第三曲 幻想祭/前夜祭

(1) 挑戦状

 朝はいつも通りやってくる。

 いつもの時間。規則正しく目を覚ました唄は、ベッドから抜け出すと寝間着から制服に着替え、栗色の髪を鏡を見ることなく三つ編みで結ぶと、リビングのある一階に降りていった。

 食卓で父が新聞を読みながら朝食を食べている。母はキッチンで夕食の仕込みをしているところだった。


「おはよう」

「おはよう、唄」

「おはよう、唄。ご飯すぐに用意するわね」


 リビングのテレビでは朝のニュースがやっている。父が新聞を読む合間にちらちらと画面に目を向けている。

 なんとなくテレビを眺めながら、唄は母が運んでくる朝食を待っていた。

 テレビではニュース番組がやっている。とあるビルが映っており、唄はどこかで見たことがあるような気がして記憶を探ろうとする前に、ビルの看板が画面に映った。


 『花鳥風月・探偵事務所』。


 唄は目を少し開く。

 それは数日前に、『怪盗メロディー』に宣誓布告をした探偵のいる事務所だ。

 あれから特に何も起こることなく、唄自身も風羽や水練のことでいろいろとあったから忘れていたが、そういえばあの時、あの探偵が言っていたっけ。


 ――『僕は、怪盗メロディーを捕まえるために、この町にやってきたのです!』


 (そろそろ、何か仕向けてきてもおかしくないわね)


 正直、幻想祭前のこの時期に盗みをしようと唄は思っていないのだが、それでも少しでも気を紛らわすために、こういった催し物に興味があった。

 女性のリポーターが事務所に招き入れられると、彼女の前に黒髪を後ろでふんわりと一つに結った女性がお茶を置いた。もう一つお茶を机の上に置き、お辞儀をすると女性はカメラの外に姿を消す。しばらくして、金髪をパーマした男性がやってくる。赤い瞳を優しげに歪め、人の良さそうな笑みのままリポーターの前のソファーに腰を下ろした。


『さて』


 まるでどこかの探偵のような口ぶりだ。と思ったが、この男は探偵だった。

 これから謎解きでもするのかと思ったが、どうやら違うようだ。

 リポーターが口を開く。


『英さん。今日我々をお呼びした件とは、いったいなんの用件でしょうか?』


 固い女性の口調に構うことなく、英と呼ばれた男性はカメラ目線で言うのだった。


『昨日の夜、とある方からご相談をいただきまして』

『とある方とは?』

『それは依頼人のプライベートに関わることですのでお答えできかねます。ただ』

『ただ?』

『今回の依頼はとても興味深いものでしてね』

『というと?』

『とある怪盗から、絵画を守って欲しい。という依頼です』


 唄の眉がぴくっと動く。


『そ、その怪盗とは……もしかして』

『はい。お察しの通りです。って、一週間ほど前にテレビでも言っていたのですぐわかりますよね』


 コホンと咳をして、赤い瞳の男性が真剣な顔で口を開いた。


『十一月六日。怪盗メロディーが僕に挑戦状を送ってきました』

『なんとっ!』


 わざとらしいリポーターの声。けれど、唄の耳に入ってこなかった。

 父の胡乱気な目がこちらを見る。母も心配そうな顔で唄の傍までやってきた。


(どういう意味?)


 困惑して、唄はテレビ画面から目を離すことなく考える。


(風羽が、勝手なことをした?)


 その可能性がなくはない。でも風羽がそこまでするとは思えなかった。


(これはすぐに確認しなくっちゃね)


 唄は母が運んでくれた朝食に口をつけながら、もう一度テレビに目を向ける。

 風羽が勝手に予告状を出すとは考えたくないけれど。だけどもしも風羽ではなかった場合、どうしてよりにもよって探偵は「絵画」と口にしたのだろうか。

 ただの偶然なのだろうか。


(この探偵、もしかして……。能力者)


 だとするのなら、もっと用心したほうがいいかもしれない。

 こちらは、探偵の情報をまだ何も知らないのだから。


(……水練。頼んだら応じてくれるかしら)


 もしこれが、探偵からの挑戦状だとするのなら、唄はそれを受ける腹積もりだ。

 何といっても、唄は負けず嫌いなのだから。


(十一月六日って、幻想祭の初日ね)



    ◇◆◇



 ヒカリが家から出ると、向かいの家に住んでいる幼馴染の唄が道路をかけていくのが遠目に見えた。


「って、早! じゃなくって、唄どうしてあんなに急いでいるんだ?」


 まだ八時前だ。学校に遅刻するような時間じゃない。

 ヒカリは懐から携帯を取り出して、友人たちに「一緒に登校できなくなった」とメールをいっせい送信すると、もうとっくに消えた唄の背中を追いかけるべく走り出す。ヒカリの運動能力は高校生男子の平均のちょっと上で、運動神経がよすぎる唄に比べると瞬発力とかで劣ってしまうが、それでもヒカリは彼女を追いかけたかった。


 暫くして足を止めると、ヒカリは目を閉じる。

 一部の能力者は、他の能力者の〝気配〟を感じとることができる。〝気配〟と言ってもそれはあやふやなもので、人によってそれぞれ異なる。他人曰く、ヒカリの気配はピリッとする辛子のようだと言っていた。


 ヒカリが〝気配〟を感じとれる範囲はあまり広くない。

 それに唄がこの近くにいる確信もあるわけじゃない。


(学校までの道のりにいればいいんだけどなぁ)


 神経を集中させる。辺りにいる、能力者たちのいろいろと混じった〝気配〟を振り払いながら、ヒカリは自分が一番好きな気配を探し当てる。


(まだ近くにいる!)


 いくら唄の足が早いからといっても、信号で足止めを受けているのかもしれない。

 瞬間的に通り過ぎていく〝気配〟をヒカリは追いかけるために走り出す。

 暫くすると、信号待ちをしている栗色の髪を三つ編みにした女子生徒の後姿を見つけた。


「唄」


 近くに寄り声をかける。


「ヒカリ」


 訝しげな顔で唄が振り返る。

 ヒカリは満面の笑みを浮かべた。


「おはよう」

「……おはよう。もしかして、私を追いかけてきたのかしら?」

「いやぁ。なんか急いでいる様子だったから、つい」

「……まあ、ちょうどいいわ。ヒカリもついてきて」

「え? どこに?」

「図書室」


 短く伝えると、青信号に変わった横断歩道を唄が猛スピードで駆けていく。

 目立つことを嫌っているはずの彼女の様子に、ヒカリは不安を感じながらも唄の背中を追いかけて走り出す。

 途中で見失ってしまった。一緒の方向に走っていたはずなのに。

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