教室の中まで歩いてくると、教室の惨状を確認してから口を開く。

「これは酷いねー」

 どこか間延びした、緊張感のない声だ。口元に笑みを浮かべているが、瞳は冷静に周囲を観察している。吉祥寺の背後に淀野が佇み、その淀野の隣にヒカリと同じ二年生にして生徒会書記の水瀬雫が影のように付き添う。

 ヒカリの友人のお菓子作りが大好きな幻想祭実行委員――夏目なつめが一歩足を踏み出して吉祥寺に緊張した面持ちで声をかけた。

「せ、生徒会長ッ、あの」

「うん? ああ、犯人探しでもする?」

 夏目の言葉を最後まで聞くことなく吉祥寺が口を開くと、困ったような顔をした。

「だけど残念だね。もう犯人はみつかった」

 その言葉に教室中が騒めく。

 吉祥寺が右手を上げると、しんと静まり返った。

 ヒカリは息を飲む。

(犯人がみつかっただって?)

 さすが生徒会長仕事が早い。と感心している場合ではない。いったい、これをやった犯人は誰なのか。

 吉祥寺が右手を降ろすと、それを待っていたかのように淀野が一人の女子生徒の背中を押して前にやった。

「犯人だ」

 重く低い声が響き、数多の視線が女子生徒に集中する。

 ひぃと顔を引き攣らせ、大人しい色合いのショートカットの女子生徒が下を向いた。

「あれって、隣のクラスの委員長っ!」

涼宮志麻すずみやしおじゃん」

 ヒカリは首を傾げる。名前にも顔にも見覚えはなかった。だけど背後の唄が何か納得したように頷いた。聞こうかと思ったが、この緊張感による静けさの中で話かけると声が駄々漏れで目立ってしまうので、いまはまだこらえる。

 夏目が志麻から視線を逸らし吉祥寺に戻すと、困惑した顔で尋ねる。

「どうして、彼女が?」

「それがね、本人も分からないんだって」

 どこか適当な吉祥寺の言葉。

「本人も、って、どういう?」

「涼宮志麻君は、B組の委員長で、バレー部にも所属しているのは知っているよね。部活の後片付けの片手間に自主練をしていたら、他の部員が帰っちゃって、彼女一人で、夜……八時過ぎだっけ。まあ、一人で帰ることになったから、路地裏を急いで通ろうとしたらしいよ。そうしたらいきなり意識を失って、気づいたらこのクラスをめちゃくちゃにしたあとで……って、本人がしたかはわからないらしいけど、それでも彼女の能力を考えるとあり得るからね。俺はきっとそうだと思っているよ。つまり、ね。涼宮志麻君は知らずのうちにこのクラスをめっちゃくっちゃにして、気が動転して帰ってしまいましたー。そうして次の日起きてから気になって気になって仕方がないから、生徒会に相談に来たんだよね? そんな感じ?」

 両手を広げて楽しそうに適当に話す吉祥寺は、それでもやっぱり目は笑っていない。どこか退屈そうだ。もともとこういう人だ。生徒会のことはよく知らないが、吉祥寺を敵に回すと怖いらしいと噂で聞いたことがある。

「わ、私は、関係ないッ!」

「関係なくないよ?」

 志麻が青ざめた顔で声を上げるが、吉祥寺がきっぱり言い切る。

「これは君の能力の所為なのは間違いない。いま、俺の目で見て確信した」

「……どうして、私の能力を知っているんですか」

「そんなの俺が生徒会長だからじゃ、だめ?」

 きょとんとした顔をする吉祥寺に、志麻が目を向いたが、俯き下唇を噛む。

「……ッ」

「まあ、そんなことはおいといて。君は路地裏で意識を失う前に、何かあったと言っていただろ。確か、赤いものが見えたって。ちょうどいいや。ここに結構人が集まっているし、みんな、赤いもので人の意識を操れるものって知らない?」

 静かな騒めきが辺りで起こる。クラスメイトも、他のクラスの生徒も顔を見合わせるが互いに首を振る。何も知らないらしい。

 ヒカリはそっと背後を見るが、目が合った唄は首を振った。ヒカリももちろん知らないので、困惑顔のまま吉祥寺に視線を戻す。

 困ったような顔をした吉祥寺が、パンと集中を促すように手を打ち鳴らす。

 再び静寂が場を満たす。

「まあ、そうだろうと思ったよ。まあ、いまそんなことどうでもいい」

「どうでもよくないですよ。……あと幻想祭まで三日ですよ。いまの状態で、俺らのクラスの出し物、何もできないじゃないですか」

 夏目が若干声を荒げる。だが、吉祥寺は変わらぬ表情で適当に答える。

「ああー。それは大丈夫だいじょーぶ。……淀野」

 呼ばれた淀野が「うむ」と声を出した。身長が高く体格がいいが、決して太っているというわけではなく引き締まった体を動かしながら、教室の中心に立つと胸に手を当てて目を閉じる。

 しばらくして、彼の周囲に白い淀み見たいな靄が現れる。それはどんどん教室を侵食していき、気がついたら辺り一帯が靄で覆われている。

 集まっている生徒が息を飲む。

 真っ二つに折れていた看板も、剥がされていた装飾も、割れていた窓も、亀裂が奔っていた黒板も、散らかっていた机や椅子も、まるで何事もなかったかのように、昨日下校前の状態に戻って行く。

 まるで映像の逆再生をしているかの光景に、唄が思わず吐息を漏らす。

 一分ほどで教室を修復し終えると、淀野は目を開けて胸から手を離した。一歩後ろに下がる。

 うんと頷き、吉祥寺が教室にいる生徒を見渡してから口を開く。

「これで元通りだ。めでたしめでたし」

「……あの、涼宮さんはどうなるのですか?」

「ん? 犯人の心配? 君は……夏目君か。まあ、安心してよ。彼女が犯人かどうかなんてどうでもいいけど、まあ、ちょっと一週間ぐらい停学してもらうぐらいだからさ」

「え」

 唖然とした顔で志麻が吉祥寺を見る。

 吉祥寺は口元に笑みを浮かべたまま、当然のように言い放った。

「行為にしろ違うにしろ、君がやったことには変わりないんだ。だから、君は幻想祭に参加できない。つまり、わかるよね?」

 志麻が首を振りながら後ろに下がる。

「嘘ッ。どうして。やっと」

「君は、バトルトーナメントに出場できない。それも当然だよね。幻想祭の目玉のバトルトーナメントは、異能を披露する場でもある。それに君みたいに事件を起こした生徒が出場するのは許されないよ。だから、大人しく停学してね」

 有無を言わせない言動に、志麻が怯えながら小さく頷いた。

 満足そうに彼女を眺めた祥寺は、周囲を見渡すと手をひらひらさせた。

「じゃあ、もうそろそろ予鈴が鳴るし、俺たちはお暇するね。淀野、雫、戻るよ」

 呼びかけられた淀野と雫が「はい」と小さく返事をする。

 淀野は志麻を連れて教室を出て行く。吉祥寺は雫に何か囁くと、二人は振り向くことなく教室を後にした。

 残されたA組の生徒と野次馬連中が、それぞれ周りの人と顔を見合わせる。

 みんな靄が晴れないような、なんとも言えない顔をしていた。

 ヒカリは背後を振り向く。

 唄も難しい顔をしていた。

「あれ、そういえば」

 ヒカリはふと教室を見渡して気づく。

(風羽はどうしたんだ)

 もうすぐ予鈴が鳴るというのに風羽はまだ登校してきていなかった。

 タイミングを図ったかのようにヒカリの携帯が震える。

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