(3) 発表・上

 昔。五歳の頃。優真は研究所から抜け出した。着ている服はボロボロ。子供が一人、薄明りの中まるで浮浪者のように道端で蹲っているのを、通りを行く人々は見てみぬ振りをしていた。そんな優真に優しく話しかけてきたのが、当時まだ十八歳だった英である。当時はまだ大学生だっただろう。あの頃の英は、まだ心の底からの笑みを浮かべていただろう。朧げな記憶だが、少なくともいまの様に当たり障りのない形だけの笑みというわけではなかったはずだ。


 英に拾われてから二年後の夏、楓花が生まれた。英の妻にして、楓花の母――夏穂かほと共に、優真は本当の家族のように育てられた。

 それからまた二年後。楓花の母、夏穂が事故に遭い亡くなった。買い物に出かけたまま、家で待っている優真と楓花の知らないところで。

 優真が九歳の頃で、楓花がまだ二歳の頃だった、

 そしてそれ以来、英は変わった。

 何がどう変わったのか。見た目はニコニコと変わらぬ温厚そうな笑みを浮かべて取り繕っているため優真もたまにわからなくなるが、それでもわかることがある。英はあれ以来、自分の本心を隠すようになった。夏穂が亡くなってから泣くこともなく、だからと言って楓花や優真がやんちゃをしても怒ることはなかった。いつもニコニコと、当たり障りない温厚な笑みを浮かべている。


 そしてまた二年後。

 『花鳥風月探偵事務所』ができた。その際、優真は初めて袋小路という女と面会をする。袋小路のはそのころから変わっていない。

 英は、楓花が生まれてから家庭を支えるために、伝手を辿り刑事をしていた。

 そんな英が、どうして探偵に転身したのか、優真は知らない。英は、それを教えてくれなかった。けど察することはできる。英は、刑事の仕事で家に帰ることができなかった時に、妻を事故で亡くしたのだから。探偵であれば、家で家族と共にいられると思ったのだろう。


 探偵になった英に、面白おかしく(本人はそう思っていたのだろう)、優真は探偵のいろはを叩きこまれている。使いこなせているのかはわからないが、少なくとも優真は自分の意思とは無関係な言葉をすらすら口にすることができている。先程、中澤ヒカリを騙したように……。

 騙しことに、罪悪感は湧かない。


(それよりも)


 優真は教室に入ると、すんっと鼻を鳴らしながら自分の席に座る。

 少しすると、前の扉から男子生徒が教室に入ってきた。名前を思い出そうとしたが、わからない。聞いていないのだから当たり前だ。


(確か、英が怪盗だとか言っていた、あの女の前の席の。……ずっと匂っていたが)

 もしかしたらさっきの話を盗み聞きされていたかもしれない。

 けれど、それは優真には関係のないことだった。ただ英に頼まれて〝敵〟に接触していただけ。

 英の頼みを聞くのは癪だが、あとあとのことを考えると、適当に聞いておいた方がいい。意外とあの男は、めんどくさいのだ。


 英は妻を事故で亡くしてから変わってしまった。

 面と向かって話しているときに、たまに威圧感を感じるようになった。

 それまで家族として接していたはずなのに、いつのまにか他人になってしまったかのようで……。優真はそれがいやだった。



 英に接触するように頼まれた女子生徒と会話することができずに、放課後になった、

 文化祭の準備に勤しむ別のクラスの連中を眺めることなく、優真はゆっくりとした足取りで下駄箱に向かって行く。

 その途中、下駄箱の近くにある、いつも何も掲示されていない、緑の掲示板の前に人だかりができていることに気づいた。訝しみ、何だ、と近くを通ったクラスメイトに声をかけると、相手は驚いた顔をしたもののどこか興奮した様子で語り出す。


「発表だぜ!」

「何の?」

「何のって……ああ、お前まだ転校してきたばかりだからわからねーか」


 そこで意味深に言葉を切ると、クラスメイトの男子はドヤ顔で言うのだった。


「文化祭目玉のバトルトーナメントだぜ!」

「バトル?」

「そうそう。ここ能力者の学校だろ。せっかくだから異能を使ったパフォーマンスをやろうぜという感じで十年前から取り入れている、文化祭の目玉中の目玉だぜ!」

「……そうか。で、発表とは一体なんだ?」

「バトルトーナメントは、誰もが参加できるわけじゃないんだ。クラス担任が、クラスから二人の代表を選んで、選ばれた者はトーナメントに参加する。選ばれたからには強制参加というわけでもないから辞退できるらしいけど、基本みんな参加するぜ。――で、今日は、そのバトルトーナメントに出場する選手の発表があるんだよ。うちのクラスは誰だろうなぁ。俺は絶対ないけど」


 楽しそうにクラスメイトは話を切り上げると、人だかりの中に果敢にも突入していった。

 その背中を見ながら、優真は面白くなさそうにすんっと鼻を鳴らす。


「バトルとは、物騒じゃねーか」


 そういいながら人だかりの後ろから掲示されているものを見ようとしたが、あまりにも人が多すぎて確認ができなかったので、どうでもよくなり優真はその場を後にする。


 しばらく図書室で時間をつぶした後、再び優真は掲示板の前に立っていた。その時にはもう、ひとだかりは無くなっていた。

 そこに書かれている名前を確認して、優真は思わず苛立たしそうに薄く目を開く。


「なんでだ?」


 ――――

 ――『二年A組』……喜多野風羽・灰色優真

 ――『二年B組』………………………………


 優真は眉を潜めると掲示板の前から遠ざかり、下駄箱で靴に履き替えると帰路につく。

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