(3) 翻弄される者・下
(『叫びの渦巻き』、か)
とある絵画の名前を口の中でころがしながら、優真は静かに瞬きをする。
空き教室に隠れる優真の視線の先には、喜多野風羽がいた。図書室から出てきた彼は、真っ直ぐ教室のある方向に歩いて行く。
(まさか、中澤ヒカリを追っているところに、野崎唄と喜多野風羽がくるなんてな)
フンと鼻を鳴らす。匂いは前を通り過ぎていった。
優真は昨夜のことを思い出す。
探偵事務所に届いた一通の手紙を握りしめ、英が顔をほころばせて楽しそうにはしゃいでいたことを。
『まさか、怪盗メロディーのほうから僕に挑戦状を送り届けてくれるとは思わなかったよ!』
英はそのまま、スキップしそうなほどうざい表情で優真をイラつかせたあと、テレビ局に連絡をして今朝のニュースの出演を取りつけたのだ。
どうやらメロディーから、「叫びの渦巻きを盗むから宝石を盗んでみろ」というような挑戦状を受け取ったらしい。
優真は、風羽のあとに続くように廊下を駆け抜けていく女みたいな男子生徒の背中を眺めながら思う。
(なんで、英はあんなにも『怪盗メロディー』にこだわってんだ)
――『怪盗メロディー』の存在なんて、一か月前まで知らなかったくせに。
一か月前、それまで学校に通うことなく一日中家にこもって、楓花の遊びの相手をしたり、絵本を読み聞かせたりしていた優真を呼び出し、英はこう言った。
『優真。引越しをしよう』
楓花と一緒にいられるならどこでもいいと思っていたので優真は考えることなく頷いた。そしてどうしてなのか幻想学園に通うことが決まっており、いやいやながらも現在も学校に登校してきている。
優真は考える。
(どうして、あいつは『怪盗メロディー』を捕まえようとしてんだ?)
思い当たる節は――ない。
全くない。
英の目的も、わからない。
優真はスンと鼻を鳴らし、廊下を歩いていく中澤ヒカリの後姿を眺めながら、考える。
(喜多野風太郎か。名字、同じだよな)
こんな偶然が、あるのだろうか。
茶色くボサボサになっている前髪をちりちりと触りながら、優真は考える。ちょうど野崎唄の後姿が消えていったところだ。
予鈴が鳴る。
優真は空き教室から出ると、図書室に入って行った。
一時間目の授業には出席するつもりはなかった。暫く考え事がしたい。
一番人目につかなそうな奥にある陽の当たらない席に座ると、優真はここにくる途中本棚で見つけた楓花の好きそうな絵本を数冊机の上に置き、その内の一冊を捲りながら考える。
(楓花に害はないのか)
◇◆◇
かちゃり、と英の前にブラックコーヒーの入ったティーカップが置かれる。
お盆を持ち一礼をして去って行こうとしている袋小路のふわりとと結ばれている黒髪を眺めてから、英は慌てて彼女を呼び止めた。
「袋小路」
「はい。何でしょうか?」
その場でくるりと振り向く袋小路。能面のような顔に表情はないが、鋭い灰色の瞳が英を突き刺すかのような光を放っている。ふんわり後ろで一つにまとめられた黒髪が揺らぐ。彼女はいつの間にか英の前にいた。
回転椅子に座り事務机に頬杖をつきながら、英は温厚な笑みを絶やすことなく目を細めると切り出した。
「首尾は?」
「上々」
「それはよかったよ」
「用件は、それだけでしょうか?」
「いや、他の二人について、何かわかったことがあったら教えてほしいのだけれど。情報はどうなっているの?」
「……まだ、わかっておりません」
静かに答える袋小路。
目を細めたまま、英は徐に掌を上に向けた。
ふわり、とどこからか現れた真っ赤な薔薇の花弁が辺りに踊る。
眉を潜め、袋小路が一歩後ろに下がった。警戒することなく、彼女はいつもの所作でその場に佇み、ただ鋭い目を英に向ける。
英は赤い花弁を愛でるかのように見つめ、笑みを消す。
家族には見せることのない、冷然とした表情のまま、英は口を開いた。
「ねぇ、その情報屋、大丈夫なのかい?」
「もちろんです。主様ご用達の情報屋ですので」
「本当に?」
「ええ。ワタクシも何も隠し事しておりませんよ?」
「……そうだろうね。契約しているのだから」
この女は、契約には従順だ。
ため息をつくと、英は静かに眼を机の上にある写真立てに目を向けた。そこに映っている四人の姿を眺めながら、どこか寂しそうな声で呟く。
「あれは、本当だろうね?」
「ええ。ワタクシは嘘をつきません。そういう契約ですから」
「……大丈夫なのかい?」
「ご安心ください。用意は整っております。あとは、怪盗を捕まえさえすればいいだけです。そうすれば、アナタの目的は達成できるでしょう」
「……信じるよ」
「では、ワタクシはこれで」
これで会話を断ち切るかのように、袋小路は一礼すると今度こそ去って行く。
英は写真立てに写っている家族に視線を向けて、ここにはいない家族に想いを馳せる。
(――――…………………よ)
英の目的は揺らぐことなく決まっている。
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