第3話「ひらかれた心」
「田中くんがなにかを見間違えるなんてことない! あの視力2.5よ! もちろん河童かどうかは別にして、きっと怪しいやつよ」
「あ! 廊下に点々とチョコレートが落ちてる」
ユウコがさっとかがみこんで、確認する。
「手作りね……きっとあの巨体……学校中のチョコレートを横どる気なんだ」
「おのれー、許すもんか!」
「お、なんだなんだ、女子も来たのか」
勇也が東門をくぐったあたりで合流した。
「田中くん、どういうこと? 説明して」
「俺だって知らん。ただ……」
話を要約すると、着替え中の男子がふと机の中にあった箱を見つけ、それがチョコレートだと判明した。そこへピンクの怪物が現れて、それを箱ごと口らしき中へ放り込んだ。それが教室中で行われたのだ。
「まさに傍若無人。恐ろしい相手だ。怖いやつは帰れ!」
「――つかぬことをききたいんだけど、もしやその箱って、これと似通ってなかった?」
(!)
ユウコが出してきたそれはあこの机から出てきたものだった。
「ああそう。女子の席からも出てきてた」
「真偽はともかく、今日のこの日にわたしたちからチョコを奪うものは敵よー!」
ぽーんと、用無しとばかりに放られたその箱を拾い、ひっくり返してみると、そこには……生徒諸君へ
(江崎なおみ? だれだろう)
そう思いながら、ふうふう息をついて、少し離されながらもついて行った女子たちだったが、ほとんど道なき道を走るのは困難だった。
「なにー? ここ……うすぐらーい」
「めっちゃ虫いそうー」
文句を言いながら
(へえ、こんなところにも。お
「河童まてー」
相変わらずの大音量で勇也が走り去ったあとには、崩れた女子のへたりこむ姿があった。
「みんな、大丈夫?」
「「「「イエス」」」」
どうやら、心までは折れていないようだ。
「田中くんの追うものの正体を見極めるまでは、はいつくばっても追いかけるわああ」
(うわあ。怨念じみてる。オーラが濃ゆい)
「みんな、頑張ってね。私、一足先に追いついてくる!」
恨みがましい目線をあえて無視してあこは走る。勇也のいるところ、すなわちそこは!
「河童池……」
「ビンゴだぜ、あこ」
勇也は冷たい空気の中、なにか大きくて岩のようなものを持ち上げようとしていた。下には白っぽい、なにやら生気を失ったような生き物がいて、岩のようなものの下敷きになっちゃっている。
そして、それに寄り添うように倒れた――ちなみに倒れたのは推定鳥居をくぐったあたりで、跡が……ずりずりってお腹で擦った痕跡があった――それはオスとメスの河童らしい、と岩――石碑に書いてあった。石碑の倒れた向こう側は池だ。どれだけ深いのだろうか。水が濁っていてわからない。
頭を横にして石碑を読んでいたあこは、勇也のやっていることがわからず、戸惑う。
これは当然のことで、ここまで追いかけてきた妖怪、怪物、なんでもいいけれど、河童を推定勇也がのしたのだろう。ピンク色の河童は、口からボロボロとチョコの入った包みを吐き出して……どうやら、岩の下の片割れに食べさせようとしていたみたいだった。だって岩の下の河童の口は、クッキーか何かをなすって外から無理やり入れようとした跡があったのだ。
『カー……カッッパ……』
やけにか細い
「おー、生きてたか。待ってろ、すぐ助けてやる。っても、俺一人じゃ……」
(河童を助けようとしているの!?)
それじゃあ、そんなピュアな心を持ってるひとなら、河童くらい見えるだろう。だけどなんてことだ。
(なんて、いじらしい)
いじらしい生き物だ。勇也も河童たちも。
あこは胸が締め付けられて動けない。
そのうち、他の女子もギリギリ追いついてきてその様子を見た。
「あれ、わたしたちのチョコじゃないの?」
そう言って、わっと倒れたピンクの方の河童に近づく。
はっと気づいたときには勇也もあこも、女子にぐるっととりまかれていた。
「全員、見えてるみたいだな……」
「待て、話せばわかる!」
勇也の声は力強かった。そして、その後の指示も見事だった。
「この河童たちは河童池の主――水神だ。今朝の地震によって倒れてきた石碑と、おそらく河童のお
勇也ははっきりとした口調で、けれども早口でまくし立てる。そうでないと下敷きになった河童の命が間に合わないから。
そう、勇也はこの池の
「この世で一番強いパワーがあるのは、誰かが誰かのために
「わかった! 勇也くん、私やるよ!」
「あこ。ありがとう。さっそくみんなも手伝ってくれ!」
「う、うん……」
そうしてみんなは一丸となって木材を運び、なんとかいう原理によって一気に石碑を池に落とした。寒い日だというのに、勇也の肩からは湯気のようなものが出ていた。必死だった。
「河童は? 河童は生きているか?」
かわいそうに、真っ白になってしぼんでしまっていた。手遅れだった。勇也は全身を震わせて悔しさに耐えていた。
そして気絶していたピンクの河童に近づくと、
「おまえの相棒は、水葬でいいな……?」
唱えるように言って、干からびた河童の
「いつか、きっと海に
まるで人間の友人にするみたいに、肩をたたいた。優しく、あたたかく。
「ねえ、わたしたちの贈りものが、パワーあるって言ってたよね。じゃあ、じゃあみんなあげるから、だから……河童、生き返らない?」
ユウコが言った。中にはとんでもないって顔をする娘もいたようだけれど、すぐにあきらめてそっぽを向いた。そう、好きな人のために作ったかけがえのない想いを、今たった一匹の生き物に託そうというのだ。
しかしピンクの河童は、少しうなだれ、申し訳なさそうに体内に収めていたチョコの包みをみんな出して、しゅるしゅると小さくなっていった。残ったのはあの人懐こいまなざしをした「女の子」の顔をした生き物だけだ。
『かっぱっぱー……かぱー』
しょぼん、そんな
「もういい! もういいんだよ、河童!」
ユウコは落ちている色とりどりのリボンや、花の形をした
「わたしたちの力は、どこか足りなかった。想いが、通じなかった。だから、悪いのはあんたじゃない」
「そうよ……河童一匹助けられないなら、無駄だったのよ」
「せっかく
「うええええー」
「うああああん」
勇也の言うことをきいたのに。信じてやったことなのに、報われなかった。それはホワイトデーにお返しがこなかったのと同じくらい、寂しくて悲しくて、みじめなものだ。
「待てよ、みんな!」
信じられないという目をして、勇也が池の中をのぞきこんでいた。細かい泡が池の水面にいくつも浮かび上がり、全体が乳白色になったかと思うと、急に水があふれかえった。
伝説は本当だった。河童が鳴くとき、水害がおとずれる。
だがそれは大昔のことで、しばらくすると池は透明に澄み切った池に変わった。濁った水は全て川を経て流れ出してしまったのだろう。
しばらくみんなして呆然とたたずんでいると、コンコン、という鳴き声が聞こえてきた。子犬のような、それでいて神聖な、尻尾のそっくり返った白狐が、しぼんだ木切れのようなものをくわえてきた。白狐はそれをきれいな池にそっと落とすと、静かに立ち去っていった。
あこにだけはすぐわかった。あれは……あの白狐は。
(――イナリー! あなたなのね)
そうしてしばらくすると今度はぼこぼこと大きな水音がして、水しぶきをあげながら、それは天高く舞い上がっていった。
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