第二曲 幻想祭/準備編

(1) ライバル

 もし自分の家族が、父親以外がみんな女だったらどうなるだろうか。

 姉が五人もいて、妹が一人。あとは母親。父親は仕事によりほとんど家にいないため、女性に囲まれた人生を送ってきた天津帆足あまずほたるは、幼い頃から姉共の着せ替え人形をさせられていた。

 幼い頃は何も理解することのないまま姉たちから言われた通り、主に幼い少女が着るようなふりふりの服を着せられていた。ロリータ系はもちろんのこと、いわゆるコスプレと呼ばれるナース服やメイド服まで……その頃に写された写真は、いまでも姉たちの部屋の壁を彩っているらしい。想像するだけで恐ろしい。


 いまではすっかり十六歳になり、高校生になったのだから、男に見られてもいいはず……それなのに!

 帆足は全然成長していなかった。身長が低いのはまだ許せるが、なによりも許せないのは自分のこの顔だ。自分のこの顔は、中性的というより女性的で、目が大きくまつげが長いため、男子の制服を着ていても女子だと間違えられる始末。

 姉や母親からはもちろん、クラスの女子や男子にまで「かわいいかわいい」と言い続けられていた帆足は、かっこいいと言われるように力を磨こうとしてきた。だけどそれは姉たちに許されるはずはなく、腹筋や腕立てをしようものなら全力で阻止された挙句、女性ものの服を着せられて可愛いぬいぐるみを押し付けられて写真を取られ、帆足の部屋の壁に印刷されてしまったのだ。姉たち曰く「可愛くないのは帆足じゃないわ!」ということらしい。まったく迷惑な話だ。


 そんなことがあったから、帆足は自分の顔にコンプレックスを抱いていた。もっと身長が高ければ、もっと顔が男っぽかったら、体格がよかったら――。


 幻想学園の二年生になり、「C組」で自分から進んで委員長をしていても、かっこいいと言われることがなく、可愛がられるものだから、もううんざりしているのだ。

 その上、


「メイド喫茶ってなんなんだよぉ!!」


 気づいたらクラスの文化祭の出し物が決まっており、学園祭名物『メイド喫茶』をやることになっていた。しかも、女子たちからの推薦で面白おかしく、帆足がメイド服を着ることは強制的に決まっているのだ!


「僕は男だ! それなのに、どうしてメイド服なんて女々しいもの着なくっちゃいけないんだよぉ!!」


 そう嘆きながら階段を登っているぐらいには、限界はとうに突破していたのだ。

 いまは早朝。だけど早く登校してきているのは、ひとえに学級委員長の仕事の為だ。


 階段を登り切り、教室に向かって行くその途中。


「あ」

「ん?」


 一番会いたくない人物に遭遇してしまった。

 黒く冷たい瞳が帆足を見ている。その瞳を半ば睨むかのように見返し、帆足はコホンと咳をして挨拶をすることにした。


「き、喜多野風羽くん。お、おはよう!」


 なんて決まらない。もっとしっかり言えないのか。

 平静を装いながら、帆足は笑みを浮かべる。


「ん? ……ああ、おはよう」


(なんでそんなに冷静なんだよ!)


 なぜだか怒りが湧いてきたが、自分だって冷静に対応して見せる。冷静に、帆足は風羽を見る。だけどあまり感情の浮かんでいない瞳に見つめられているのに居心地が悪くなり、視線を風羽の襟もとに落とす。


 帆足は喜多野風羽が苦手だった。

 理由は酷く単純だか、それでもとにかく苦手なのだ。

 ライバル。その言葉が妥当だろうか。喜多野風羽は帆足の一番のライバルだ。だけどそれは帆足が一方的に思っているだけで、本人がどう思っているのかなんて知らない。


 天津帆足には気になる人がいる。『二年A組』に在籍している、野崎唄という一見して目立つところのない地味な女子生徒だ。

 きっかけは、中学三年生の春。合同体育の時。同じ学年の生徒が同じ競技をする体育で、その日の授業はドッヂボールだった。クラスがバラバラに別れチームを作り、帆足と野崎唄はたまたま同じチームになった。

 野崎唄を一目見た印象としては、地味。ただそれだけだ。帆足は周りの女子とは違い大人しい野崎唄を最初は認識すらしていなかった。だけどキャーキャー黄色い悲鳴ばかり上げている女子が苦手なので、なにも声を出さずに淡々と飛んでくるボールを避けたり、キャッチしては投げ返して男子の足を狙ってアウトにしている野崎唄のことを見ていると、自分も頑張らないと考えるようになってきた。

 コートの中。味方チームが野崎唄を含めて残り五人となったころ。敵チームの外野の女子が、帆足に向けて「帆足ちゃーん。当たって!」と軽いボールを放ってきたので、それを掴み、野崎唄に見せつけるように思いっきり敵の内野にいる一番強そうな男子に投げつけると、思いのほか真っ直ぐ勢いをつけて飛んだボールがその男子に当たり彼はアウトになった。

 味方のコートから「すごいじゃん。帆足ちゃん」「やったぜ、ほたるん!」という声が聞こえてきていい気になっていると、小さな声で「へぇ、見た目よりやるのね。女の子みたいだと思ったけど、かっこいいところもあるじゃない」という野崎唄の声が帆足の耳に確かに聞こえてきた。


(かっこいい?)


 そんなこと誰かに言われたのは初めてだった。しかも、自分よりはるかに運動神経がよく、地味に活躍していた女子生徒だ。他の生徒の野崎唄を見る目は興味なさげで本人もそんなに真剣にやっている風には見えなかったが、それでも彼女のその一言がきっかけで帆足はそのあと絶好調だった。一人で敵チーム残り六人をやっつけるほどには。


 それからの帆足はというと、野崎唄に認めてもらうために頑張って勉強をした。

 猛勉強の末、帆足はいまでは学年一位だ。

 これもすべて野崎唄に自分の存在を認めてもらうため。それだけの為だけに、帆足は頑張ってここまでやってきたのだ。女子のように扱われるのは嫌だが、それでも帆足はすっかり学年一位をものにしていた。


 そしていま。目の前にいる男子生徒。

 喜多野風羽は、学年二位だ。しかも野崎唄の前の席で、たまに教室の前を通り過ぎるように見せかけて教室の中を覗くと、二人はこそこそと会話をしていることがあるぐらいには、彼女と親しい間柄なのだろう。


 だからライバルだ。

 彼女とどういう関係かはわからないが、喜多野風羽を勝手にライバル視している天津帆足であった。


「で、なんの用だい? 挨拶をするために、呼び止めたわけじゃないだろう」


 どこか面倒そうにため息をつきながら、喜多野風羽は見下げてくる。自分より十センチは高い風羽を見上げながら、帆足は余裕綽々な表情のまま考える。


(しまった! 反射的に呼び止めてしまったけど、用なんてないッ)


 どうしようか、表情を崩すことなく帆足は思考する。

 いまは文化祭準備中で、文化祭の目玉のことでも話そうか。いや、それは発表がまだなので、宣戦布告をするにはまだ早い。

 となると、『幻想祭』のあとに行われる期末テストのことでも話そう。そうしようと、意気込み帆足は人差し指をまっすぐ風羽に向かって指さすのだった。


「喜多野風羽君! 次の期末テストでは負けないよ!」


 どうだ。決まったか? 余裕の表情を崩すことなく、帆足は風羽の黒い瞳を見る。

 風羽の目は少し見開かれていた。


「いつも、僕は君に負けているはずなんだけどね」


 何をいまさら、といったような顔だ。

 帆足は湧き上がる羞恥心を顔に出さないように努めながら、腕を組む。


「今度も負けない、という意味だ。わかったかッ」

「……朝から元気だね」


 ため息をつく風羽。

 帆足は、思った通りの反応が得られずに内心焦る。


(これじゃ馬鹿みたいだ)


 思い出すのは、風羽と相対したときのこと。

 廊下や階段で出会っては、風羽を呼び止めて何かしら宣言をしてきたものの、そういえばいままで彼から反応が返ってきたことはない。いつも冷静に冷たい瞳で、見返してくるだけ。いまも彼はため息を吐いている。


(僕は馬鹿なのか)


 いままでと同じ失態をしている。こんなところを野崎唄に見られたら、憐れんだ目で見られるに違いない。

 蹲りたい衝動を必死にこらえながら、口角をひくひくさせて帆足は叫ぶのだった。


「じゃあそういうことだからな! 覚えおけよ!」


 まるで負け犬の遠吠えだ。帆足は風羽の冷たい瞳から視線を逸らして彼の横を通り過ぎる。その時、後ろから声が聞こえてきた。


「……だから、どうでもいい」


 不意に苛立ちが込み上げてくる。

 振り返ると、そこに風羽はいなかった。同じ学年なので教室がある階は同じはずなのに、彼の後姿は見当たらない。自分の教室に向かったというわけではないだろう。

 苛立ちをぶつける相手がいなくなり、帆足は急激に冷えていく頭を抱えながら、『二年C組』の教室の中に入って行く。前を見ていなかったからか、教室から出てくる人物に気づかずに、ぶつかってしまう。


「ちょっと、ちゃんと前を見てよね」

「ご、ごめん」


 ぶつかった人物に顔を向けて、帆足は思わず息を呑む。

 ピンク色の髪をツインテールした女子生徒がそこにいた。紫色の意志の強そうな瞳が、睨みつけるかのように帆足に向いている。


「何? アタシの顔、なんかついてる?」


 帆足はそれに反応をするのを忘れてしまい、思わず女子生徒の顔をまじまじと見つめる。

 その女子生徒は、ここ数日間、『二年生』の間で有名になっている人物だった。

 なぜかというと、この女子生徒の容姿はあまりにも周りとかけ離れていたから。ほんの数週間前まで、黒髪を後ろで無造作に一つに結び眼鏡をかけているような地味な生徒。そんな彼女が、何があったのか九月の終りの月曜日に、彼女はピンク色の髪をツインテール結った容姿で現れた。当初高校デビューだと騒がれていたが、クラスの女子が群がり訊いてみるとそのピンクの髪は染めたわけではなく、地毛だということが分かったのだ。いままで隠していたのだろう。能力の高さは、頭髪を初めとした容姿、体系などに現れることが稀にある。目立つのが嫌で、きっと彼女は隠していたのだ。


「いつまでそこに立っているの? アタシ、お手洗いに行きたいんだけど」

「あ、ごめん。山原」


 帆足は慌てて道を開ける。

 山原水鶏やまはらくいなは、愛想のない表情で通り抜けていった。

 その背中を見て、帆足は思う。


(愛想がないのはいままでと変わらないけど、黒髪眼鏡の地味だった女子が、容姿を一変するだけでああも綺麗に思えるなんて、やっぱり女子の力はすごいな)


 僕も見習わなきゃ、と帆足は教室に入って行く。


(僕は、もっと男らしくしないと)

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