第2話「ポーカーフェイス」

「あのなあ……そんなもんが見えるんなら、なんでそうと早く言わないんだよ」



 勇也の責めるような言い方は、実はすね気味なのを巧妙こうみょうに隠すためのようでもあった。

 彼はミネラルウォーターをぐいっと飲みすと、奥さんにお礼を言ってから、あこと向き合った。



「しかも、おまえ、河童!? 河童が鳴くと水害すいがいがあるんだぞ。知らないのか? って知るはずないか。しかしこのへんでは有名だぞ」


「有名?」


「ああ。河童池かっぱいけっていうのがあるんだよ。うちの稲荷神社の北側にな。ま、たいていのことは石碑せきひに書かれてるから、見といたらいい」


「じゃあ、河童って『かっぱっぱー』って鳴くの?」


「うっ、そそれは俺も知らねえ」



 第一、聞いたことがないのだという。まあ、そうちょくちょく周辺地域で水害があっても困るだろう。印南町の売りは、なんといっても山と森と草原と川もある自然豊かで空気のおいしい土地、なのだから。



「まあ、そんな言い伝えが長く伝わってるほど田舎ってことだよ。けど都市伝説って言わねえな。このへんじゃ、あたりまえなんだよ」



 なにがあたりまえなのかは、あこにはほとんどわからなかった。



「都市伝説って?」


「誰からともなく広がった局地的伝説のたぐい。他の地方の方でも似たようなのがささやかれることが多いけど、これは本当なんだぜ」


「もっとわかりやすくいうと?」


「あこは神様が見えるって言ってたよな?」


「うん」


「それは誰か別の人がそう言ってるわけじゃなく、あこ自身がそうなんだろ? そういうことだ」


「うん……なんか、納得」


「それに河童に関しては、その辺のお年よりが、昔よく見たって言ってる。俺のじいちゃんも見たんだぜ。わりとメジャーだろ?」


「疑わないの?」


「あたりまえだって言ったろ」


「そうじゃなく、私のこと」


「同じことを何度も言わせるなよ」



 勇也は苦笑い。

 あこは胸に手を当ててきゅっとにぎりしめる。そっか、そういうことなんだ。心の奥からぽわっとしたうれしさがこみ上げる。この感情は、もしかして……もしかしたら!



「田中くん、私たち、友達だよね!」


「え? あ、あー……うん」


「今までもお友達だったけれど、今、本当に仲良しなのは田中くんだけだって思った。だって、私のこと、わかってくれたもん!」


「大げさだな。どうして女ってそんなことをいちいち言葉にするんだ?」


「うれしいからだよ!」


「……そっか」



 照れたように頬をかきながら、まあいいや、と笑って、でも河童のことを忘れたわけじゃない。

 ピンクの河童は、転んだあと、どこかへ行ってしまった。勇也が心配だからと思って追いかけなかったが、そんな必要性も感じなかったからでもあった。だが……。



「その、河童さんが水害を知らせてるの?」


「さあ、水神である河童が水害起こしてるわけじゃないだろうしな」


「あ、そういう可能性もあったんだ」



 そういえば、れいの『かっぱっぱー』を聞いたとたん、泥水が降ってきた。あれは勇也をめがけてきた感じがした。だったら、あこが無事だったのもうなずける。



「いや、水害ったって川が氾濫はんらんするとかだろ。泥水くらいなら、どうってことないしさ」


「でも、それにしては……」


「ま! それはおいておいて。早く学校へ行って体操着にでも着がえるよ」



 言われて気がついたが、今日の一限目と二限目は体育の合同授業だった。準備体操が終わった後、はしにでもまぎれてれば、遅刻もそう目立たないかもしれない。



「田中くんがそういうなら!」



 二人は一緒に遅刻すると目立つので、時間差でその家をすることにした。



「あこ、いや多田。河童のことはなるべくみんなには言うな。そして町内の大人たちになんとかしてもらったほうがいい」


「うん、あ!」


「?」


「田中くん、あこでいいよ。わたしも勇也くんって呼ぶから」



 一瞬困った顔をして、勇也は顔を赤くして、なんだか戸惑っているらしかった。



「だって、私たち、友達でしょう?」



 勇也は大きく溜息をした。



「ああ、もう! わかった。あこ、放課後に河童池に集合だ」


「うん! 勇也くん」


     ×   ×   ×


「あらあ、あの男の子さんが遅刻の理由、一人で先生に話すの? 大丈夫なの?」


「あ、そうだ。いけない!」



 慌ててあこは後を追おうとした。



「そうか……じゃあ、結果オーライね。わたし、学校に遅刻しそうな二人をお預かりしてますって、連絡入れちゃったから」


「それは……誘拐電話と間違えられませんか?」


小野辺おのべユウコの母ですって、ちゃんと名乗ったから大丈夫だとは思うわ」



 あの娘、ユウコちゃんっていうのか、小野辺さんって呼ぶのかな。ちゃんとお礼を言わないと。隣のクラスまで行くのか、ちょっと緊張! しかし小野辺さんちのお母様が、どこまで連絡してしまったのか、現時点では不安なわけで……。



「あ! 勇也くんが出てから十分経った。じゃあ私もいかないと」


「時間にきっちりしているのねえ」



 小野辺さんのお母様はニコニコとして、悪気もなくこちらが恥ずかしいことを言った。そうか、時間きっちりというのもおかしいのか。あこはなるべくゆっくりと歩くことにした。



「じゃあ、すみませんでした。地図、とっても助かりました。これで迷わないで登校できます」


「あらあら、いいのよ。それにね、そういうときは謝られるより、ありがとうって言われた方がうれしいわ」



 申し訳なさが先に立っていたあこは、それでぐっときてしまい、涙が出そうになった。



「あっ、ありがとうございます!」


「ん、百五十点満点!」



 頭を下げると、奥さんの陽気な声がふわりと包み込んで、あこの弱っていた心を癒した。



「本当にありがとうございました!」



 玄関先でシクラメンを咲かせている、素焼きのかえるにも、心の中で礼を言う。本当に助けられたと思う。ひょっとしたら、このかえるさんも、神様みたいなものなのかもしれない。そうだとしたら、あこの行く先々で見えたり、起こったりするできごと全てが、神様に見守られている、そんな気がする。それにそう思うと、なぜだかほっとする。



(大丈夫。神様は見ていてくれる)



 この街へ来た時より、よほど勇気づけられて、元気に学校への道に向かった。


     ×   ×   ×


 今日の体育は体育館で二人一組で柔軟体操から始まり、マット運動をすることになっていた。体操クラブの面々が前転、後転、倒立前転とキリキリ連続技を見せていく中、あこは藤本先生に近づいて行って、遅刻の言い訳をした。

 体育教師の藤本先生はむっつりとして「体育館十しゅう」と指差してから、胸にかけたホイッスルを鳴らし、生徒たちに注意をくり返した。

 他の生徒たちがマット運動をしているとき、あこはやっと八しゅう目を回りきったところだった。体育館は広く、普段クラブなどでは、バスケットボールやバレーボール、バトミントンや体操が同時に面を使っている。

 十しゅう走り終えたころには体育館には勇也とあこだけが残されていた。



「今日は大目に見るが、先生は甘くないぞ。罰として二人だけで片づけをしてもらう」


「はい……」



 二人が重たいマットを片付けている間、生徒たちは教室に着がえに行ってしまった。

 勇也がこっそりと意味深いみしんに笑った。



「これで、藤本先生のおかげで私服に着がえる時間がなくなった」



 そういえば、勇也の服は泥で汚れていた。小野辺さん宅で洗濯を勧められたのだが断ったのだ。どう考えても乾いているのを待っていたらもっと遅刻するし、大体勇也は毎日校庭でサッカーなどして服を汚して帰る。



「多田、田中――扉締とびらしめるぞー」


「はあはあ、はい……」



 重たくなった足を無理やり動かして駆け寄ろうとすると、その横を歩いていた勇也がさりげなく手をとった。マットでこすれたあこのてのひらがすりむけていた。先生はぼやぼやするな、と大声。



(ううう、足が痛い……)


「大丈夫か――多田」


(あ……今)



 勇也はあえて苗字で呼んだ。藤本先生がいるせいだ。こういう子供同士の会話でも、大人に筒抜つつぬけの場合、すこし気をつかう。



「うん、田中くん、大丈夫だよ」



 大丈夫、と言いつつ、内心は少し傷ついていた。自分との仲はおおやけにしたくないんだな、友達なのに……と思った。

 転校初日から気さくに声をかけてくれて、おしゃべりもした、その勇也が距離感きょりかんをつくってくるのはショックだった。



(それとも――)



 それまで勇也が見せてくれていた友達としての顔は、実は偽物にせもので、本当はもっと違う子とおしゃべりやスポーツをしたかったのかもしれない。クラブにも、うちこみたかったのかも。



『俺、あこからチョコもらいたいなー……』



 あれは、酔っぱらっていたから。ちょっとふざけていたのだろう。



(――忘れよう……左手のここ、一人でバンソウコ貼れるかな)



 そんなふうに考えていたとき、廊下を歩くあこの耳に、教室から悲鳴のようなものが聞こえてきた。

 扉を開けると、何人もの女子が鞄の中に手をつっこんで阿鼻叫喚あびきょうかんである。



「ない! バレンタインのチョコがない――」


「えーん、わたしの手作り、どこ行っちゃったのおー!」


「お小遣こづか前借まえがりして買ったのよ! 高かったんだからあ!」


「確かに義理と本命、わけておいたのに!」



 教室に入ろうとして、あこは急に寒気を覚えた。なぜだか彼女たちの視線が痛い。



「どうしたの?」



 ヒソヒソヒソ……。

 終わることのない、不気味な時間。



「ちょっといいかな」


「うん」



 あこは殊勝にうなずいた。



「今日、体育の時間、遅れてきたよね?」


「そうだけど……」


「着替えのとき、この教室で、誰もいなかった?」


「私一人だったけど」


「それはあやしい」



 そうよ、と一人の女子が続いた。



 ――そうよ。


 ――そうよ、そうよ。



「待って、なにか誤解してない?」



 根拠などなにもないのに、悪い予感がした。



「とぼけちゃって。あーあ! せっかく仲間に入れてあげようと思って、チョコパーティーに誘ってあげたのにさ」



 違う、何かの間違い、と言いたいのに口の中が乾いて舌が回らない。



「もしも、万が一、多田さんの机からチョコが出てきたらさ……」


「うん、あたしたちのものの可能性高いね」


「そんなことない!」



 改めて抗議しようとすると、合同授業で一緒だった、小野辺ユウコがそっと肩に触れてかばってくれた。そのまま、大丈夫だというように、力をこめてきた。



「この子じゃないよ。証拠もないのに失礼じゃない!?」


「なによ、証拠があればいいんでしょ! 机のものだしてみなさいよ!」



 あこが黙って机の中を探ると……。

 スーパーで見かけた百円のチョコボックスが出てきた。バレンタイン仕様だ。



「やっぱり!」


「待ちなさいよ、多田さんのものかもしれないでしょ」



 あくまでユウコは庇ってくれる。だけど、あこはパニックだ。



「知らない……私、チョコなんて学校に持ってきてないもの」



 ほうらやっぱり! と、奥の方から声がする。



「もっとあるでしょ、さっさと出しなよ」



 机の前にいた女子が机を押し倒した。みんなではないが、一部のみさかいをなくした娘たちがあこを悪者にした。



「恩知らず」



 庇ってくれていたはずのユウコの一言が胸に突き刺さった。



(そんな……あんなに楽しみにしてた日だったのに)



 あこは絶望感に目の前が暗くなった。

 みんなと、これで少しは仲良くなれるって……思ってたのに……。

 そのとき、大きな物音を立てて、廊下をかけめぐる奇怪なものが開いたままだった扉の向こう側に垣間見かいまみえた。

 なにか、ピンクのつやっとした外見の……頭には丸い皿。



(河童? でもあんなに大きかったっけ? それとも複数いるのかしら? なんで学校にいるの――?)



「待て――この河童!」



 追いかけてくる男子は勇也だった。



『河童は俺のじいちゃんも見たんだぜ』



 それが本当なら、四分の一、彼の遺伝子を受け継ぐ勇也にも言えるかもしれない。



「いやーん! 男子! 扉閉めてー」



 言われるまでもなくあこが閉める。その横で呆然と様子を見守っていた女子が、はっきり聞いてくる。



「河童って言った? ねえ、河童?」


「え、気のせいじゃない?」



 あこはとぼけたが、あれが河童だという確証も得てない以上、そう答えるしかない。



「それに今駆けてったの、田中くんでしょ? 何追いかけてるの? 多田さんあれなに」


「河童……かなあ」


「河童なんているの?」


「田中くんの勘違い、かもねえ」



 歯切れ悪く言うと、女子たちはパッと切り替えて、体操服と短パンをはいている娘はそのまま。中途の娘はさっと着がえて、河童が去っていった方の扉から全員出た。あこもである。




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