絶望と希望とをつなぐ絨毯

 人体で、もっとも回復力が高いのは足の甲だと聞いた。


 大して重要でもなく、構造も単純で、何より一番下側にあるから循環する血液の栄養素が溜まりやすいのだそうだ。


 だからなんだという話だ。


 いくら回復力が高かろうと、左足の傷がすぐ治るわけではない。改めて見ればなおのこと、釘で裂けた足の甲に割れて浮いてる親指の爪、痛々しい見た目通り……痛い。


 泣き叫びたくなる激痛、それだけで全身の血が沸き立つ。


 だがそんなことしても何にもならないとは、ガキの時分に学習済みだ。


 今はなすべきことをなす。


 なすべきこととは、治療だ。


 手持ちの布、ドアに引っ掛けたズボンは脇腹を押さえるもので使えない。


 ならばドア男のをと手を伸ばす。


 シャツは汗でグッショリ、戦闘中は気がつかなかったがこうして触れると匂い立つ。ならばズボンだと、亡骸より引き脱がせ、ロングソードで裂く。


 理にはかなってないが、内側よりも外側の方が綺麗なような気がして、裏返さずに巻きつける。


 痛み、染みる痛み、それでも傷を締め上げ、割れて上がった爪を押し付けるだけでだいぶんとマシになった。


 ただ機動力は死んだ。


 巻かれてない踵で辛うじて踏ん張れるが、踏み切るのは難しい。少なくとも走るのは控えた方がいいだろう。


 立ち上がり、他の傷も確かめようとしてブルリと震えた。


 気温が下がった、わけではない。俺の体温が落ちてるのだ。


 血に濡れ、体力も減り、ゆっくりと瀕死に向かっている。


 ……このままいけばいずれ動けなくなる。


 そうなる前に、移動するべきだろう。


 最後に武器の確認、ロングソード、槍、スティレット、ブラスナックルは捨て、ドア男からの剥ぎ取りも諦めた。


 息を吸い、吐き出し、階段へと向かった。


 …………一段一段、重い。


 ただ足を上げて登るだけの動作、簡単にできてたことが、全力をふり絞らなければ危ぶまれるほどに、体が動かない。


 もはや警戒する余裕などない。


 粘りつくような疲労感、腕も上がらず、武器を手放さずに登るのが精一杯なザマだ。


 ここまでの疲弊は、訓練でも行軍でも実戦でも、経験がない。


 削られた体力、流れ出た血液、打撲や打ち身も含めたら無事なら部分の方が少ないだろう。


 何よりも冷える体が、より危機感を募らせる。


 体温の維持、赤子でもできることができなくなってる。これは、死ぬ前兆だろう。


 酷い現状だ。


 戦って死ぬのでもなく、殺されるでもなく、野垂れ死ぬとは、笑えない。


 それでも一応、希望はある。


 外から見た塔は、そんなに高くなかった気がした。それにこれまで多くを殺してきたのだ。残りも少ないはず。いやもう俺だけになってるかもしれない。あいつらは儀式とか言ってたが、なら生き残りを見殺しにはしないだろう。希望はある。


 ……いや、これこそ現実逃避だ。


 戦場で都合のいいことなど、味方側含めて一度もなかった。


 それに希望など、前線で死んでもらう兵士を鼓舞するためだけのプロパガンダでしかないと俺は知ってるいる。


 それでも、気の持ちようか、心なしか体があったまった気がした。


 存外、無駄と思ってた演説やら音楽やらも無駄ではなかったらしい。


 過去を思い返しながらまた一段、登ると光が現れた。


 これまでとは違う新たな色の光、赤色の輝き、それは明るさではなく臭いで、希望ではないとわかった。


 それは赤い炎だった。


 階段の途中、六段ほどが、柱と壁まで広がり塞がるように、燃えている。


 臭いから燃えてるのは酒、煙少ない中に割れたビンが見えるから、使われてるのは火炎ビンだろう。


 そんなのが、このタイミングで、立ち塞がる。


 それでも、超える方法、考える。


 上る階段の六段、飛び越えるのは無理、炎自体が小さいから水でもかければ消えそうだが、その水は下の階層、戻ったところでどうやって運ぶ?


 希望を焼き潰す絶望、カラリとロングソードが手からこぼれ落ちる。


 ……火攻めは、城攻め町攻めの禁じ手だ。


 小さな火種一つから簡単に始められて、焼き広がれば終戦後含めてなかなか終わらず、そして敵軍民間人、風向きによっては味方も問わずに沢山死ぬ。


 やられてわかるこの強さ、だったらあいつら殺す時に焼き殺せばよかった、などとは現実逃避だ。


 考えろ。


 壁を登る、のはつるりとしすぎて無理だ。


 槍で高飛び、もしならないし短いし無理だ。


 消火、水の代わりに血液、できそうだが、これだけの範囲を流したらそっちで死ぬ。


 誰か、他に、誰かいないのか。


 …………今こそプシュチナが恋しいと思ったことはなかった。


 そんな時、階下から、声がした気がした。


 新手、敵襲、そいつを殺したところで、ここはどうする?


 諦めに似た境地、それでも、まだ何かあると頭は考え続けていた。


「早く! ママだけでも!」


 聞き覚えのある文言に、俺としては珍しく、頰に皺ができるほど、大きく笑った。


 踵を返し登ってきた階段へ、一瞬ロングソードを思い出すが、拾う手間が惜しいと考え直して駆け下りる。


 思ったより出る速度、曲がりきれずに壁に肩を擦りつけながら無理矢理曲がり、同時に右手から左手へ、槍を持ち直す。


 そうしてどれだけか、足の痛みも忘れて降りて降りて、いきなり男らが現れた。


 思ってたより近くまで上がってた集団、全員がやせ細ったスキンヘッド、洗脳兵ども、ミッチリと詰まりながらも階段を登ってきたであろう先頭へ、槍をぶん投げた。


 ずぶり。


 いい音、先頭の男の首へ斜めに刺さった槍は貫通し、背後のもう一人の腹にも届いた。


「があああああ!!!」


 悲鳴は後ろの男からだけ、先頭は即死だ。


「敵だ! ママを! ママを守れ!」


 慌てる中、刺さった男の横から前に出てきた別の男へ、飛び蹴りをかます。


 激突、衝撃、それは左足、激痛になお頰を歪めながら、それでも蹴り飛ばし、登ってた集団を蹴り崩す。


 連鎖し倒れて崩れていく洗脳兵ども、その向こう、曲がった先にテーブルと、こいつらの言うマンマらしき亡骸の足が見えた。


 これで立ち上がるのに時間がかかるだろう。


 その前に、と崩れた中に落ち、急いで立ち上がって手短な男の首を折る。


 ボキリ、いい手応え、死体となった洗脳兵の一人、背中にトラ柄ビキニに猫耳な女の刺青を持つ亡骸を抱き上げる。


 軽い。


 あのプシュチナよりも軽いかもしれない。


 これなら、これで、いける。


 新たな希望を抱きかかえ、またも階段を登る。


「どけお前ら! ママに抱きつくな!」


 背後に怒声と騒めき、聴きながらこれまでにない速度で階段を駆け上がって、上がって、息も上がったころ、また炎の前に戻った。


 ……失敗、死体は心臓が止まってるから首を切っても血が出ない。


 ダメだ。違うまだだ。


 荒い息、血生臭いのを止められないまままだ考える。


 思い出せ。亡骸の処理に火葬を選ばなかった理由、死体は死んでても血は中、つまりは水袋、焼き切るにはかなりの燃料が大量にいる。


 つまりは燃えにくいのだ。


 迷わず亡骸を炎の中へ、絨毯を引くように寝そべらせる。


 ジュワー、といい音、肉が焼けて熱々になる前に、まずはロングソードを向こうへ投げて、ついでに死体へ跳んだ。


 躊躇などない。だが見てから跳ぶべきだったと踏んでから後悔、背中側だったのにフニャリとした足応え、滑りそうなのを滑り切るまえに踏み切り、もう一歩、跳んだ。


 股下を炙られる感覚、階段向こうへの着地、衝撃の痛みに転がりそうになるのを踏ん張って、なんとなった。


 あっさりとした解決、絶望言ってたのが嘘のようで拍子が抜け、思わず階段に腰を下ろしてしまった。


 足元には燃える炎、暖炉のようで体が温まる。


 上を見上げればもう次の階層、なら敵がいるかもしれない。その前に息を整えよう。出血の有無も見なければ、スティレットはまだあるだろうか確認しよう。


 つまり、今は、休息が必要だ。


 それが自分を甘やかせる現実逃避とはわかっている。だが、抗えなかった。


 それでも、火の中の亡骸をロングソードで引っ張り上げて絨毯を取り上げ、安全と思える高さまで登って、それからやっと腰を下ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る