第2話「ある隔離都市の日常風景」【BGM有り】

BGM#01「隔離都市リトルゲイン」

https://youtu.be/odInC7fkvko



「――ったく。なんで、邪魔すんのよ!」


 突然の御堂奈津名のどなり声に、少年は身を震わせた。奈津名は、どうも少年にではなく、双眼鏡の先の中隊に罵声を浴びせたらしかった。もっとも数百メートル向こうで交戦中の兵士達に彼女の声が届くはずもなく、その苛立ちは募るばかりで、奈津名の暴言はクレシェンドを掛けていく。


 奈津名は自転を覚えたレコードディスクのように、とにかく始終やかましい。彼女が艶やかな茜色のショートボブの隙間から泡沫の美しさを見せるのは、ごく稀だった。

 漂う湿気と絶え間なく滴る奈津名の怒声。その濃厚なブレンドに、少年は微かに眉根を上げる。


 屋台の影に隠れた奈津名と少年は、都市を南北に走る主要道で、遥か前方の戦闘の行方を伺っていた。


 リトルゲイン中央通。道に沿って植わる木々は、かつてこの街の名物であったのだろうが、既に枯れ果て、当時の面影は微塵にも残らない。しな垂れた朽木が等間隔に並ぶ様は、さながら葬列を思わせた。

 都市の排水機能もままならず、こうした雨の日の汚泥は、石畳の道の罅割れに歯垢の如く溜まり続け、その結果、繁茂した気味の悪い雑草が路上を支配している。この雑草を煎じたものを回復薬と称して売り歩く者がいるが、少年は買う気にはならなかった。


 隔離都市リトルゲインはいかにも廃墟然としていた。点々と建ち並ぶ煉瓦造りの建物は大抵は不法占拠されており、こういった建物の屋内には決まって、シェイクされた暴行やら薬物やら、犯罪の有象無象がぶちまけられている。

 「草女」と呼ばれるタダ同然の売春婦、感染症患者の居住地域「コクーン」、終末論を唱える宗教団体「暁の会」――排水溝の油粕のように建物の狭間には鬱屈がこびり付いている。


 奈津名に悟られぬよう少年は、丸薬を飲み込んだ。六粒の魔法――それは少年の気分を殊更に高めてくれるものではなかったが、これ以上沈めることもなかった。『協会』が支給する薬は気分が高まり過ぎて却って判断力が落ちたし、今、服用している相棒を捨て、他所に浮気しようとも思わなかった。

 交戦中の部隊が使ったであろう魔術、爆薬の衝撃が、幾度も屋台骨を揺らす。その度に少年の唇の隙間から呻きに似た息が漏れ、雨音の旋律をなぞった。


「そう硬くなるなって、新入りの兄ちゃん。ま、初めてのお仲間が相手の戦いなら、無理ないか」


 屋台の向こうから、ぬっと大きな顔が現れた。精悍な顔立ちの男が、ごつい鎧の襟元を扇ぎながら大笑する。完全防刃装備と言えば聞こえは良いが、鋼鉄を重ねた重鎧の通気性は極めて悪い。むっとした汗の臭いが溢れ出し、たちまち辺りを蹂躙した。


「兄ちゃん。周りを見てみな」


 フランクな口調の男――湊蓮次は、浅く被った鉄帽から茶髪の癖毛を溢れさせつつ、顎をしゃくる。路肩にうずくまる者は、皆、雨に濁る側溝の泥をすすり、散乱した消毒も碌にされていないであろう空の注射器を何度も自分の体に突き刺していた。


「兄ちゃんみたいな新入りは見たことがないだろ。これが東地区にはびこる悪名高きシュナイダー症――通称ゾンビ病だ。粗末な薬物を乱用した哀れな落伍者の群れさ。小銭数枚で天国逝きレベルの快感を得られるんだから、広まるのも無理はないわな。ま、細胞の壊死と精神障害、感染症の併せ技に目を瞑れるなら、って話だけどな。彼らに比べりゃ、今の俺らはまだ救いがあるだろ?」


 蓮次の言葉に返されたのは、奈津名の溜息であった。


「下ばっか見て、現状に満足してるから駄目なのよ、このオッサンは」

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隔離都市に転生した無力な俺と、チートなその他大勢【BGM有り】 @rsky

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