(5) 事件
警視庁のとある一室。
ふと眉の厳つい顔をした刑事――勝が重い口を開いた。
「佐々部」
「はい?」
軽い調子で言葉を返すのは、若い男性刑事。まだ二十五歳の彼は、警察でも有数の異能力を持っている刑事だ。紺色の髪は肩につくほどまで伸ばしており、着ているスーツはどこぞのホストだと思われるぐらいの派手さ加減。極めつけにピアスを左右合わせて八つとネックレスを二つ付けているのをみて、誰が彼を刑事だと思うのだろうか。
それでも彼は、警察手帳を持ったれっきとした刑事だった。
室内の視線が佐々部に集まるのをものともせず、ひょうひょうとした様子で彼は勝に目を向けた。
もう諦めてため息をこぼすしかない勝は、それでも少し佐々部に期待しているのだ。彼はこう見えて鋭いところがある。それは評価できるものの、それでもやはりこの態度は他の刑事に示しがつかない。佐々部自身、異能力者だということで他の刑事から一目おかれているものの、それでもいまのままじゃ上からまた何を言われるか分かったものじゃない。
『怪盗メロディー対策班』
それが、勝と佐々部の配属されている部署だった。
前に、メロディーが狙った『虹色のダイヤモンド』は佐々部が無事に守り切ったものの、それでもメロディーを捕まえるまでには至らなかった。しかもそのとき、異能をよく思っていない連中が「佐々部が逃がしたんじゃないの」と声を上げて、当事者の佐々部をよそに大騒ぎにもなっていた。
それでも佐々部は、少しも気にすることなくぱらぱらと机の上の資料を捲っている。
興味なさそうな顔だ。
それでも今回の事件は、警視庁では非常に重要だということを彼は分かっているのだろうか。
今回、怪盗メロディーが狙っている宝物は公にされていないものの、勝たち刑事はもちろん知っている。
『叫びの渦巻き』と呼ばれる絵画で、所有者は――警視総監、喜多野風太郎だった。
対策室には、その当事者の喜多野風羽太郎もいる。彼は勝の隣で座り、静かな目で佐々部を睨んでいた。
注意しようと声をかけたが、馬鹿らしくなり勝はため息をつくと会議を開始した。
暫くして会議が終わり、佐々部がゆっくりと席を立つ。それを見計らったかのように、喜多野警視総監がゆっくりと口を開いた。
「君が、佐々部君か」
「はい?」
軽い調子で返事をする。
佐々部はその場から動くことなく、喜多野を見た。
(こっわ)
彼からは威圧感を感じる。おくびも表情に出すことなく佐々部は視線を交錯させる。
喜多野がこちらに来いというように顔を動かしたので、渋々佐々部は机を避けて近寄って行った。
勝が何かを言いかけたが、佐々部は喜多野から目を逸らさない。それほどまでに喜多野の纏う雰囲気は、ちょっと異質だった。
(あれ? 前あった時の警視総監さんって、ここまでまがまがしかったっけ。といっても遠目に幾度か見たくらいだけど)
首を傾げそうになり、佐々部は慌てて表情に出すことなく姿勢を保つ。
喜多野は静かに佐々部の目を見つめながら口を開いた。
「君は、確か能力者だったかな」
「……そうですが」
「今回は期待しているよ。是非とも、君の力で私の大切な絵画を守ってくれたまえ」
「自分ですか? いや、もちろん自分も力を精一杯出し切って頑張りますが、でも、一人で守り切れるとはとても思えませんよ?」
「いや、君がやってくれ」
「……なぜ、でしょうか」
嫌な予感がして、警戒心を解くことなく佐々部は訊く。
「異能力者の君でなければ意味がないのだよ。私が所持しているあの絵画は少し特殊でね。簡単に人の心を喰ってしまう」
(喰ってしまうとは、また……。しかもそれを知りながらも所有している、ね)
喜多野は体を乗り出すと、小声で佐々部だけに聞こえるように呟いた。
「……自分の体のことは、自分でもわかっているつもりだ。それでも私はあの絵画がなくては心が休まらないんだ。君ならどうにかしてでも、怪盗を追い払えるだろう。今回は探偵も呼んでいる。能力者同士どうにかしてくれ」
懇願のような、逃れられない頼み。
佐々部は表情を変えることなく、応えた。
「仕事ですからね」
それで会話が終わったのか、喜多野は無言で立ち上がると部屋を後にする。
勝に話の内容について訊かれたが、佐々部は愛想笑いで誤魔化した。
(いやぁな予感的中、てか。ああ、いやだいやだ)
この仕事自体が嫌じゃない。
佐々部が嫌なのは――苦手としているのは、あの探偵だった。
(ああいういかにも温厚そうに人当たりの良い笑顔を浮かべている人って、苦手なんだよね)
そう思う佐々部も、また似たような笑みを浮かべているのを本人は棚に上げて囁く。
「めんどーだ」
そして同時にこう考えてもいた。
(怪盗メロディー、か。警察にもわからない情報、あいつなら知っているかな)
◆◆◆
もう夜遅い。部活のあと、後片付けの片手間に自主練をしていたのに思わず集中してしまい、他の部員が帰ったことにも気づかなかった。
女子生徒は家への近道にと、普段通ることのないごみの悪臭が漂う路地裏を通り抜けることにした。
しばらくして、女子生徒は足を止める。
(いま足音が)
気のせいかと思い顔を上げると、そこに漂うものに女子生徒は一歩慄く。
(なにこれ、赤い……)
どこからか甘い匂いがする。
それを知らずに嗅いでいた女子生徒の意識は遠のき――三十分後、気がついたときにはもう遅かった。
意識が戻り、目の前に広がる光景を青ざめた目で眺めると、女子生徒は慌ててその場を後にする。
(関係ないし!)
◇◆◇
時間はあっという間に過ぎ、幻想祭まであと三日を切った日。
野崎唄が登校してくると、『二年A組』の教室が何やら騒がしかった。違うクラスの生徒までが教室を覗きこんでいる。
教室に入れず、唄は眉をしかめる。
「唄」
遅れてやってきたヒカリが傍に立つ。彼は人混みを訝しげに眺めながら、「ちょっと失礼」と言いながら生徒をかき分けて教室に入って行く。唄はするりとそのあとに続いた。
「なんだぁ、これ」
「なに。これ。どうして」
目の前に広がっている光景に、唄とヒカリは息を呑んだ。
『二年A組』の幻想祭の準備は、あとは買いだしだけだった。明日にでも、買いだし班が買いだしをして、あとは幻想祭を迎えるだけだった。
店の看板は一か月も前に出来上がり、ここ数日の間に部屋の装飾も徐々に終わらせていた。
それなのに――。
看板は真っ二つに折れ、装飾は剥がされ、一部の窓は割れ、黒板には亀裂が奔り、机やいすは綺麗に並べられていたのにもかかわらずぐしゃぐしゃになっている。
『二年A組』の教室は、何者かによって荒らされていたのだった――。
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