(3) 頼みごと

 机の周りを群がっていた女子連中は、休み時間が重なっていくにつれて徐々に少なくなっていき、放課後にはすっかり寄り付かなくなった。問いかけられる質問をすべて無視していたからだろう。一匹狼を決め込んでいる灰色優真にとっては、どうでもいいことだった。


 学校から少ししたところにある建物の中に、優真は入って行く。

  能力者が多く暮らしている町――乙木野町に古くからあるマンションを改築した建物だ。新しく出ている看板には『花鳥風月探偵事務所』と書かれてある。

 ここ数日。連日のようにうるさい記者共がいて外だろうが室内だろうが騒がしかったが、今日はやけに静かなのに優真は安心して、自室に入ることなくそのままの恰好で応接スペースにあるソファーに座り込んだ。


 同時にハイヒールのコツコツという足音がして誰かがやってくる。

 顔を上げでその姿を視界に入れると、優真は眉を潜めた。


「あんたまだ居んの?」

「現在、ワタクシははなぶさの秘書をしておりますので」


 それ以外に理由などないというかのように、腰ほどまである黒髪をふんわり後ろで一つに結んでいる女性は、お客様に出すかのような動作で湯呑を優真の前に置く。


「ごゆっくりどうぞ」


 去って行く女性の後姿に険しい視線を投げかけながら、優真はお茶に口をつけることなる湯呑を脇にどけた。

 女性は音に気づいて眼鏡越しにこちらを見たが、咎めることなく前を向くと給湯室に消えて行く。


 優真は女性の姿が消えたのを見とどけてから、ため息をついた。ようやくリラックスできる。

 リモコンでテレビをつけると適当にニュース番組に合わせ、優真はソファーに深く腰を押し付けた。



 十分ほど、ぼーっとテレビを見ていると事務所の扉が開いた。


「ただいまー!」


 元気な声がして一人の少女が入ってくる。

 さらさらと光が溢れるような金髪の持ち主の少女は、一直線にソファーに座っている優真の元までくると、


「ゆうまおにいちゃん。えほんよんで!」


 そう言って無邪気に微笑んだ。

 その頭を撫でてやると、「えへへ」と嬉しそうにするのに優真は思わずにやつきそうになったが、咳をして無表情を保つ。


「お帰りなさいませ」


 いつの間にか女性が近くに立っており、その傍に少女と一緒に帰ってきた男性もいた。癖が強いためパーマがかかったような金髪になっている男性は、にっこりと女性に視線を向ける。


「ただいま。早速で悪いけど、何かわかったことあるかい? 袋小路」

「いえ。まだでございます」


 袋小路と呼ばれた女性は能面のような顔で淡々と答える。


「二人については先日伝えた通りすぐわかりましたが、残りの二人については調べるのにまだ時間がかかるようです」

「……たかが子供のことを調べるだけなのに、そんなに時間がかかるのは不思議だね」


 その言葉は袋小路を責めるでもなく、それをわかっている女性は表情を崩すことなく言葉を続ける。


「一人については暫くすればわかるでしょう。ただ、もう一人。女の子のほうですが……彼女については、調べれば調べるほどわからなくなっていきます」

「それは大変だね。大丈夫なのかい?」

「……はい。勿論です。ワタクシが頼りにしている情報屋の腕は主様の保証付きでございますから。一週間もしないうちに暴いてみせましょう」

「ああ。頼りにしているよ」

「では。ワタクシはこれで。夕飯の準備に取り掛かりたいと思います」


 袋小路はそう言うと、足音なく歩きだし給湯室に消えて行く。

 その後姿に警戒心を抱きながらも、優真は膝の上に座っている十歳の少女に絵本を読み聞かせていた。低い声で感情の起伏のない読み聞かせにも構わず、少女は楽しそうにしている。それだけで幸せだった。


「優真。学校はどうだった?」

「どうでもいい」


 男性に話かけられるが適当にあしらい絵本の続きを読む。


「楓花。お腹すいただろ。袋小路が夕飯の準備をしているから手伝ってあげなさい」

「……うぅ。はーい。おとうさんのおねがいなら」


 絵本を読むのを邪魔されたからか、金髪の少女――楓花はぶすっとした表情をしたものの、優真の膝から飛び降りると袋小路の消えた給湯室の中に入って行く。

 その背中を名残惜しそうに眺めていると、男性が机の挟んだ向かいにあるソファーに腰を下ろした。温厚な笑みの消えることのないその顔を睨みつける。


「なんだよ」

「……なんでなんだろうね。昔はあんなに可愛くて僕を慕ってくれてたのに、どうして中学に上がったとたん、親である僕にこんな口をきくようになっちゃったんだろう。反抗期かな」


 親みたいな態度で男性が大げさに肩を落とす。


「勝手に過去を捏造するな! オレはお前に一度も心を許したことなんてねぇだろうが」


 それに親でもない。幼い頃に拾ってもらったことに恩を感じてはいるが、正直この男性のことは好きになれない。


「そうだったかな」


 あっけらかんと男性が言うのに、優真は苛立ち拳を握りしめる。


「で、どうだったんだい。幻想学園は」

「どうもこうも、頭が花畑の連中しかいねーよ」

「おや。それは困ったね。たしか君のクラスには二人いたはずなのだけど」

「あ? 興味ねぇ」

「ああ。そうだと思ったから、君の学生服に小型のカメラを仕込んでいたのだけど……あれ? ブレザーの襟についていたピンは?」

「あんな怪しいもんつけやがったくせに、そんなとぼけた顔してんじゃねーよ。壊して捨てたに決まってんだろ」

「え? 本当に? 食べたとかじゃなく?」

「食べられるわけねーだろ!」


 本気で優真は怒る。


「……どうして優真は冗談が通じないのだろうね。ここはノリ突っ込みして欲しかったよ」


 項垂れたように悲しそうな顔になる男性。その姿を見て、とうとう沸点が頂点に達してしまった優真は、握りしめていた拳を振り上げると思いっきり机に叩き落す。

 ドォンッという音がして机に少し亀裂が入ったが、優真のこぶしが一度落ちてきたぐらいでは壊れなかったようだ。頑丈に作られているのだろう。


 男性はやれやれと肩の上で両手を広げると、困ったような笑みを浮かべる。


「全く、優真は手がかかるね」


 その動作に、変わらない笑みに、優真の苛立ちがまた募って行くが、給湯室から音に驚いた楓花が出てくるのを見ていくらか和らいでいく。


「おとうさん? おにいちゃん? だいじょうぶ?」

「テレビの音だよ。夕飯の用意は順調かい?」

「うん! もうすぐよういできるよ!」

「じゃあそろそろそっちに行くね。一緒にいただきますをしよう」

「わかった!」


 楓花が給湯室に引っ込むと、男性は再び優真を見た。


「さて――」


 優真はすんっと鼻を鳴らし、赤い瞳を睨み返す。


「後で二人の情報は渡すから、できたら接触してくれないかな。いますぐじゃなくてもいいけれど」

「知らね」

「頼んだよ」


 男性はそう言うと立ち上がり、リビングとなっている部屋に消えて行った。扉がしまる音がして暫くしてから、優真は緊張を解く。


「くそっ」


 いくら幼い頃から育ててくれた親代わりだとしても、どうしてもあの男は――はなぶさのことは苦手だった。自分の子供や秘書だろうが関係なく、いつも当たり障りのない笑みを浮かべていて、人間味が感じられない。


 だけどそれよりも。

 五年前、探偵社『花鳥風月』を起ち上げたときからなぜか一緒にいる、袋小路のことは苦手を通り越して嫌いだった。あの女は、嫌な臭いがする。


 すんっ、と優真は鼻を鳴らした。

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