(2) 翻弄される者・上


 人気のない早朝の図書室。奥のもっとも陽の当たらない場所。

 丁度そこは図書室の入り口からも死角になっており、たまに唄も作戦会議などに利用している。

 そこに、唄に無理やり腕を引かれるかたちで風羽がやってきた。先に来ていたヒカリは、いつにない唄の行動に、「おぅ」という間抜けな声を出してしまった。

 無表情で連れて来られた風羽は唄の隣に座ると、感口一番声を上げる。


「で、どうして僕をここに連れてきたんだい?」


 風羽の言葉に、唄は眉間にしわを寄せる。


「朝のニュース観てないの?」

「ニュース?」

「……『叫びの渦巻き』」

「ッ」


 ピクッと風羽が眉を動かした。


「え? なに、それ?」


 一人だけ話に置いてけぼりにされているヒカリは、負けずと声を出す。

 いくらか冷静さを取り戻したのか、唄は普段通りの仏頂面で淡々と答えた。


「風羽から依頼があったの。風羽の家にある『叫びの渦巻き』を盗んで欲しいって」

「え? 風羽の家?」

「どうやら風羽のお父さんが、その絵画でおかしくなったみたいでね。風羽一人の手ではどうしようもないから、『怪盗メロディー』として盗んで欲しいみたいよ」

「で、やるのか?」

「まだ決めてない。……いえ、決めてなかったの」

「どういう意味だ?」


 ヒカリは首を傾げる。


「考えている、途中だった」

「だった?」

「そう。だったの。風羽が言うには、『叫びの渦巻き』には意思があるみたいだから」

「意思って、え? あの、『虹色のダイヤモンド』と同じの? うっそ」

「嘘だと、私も助かるのだけれど」


 唄が嘆息する。


「けど、本当に意思があるのなら、私の手には余るかもしれない」

「……だから、悩んでいるのか?」

「そうね。もう悩む必要はなくなったけれどね」

「え? どういう意味だ?」


 ゆっくりと唄が横目で風羽の顔を見た。


「『花鳥風月探偵事務所』って、知ってる?」

「……聞いたことがあるよ。前に、うるさいぐらいニュースがやっていたからね。……ああ、そうか。そういえばあの探偵、『怪盗メロディー』を捕まえるとか何とか言っていたっけ?」

「ええ」

「探偵! うお、なにそれ俺いま初めて知ったんだけど!」

「あなた、テレビ観ないの?」

「バラエティしか観ねぇ」


 めんどうそうに唄が息を吐いた。


「地方で活躍している探偵がいたみたいなの。結構有名らしいわ。その探偵が、何を思ったのか一家全員で、乙木野町に越してきたみたいなの。この間までうるさくニュースでも取り上げられていたわね。で、その探偵――『花鳥風月』といえばいいのかしら――が、『怪盗メロディー』に宣戦布告したのよ」


 それを唄はテレビ越しに聞いていた。

 彼女と幼馴染であるヒカリはその時の光景が、まるで見てきたかのように脳裏に浮かび上がる。唄は、恐らくその喧嘩を買ったはずだ。負けず嫌いな彼女ならやりかねない。


「で、どうするんだ」

「十一月六日。幻想祭の一日目にね、戦うことになりそうよ」

「な、なんだって!!」


 立ち上がると、ヒカリはおろおろと辺りを見渡す。


「って、あと二週間もないじゃんかよ。どうするんだよ。戦うって、相手は探偵だろ。あ、でも能力者じゃなかったら大丈夫か? そういう問題じゃない!? 俺、どうすりゃいいんだ!」

「取り乱してみっともない。シャンとしなさい」

「……すみません」


 いくらか気持ちを落ち着かせ、ヒカリは再び椅子に座る。図書室に他に人がいなくってよかった。いまの台詞を聞かれていたら怪しまれてしまう。

 ヒカリは胸を撫で下ろした。


「で、その探偵が今朝のニュースで言っていたの。『怪盗メロディー』が挑戦状を出したって。どうやら、メロディーは絵画を盗もうとしているみたいよ」


 チラリと、風羽の顔を盗み見る唄。

 風羽が眉をピクッとさせ唄に視線を向けた。


「なるほど、そういうことか。どうして僕がここに連れて来られたのか分かったよ。君は、もしかしなくとも、僕が挑戦状を出したとか勘ぐっているんじゃないのかい?」

「そうよ」

「僕は挑戦状を出していないよ。予告状もね。というより探偵と相対したいと、君自体も望んでいないだろうし。僕もそうだ。『怪盗メロディー』である君に頼まれたら別だけどね。少なくとも僕は何もしていない」

「……そう。まあ、いいわ。とりあえず信じましょう」

「助かるよ」


 やれやれと肩の力を抜き、風羽がため息をつく。


「となると、誰が挑戦状を出したのか気になるわね」

「可能性としてはいくらかあるけど、いま言えるのは二つかな」


 風羽が人差し指を立てて言う。


「一つ目は、探偵の自作自演」


 続いて中指も立てる。


「二つ目は、睡蓮」

「水練?」

「そう、睡蓮だ」

「一つ目はまだ可能性があるにしても、水練は『叫びの渦巻き』の存在を知らないのだから、どうしようもないんじゃないかしら?」

「ああ、てっきり君が教えているかと思ったんだけど、そうじゃなかったんだね」

「ええ。本当はね、調べてもらおうとしたのだけど、あの子もいろいろ大変みたいだから」

「そういえばそうだね」


 風羽がうっすらと笑う。

 そんな風羽を唄が横目見て呆れた顔をした。

 一人だけ会話に入れてもらえないヒカリは口を開こうとして、それでも何も言うことが思いつかないので口を閉じると、ムスッとした顔で窓の外を見た。


(どうして俺呼ばれたんだろ)


 この二人を残していますぐこの場を立ち去りたかった。


「他の可能性は?」

「……いや、あとのは絵空事みたいに確証はないから言えないよ。……やっぱり探偵かな。そうすると、厄介だね」

「そうね」


 唄が険しい顔をする。

 何がなんだかわからずに、ヒカリは首を傾げた。


「もしかしたら、私たちの正体まで辿りついているのかもしれない」

「それはやべぇな」


 たらり、と冷汗が頬を伝う。

 ヒカリが汗を拭うと同時に、図書室に誰かが入ってくる音がした。

 唄が顔を上げる。

 風羽は静かに立ち上がると、小さく口を動かして「放課後、外で。ヒカリに連絡する」というとその場を後にした。

 唄が何かを言おうと口を動かし、ヒカリがそんな唄に目を向けたとき、風羽の去った方向から声が聞こえてきた。


「き、喜多野風羽君! や、やあ、久しぶりだね」


 少年にしては高い、中性的な声だ。

 ヒカリが顔を向けると、そこでは風羽と男子の制服に身を包んだ生徒が相対していた。

 その生徒は男子の制服を着ている。けどそれにしては顔立ちは中性的というよりも女性的で、「君」よりも「ちゃん」をつけたくなるほど可愛らしい顔立ち。

 ヒカリは彼のことを知っていた。というより、二年生で知らない人は少ないだろう。知らないのはあの転校生と、学校にきていない水練ぐらいか。

 『二年C組』の委員長にして学年一位、幻想祭の『バトルトーナメント』にも出場が決まっている男子、、生徒――天津帆足あまずほたるがそこにいた。

 帆足は身長の高い風羽の顔を仰ぎ見て、胸を張りこう宣言する。


「喜多野風羽君。バトルトーナメント、絶対に君に勝つからね!」


 静かな目で彼を見て、風羽はゆっくりと頷く。


「そうだね。やるからには全力にやらないと。……けど、トーナメントの発表は幻想祭当日だから、君と戦うことになるかどうかはまだ分からないよ?」

「ひ、一言多いやつだな、君は」


 帆足が不愉快そうに顔を歪める。

 風羽はそれで会話を終わりだと思ったのか、彼の横を通り過ぎて図書室を出て行った。


「全く。僕はいつも……ん?」


 うなだれて肩を落とす帆足がこちらに気づき、ヒカリと視線が合う。

 「やぁ」とヒカリは手を上げた。

 帆足はヒカリから目線を逸らし、唄の姿を見つけると瞬間顔を真っ赤にした。


「お、おおおおじゃあぁあ僕はッこれでぇええ!」


 踵を返すと着替え中に部屋を覗かれた女子のように図書室を後にする。

 ヒカリは手を上げた姿勢のまま首を傾げた。


「どうしたんだ、あいつ」

「知らないわよ。……それよりもあなた、いつまでここにいるの?」

「いつまでって?」

「もうすぐ予鈴が鳴るじゃない。あなたが早く教室に戻ってくれないと、私が遅刻しちゃうわ」

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