赤に蝕まれる頂き
……武器は戦争が終わるまで決して手放すな、そう命じる方だった。
だがこれは仕方ないだろう。
ロングソード、塗った死体の脂肪が持ち手まで延焼し、熱々に燃えている。ションベンでもかければ消えるだろうが、出血のせいか、一滴も出ない。
銀色ピエロが残した燃えてるサーベル、持ち手は無事だったが触れなくてもわかる、金属の柄は熱伝導で熱くなってるとわかる。
あとは銀色ピエロからの剥ぎ取り、燃える盾に防具に、中に詰まってるであろう水分、そもそも死んでるかの確認もまだだ。
それだけでもと階段下を覗き込むと、もう蟻がそこまで登って来ていた。
流石に炎や煙は避けているが、それでも可能な限り埋められるところを埋め尽くし、こちらへと迫ってくる。
時間は残されてなかった。
痛む右足を引きずり歩きながら、脳を包んでたズボンだけを回収し、左肩にかけて、中央の最後の石柱、巻きつく螺旋階段へ。
見上げる上に敵影は見えない。
一段、一段、踏みしめて、登る、登る。
うんざりする高さ、血痕一滴ない灰色の階段は、登りながらも地獄に続いているようにしか見えない。
痛い、辛い、辞めたい。だがペース、確実に蟻より速く、追いつかれる心配なく登れていた。
若干の余裕、深呼吸、改めて周囲を見回す。
……外壁のほとんどは赤い蟻に呑まれていた。
見下ろした塔の下、外の下に広がるこれまで通った世界、根元から、地獄大橋、立体的な要塞に、密集した町、狙撃された道、村、始まりの小部屋、全てが蟻に呑まれてる。
もはやここに安全系はこの上だけ、敵がいるのもこの上だけだ。
……いつの間にかスティレットを引き抜いて右手に持っていた。
構えてすらない。ただ落とさないように、指に引っ掛けてるだけ、これは限界だった。
………………そして思考も辞めて、ただただ足だけ動かして、登りきった。
敵影もない、樽も椅子もテーブルもない、ただの灰色の円形、何もない真っ平ら、これが塔の頂点、広さはアレだ、馬車で六台分くらいか?
広いのか狭いのか判断つかない頂点、風もなく、俺以外の音もない、ここが最後の安全地帯だった。
クルリと見ましても、明らかに誰もいない空間、生きてるのは俺だけ、俺だけが生き残った。
殺し合いの決着、儀式は、終わった、はずだ。
安堵も喜びもなく、ただ疲れと痛みがどっと出た。
これで、終わりのはずだ。
儀式は終わり、だが見てるのは蟻だけ、さすがにそれを察知するための首の焼印、魔方陣だと思うが、察知したところですぐに蟻を止められるかは疑問だし、止めた後に迎えに来るのにも時がかかるだろう。
……そもそも、こんなことした連中が約束を守るとは、限らない。
最悪な予想、だけどもできることは何もない。
できるのは、待つことだけだ。
頂点の円形のほぼ真ん中までよろよろと歩いて、倒れるように座りこんで、スティレット転がし手足を投げ出して、寝転ぶ。
とろけるような快楽、ただ休むというだけの贅沢、瞼を閉じればすぐに眠れそうな疲労、それを邪魔するのは痛みだった。
……諦めて瞼を開け、起き上がり、治療に入る。
とはいっても、右足と腰、それぞれの傷を縛る布を解いて、血を絞って縛り直す。それで終わりだ。絶対化膿するし、それで抉り落とすことになるかもしれない。それだけならまだしも、ほっとけば命も腐らせかねない。
あの、ロングソードの火、アレで焼いて血を止め消毒する、という荒治療もあり得たが、今更だ。
それが終わって、やることがなくなって、また寝転ぼうとした視界の端、赤が写った。
蟻、階段含め全方位、湧き上がる。
逃げ場なし、笑えないジョークだ。
儀式やなんやは人が決めたこと、蟻には無関係、全ては等しく餌でしかない、なわけだ。
……立ち上がる気力も湧かない。
そんな俺へ、蟻は迫る。
一定間隔、一列、はみ出るでなく遅れるでなく、綺麗な円を描いて、迫り来る。
……そして、止まった。
赤がへばりついたのは馬車一台分ぐらいの幅か、それ以上近く様子はなかった。
さすがに、最低限の仁義はあったようだ。
フゥ、と息を吐く、その様子をなんだか蟻に見られてる気分だった。
…………足音がした。
一歩、一歩、間違いない音、それに引き摺る音も加わって、階段を登って来ていた。
笑えない本物のジョーク、最後の最後に最後の敵、と考えないのは現実逃避だ。
そもそもどうやって蟻の中を歩けるのか、本当に歩いているのか、幽霊ではないのか、疑問を抱きながらも、俺は立ち上がり、無意識に、スティレットを構えていた。
……そして足音の主を出迎えるように、階段の蟻が割れた。
まるで意思があるかのように傅き、道を作る蟻たち、その真ん中を通って現れたのは、茶色いモジャモジャだった。
毛、と呼ぶには太すぎる茶色の紐、それが人型のシルエットから無数に飛び出て膨らんで、大きさを倍以上に見せかけている。
その紐は弾力があるようで一歩歩く度に大きく揺れて弾んだ。
毛がないのは唯一、顔にあたる部分だけ、そこだけが人だった。
白い肌、小さな目、整った鼻、見える限りは童顔で傷もなく、大げさな驚きの表情を見せていた。
「おっどろいたなぁ。まっさか生き残りが他のお三人じゃないなんて」
見た目通り幼い少年のような声、その声音には、気のせいか、小馬鹿にしたようなニュアンスが感じられた。
「まぁ、でも順当かぁ。あのおばさんは論外だし、ボーボーさんも下で死んで残る可能性は騎士道マニアだけど、アレもねぇ?」
親しげな語り口、だけどもその足は蟻の円を入るか否かで止まっている。
……少なくとも、俺を迎えに来たという現実逃避は必要なかった。
「あーあ、最後の最後で失敗した。完封勝利目指してたんだけど、やっぱ余裕でも調子こいちゃダメだね。余計なこと狙いすぎて君を見逃してたんだもん。真面目にやっとけばよかったって、後で怒られちゃうかな?」
笑うモジャモジャ、その笑みは、どことなく俺と似ていた。
「でもさ聞いてくれよぉ。賢者になったらプライバシーもなくなるじゃん? それわかっててこんなの見つけたらさ。お楽しみに取っとくじゃん普通さ」
そう言って、モジャモジャはモジャモジャの中から潜んでいた塊を、俺の前に投げ捨てる。
樽よりも小さい。白い色、だけども血に汚れた肌、だけども手は短すぎて、足は足りなすぎる。二の腕と腿にそれぞれ巻きついているのはモジャモジャの紐の一本のようだ。先端のビラビラは肉と皮、白いつるりは剥き出しの骨だった。
「数合わせ、出くわせばラッキーなボーナスターゲット、どうせ罪は免除なら、楽しまないとねぇ?」
笑うモジャモジャに反応して、塊は動いた。
肘より先、膝より下を失った四肢で踠き、首を捻ってあげた顔には目玉が一つだけ、青い瞳には見覚えがあった。
「……ぁぁ」
……声とも息とも取れる音を、まだ生きてるプシュチナは吐き出した。
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