(2) 舌っ足らずの少女

 一時間目の休み時間。

 転校生灰色優真の席の周りには、ひとだかりがあった。クラスの大半の女子が集まっている。唄はそれを横目で見ていた。


「さすが女の子ね。転校生に目がないわ」

「君も一応女の子のはずだけど」

「私は転校生なんかに興味ないもの。いつもと同じように、目立たないようにしているだけよ」

「目立たないようにしていると、返って目立つこともあるけどね」


 余計なお世話よ、といいながら風羽から視線を逸らし唄は窓の外を見る。中庭があるそこでは我らがクラス担任の山崎壱郎が花壇の花に水を上げていた。咲いているのは真っ赤な薔薇。


(薔薇……ね。学校には似つかわしいわ)


 あ、という風羽の言葉で前を見る。

 喜多野風羽はこちらを見ていた。彼は黒い眼鏡のふちを押し上げて、黒い瞳で唄をじっと見ている。

 いつもはこんなに堂々と風羽が視線を向けてくることがないので、唄は訝しみながらも彼の言葉を待つ。


「唄」

「……何かしら?」


 周りの目を気にしながら唄は答える。


「帰り、どこかで会えないかい?」

「どこかって、いつものところじゃ駄目なの?」

「あそこは水練すいれんがいるからね。誰もいないところがいい」

「それじゃあ……」


 唄は迷い口を噤む。図書室と言おうとしたのだが、放課後は早朝と違って利用者がいるだろう。人目がないところは、と記憶を巡らせてみるが思い当たる場所はない。


(人がいないところね……。ヒカリにも水練にも聞かれたくない話って、何かしら)


 唄が考える限り、人目のないところというのは思いつかなかったので、ひとまず保留にしておくことにした。


「考えておくわ」

「……ありがとう。頼んだよ」


 唄から視線を逸らし、風羽はやっと前を向いた。そのとき視線を感じて教室を見渡すと、茶髪の女子生徒と目が合った。思いっきり睨まれてしまい、唄は口を尖らせると顔を伏せる。


(嫌なところを見られたじゃない)



    ◇◆◇



 その日の授業もつつがなく終わり、放課後になった。

 『幻想祭』まで残り三週間を切っている今日も今日とて、文化祭の準備で大忙しの時間となる。


 唄のクラスの出し物は喫茶店だ。インスタントのコーヒーや紅茶と、ドーナツ大好きなクラスメイトの男子――夏目なつめによるドーナツを売りとした店だった。その名も『ドーナツ喫茶』。

 準備は室内の飾りつけとメニュー表作成ぐらいで、用意はほとんど終わっていた。あとやることといえば、前日の買いだしと机の配置や残りの飾りつけぐらいなので、いま準備することはほとんどなかった。


 帰りのホームルームが終わり担任が教室から出て行くと、一部のクラスメイトも教室を出て行った。

 風羽が徐に立ち上がり教室を出て行く。五分ほどして、窓の外を眺めていた唄は立ち上がると教室を出た。




 校門から外に出ると声をかけられた。


「唄」

「あら、待っていてくれたのね」

「話があるからね」


 唄は歩き出す。後ろから風羽がついてきた。


「ウチで良いかしら」

「……どこ?」

「私の家よ。お父さんとお母さんは仕事でいないはずだから、人目を気にすることなく話せるわ」

「……いや、でもさすがに」

「大丈夫でしょ。話があるだけなのよね?」

「そうだけど」


 そこで風羽が口を噤む。うしろから息を吐くのが聞こえてきた。


「わかったよ。玄関で話そう」

「元からそのつもりよ。家の中に入れるつもりはないから」

「……じゃあ、またあとでね」


 静かな声が聞こえなくなると共に、後ろにある気配が消える。

 さりげなく首だけで振り向くと、そこにもう風羽の姿はなかった。


 『私立幻想学園』は異能力者の通う学校だ。もちろん唄も、風羽も、ヒカリも、教師である山崎壱郎も人とは違う異能力というものを持っている。

 喜多野風羽の能力は、『風』。自身は『風の使い手』と名乗っており、風を操ることを得意としている。が、その実は精霊と契約をして、精霊の実体をこの世に軽減させることができる『精霊遣い』である。

 中澤ヒカリの能力は、『光』。頭はそこそこにアレだが、『精霊』を操る力は秀でていた。『精霊』の力は周りからも認められており、『光の精霊遣い』と名乗っている。


 そして野崎唄の能力。それは『軽業』だった。自身の体を軽くして、運動神経を上げることができる。

 だけどこれは学園生活で、周囲に隠している能力だった。彼女はもう一つ別の能力を持っており、学園の実技の時間、その能力の特訓をしている。


 唄は家に着くまでの十分間、ぼんやりと次の獲物をどうするか考えていた。



    ◇◆◇



(あれ? 唄、風羽と一緒にどこに行くんだ?)


 中澤ヒカリが校門を出ると、唄と風羽が話しているのが見えた。傍から見ると二人はただ近くで歩いているだけのように見えるが、二人をよく知っているヒカリから見ると内緒話をしているように思えた。

 少しして、風羽が唄から離れると別方向に風のように消えて行く。どこに行ったのかは、彼がいきなり走り出して見えなくなったのでわからない。


 ヒカリは友達と一緒に帰っていたので、二人の会話を聞くことができなかったのを悔しがる。


(何だよ。気になるじゃねぇか)


「どうしたんだよ、ヒカリ?」

「え? あ、いやなぁ、何でもないぜ。ははは」

「あ、そういえばあそこに野崎唄がいるな」


 友人のいきなりの言葉に、ヒカリは「うぉ」と変な声を上げる。


「な、なんだよいきなり」

「あいつ目立たないよな。それなのに、女子に嫌われてる」

「知らねぇ」


 どうしていきなり唄の名前を口にしたのか、ヒカリはそれを問い詰めたい衝動をこらえる。

 中三の頃からの友人である彼の趣味はお菓子作りで、幻想祭で我がクラスの『ドーナツ喫茶』の企画者だった。幻想祭委員も兼任しており、リーダーシップを持っているところをヒカリはそれなりに尊敬している。


 友人はヒカリより身長が高く、さわやかな笑みを浮かべた顔をガンつけるように見上げながら「身長くれよ」と心で尋ねた。


「あはは。知ってるぜ、お前が野崎の幼馴染だってさ」

「え? ああ、そうだ、よ?」

「お前さ、好きだろ?」

「うおおお、なんななななにがあ?」

「何どもってんだよ。わかりやすいなぁ。荒木から聞いたんだけどさ、お前小学校の頃からずっと野崎のこと見てるらしいじゃん。だからそうなんじゃないかって思ってさ」


 荒木とは小学校から仲の良い友達だ。

 ヒカリは平静を装うと努めながら変な笑顔を浮かべる。


「す、すすす」

「でさ」

「おうっ!」

「喜多野ってよく野崎と一緒にいるけどさ、あいつら付き合ってんの?」

「そんな分けねぇだろ!」

「そんなムキになるなよー。ほんっとわかりやすいな、お前。まあならよかったよ」

「なんでだよ」

「だってさっきお前、憎らしげに二人のこと見てたじゃん。嫉妬してるのかと思ったぜ」

「うわあ……知ってたのかよ。嫉妬じゃねぇし」


 ヒカリは、「あはは」と爽やかに笑う友人から目を逸らすと前を向く。視線の先に唄はいなかった。


「でもなぁ。野崎か……。暗いよな」

「余計なお世話なんだよぉ」



    ◇◆◇



 十分後。ヒカリは友人と別れるとコンビニにいた。ついさっき姉から「明日の朝食のパン買って来い」とメールがあったからだ。

 食パンを買うとヒカリはコンビニを出る。午後四時の空はまだ明るい。


「もう十月かぁ」


 ヒカリは食パンの入っている袋をスクールバックの中に入れると歩きだす。


「おにぃちゃん」


 微かに少女の声が聞こえてきた。

 ヒカリはその声に反応して辺りを見渡すが、近くに声の主は見当たらない。

 気のせいだと思い歩きだすと、足に軽いものが当たった。なんだ、と思って視線を下げると、薄緑色の瞳と目が合った。


「わりぃ」

「おにぃちゃん?」


 肩下まであるさらさらとした金髪の、十歳程の少女だ。


「どうしたんだ」


 ヒカリは屈みこみ、少女と視線を合わせる。

 視線があった瞬間、金髪の少女は満面の笑みを浮かべた。


「えへへ」

「ん? 迷子か?」

「うー? ちがうよ。まってるの」

「そうか。ならよかったぜ」

「ねぇ、おにぃちゃん」

「なんだ」

「あたし、おにぃちゃんのこと、どこかでみたことあるきがするんだけど、きのせい?」


 舌足らずな少女の言葉に、ヒカリは首を傾げる。

 ヒカリは考えてみるが、少女とは面識がなかった。きっと彼女の気のせいなのだろう。


「気のせいじゃね?」

「そうかぁ。おとうさんのかみにおにぃちゃんににたかおみたきがしたけど」


 満足そうに少女が笑う。薄緑色の瞳が、あっと輝きヒカリの背後に向く。


「おとうさん!」


 少女は嬉しそうな声を上げると、ヒカリの背後に立っている人物に向かって走り出した。

 ヒカリは立ち上がると振り返る。

 そこには背の高い男性がいた。赤色の瞳を優しそうに歪め、温厚な笑みを浮かべた癖の強そうな金髪の男性。


「おかえり」

「ただいま、楓花ふうか


 パーマのかかった金髪の男性はしゃがみ込むと、少女の頭を撫でた。片手にコンビニ袋を提げているということは買い物帰りなのだろう。

 ヒカリは背後に気配もなく立っていた男性に警戒心の視線を向ける。


「ああ。すみません。僕の娘が迷惑をかけなかったでしょうか?」

「いや、別に」

「あのね、おにいちゃんとおはなししてたの」

「何を話していたんだい?」

「ないしょ!」


 少女が人差し指を口に当てる。

 男性はもう一度少女の頭を撫でると、立ち上がりヒカリを見下ろす。

 「身長たかっ」と思いながらも、ヒカリはいつでも動きだせるように思わず身構えていた。

 あくまで温厚な笑みを崩すことのない男性。その笑みがなんだか怖かった。


「では、僕たちはこれで」

「おにぃちゃん、ばいばい」

「お、おう」


 何事もなく立ち去っていく男性の後姿が見えなくなるまで、ヒカリは動くことができずにいた。

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