次の階層
口を輪切りにされていたコボルト、首が折れてぽっくり逝ってて、熊の毛皮のように階段に伸びている。
剣で突いて、突き刺して、死んでるのを確認しながら仰向けにひっくり返す。
……驚いたことに黒毛の中には谷間、こいつは女だった。
だからなんだという話で、そもそもプシュチナという前例がいたんだ、驚くことでもない。
ただ、ただでさえ牡雌わかりにくい外見な上、長い口がグロく輪切りにされて、普通なら絶対に見えない歯の裏側とかが露出してる面は、萎えさせる。
そんな切断面、鋭利ではないが上顎と下顎を一撃で、骨と牙ごと切り取ったのはチャチな刃物ではないだろう。しかも傷はまだ湿っていて、流血も止まってない。つまりは斬りたてだということだ。
しかも雌コボルト、傷は輪切りだけでない。
俺が斬った左腕以外にも、出血から見て、足、腹、肩、黒毛の中に隠れた傷がありそうだ。それに右手、釘斧を投げようとしてた手も、人差し指と中指が欠けていた。
この傷、このダメージ、ほっといても死にような致命傷だった。
加えて階段、ここから上には細かな血飛沫が残っているが、ここから下、登ってきた階段には一滴もなかった。
つまり、これをやった相手が、この先、この上にいるということだった。
そう考えると、これは襲撃ではなく逃亡だったということになる。傷を受け、場をしきり直すため、適当な階段を下る道中、たまたま出くわした俺という邪魔者を退かそうとしただけ、となるのが自然だ。
……萎える。
敵がいる、のは当たり前だが、それが確実になった上に、運が良ければこの雌コボルトともぶつからなかったかもしれないというどうしようもない不運が、気分を萎えさせる。
俗に言う『流れが来てない』といった感じがした。
これからも不幸が続くような予感、そうでなくても確実に続く塔登りに、敵との殺し合い、現実逃避もしたくなる。
萎えた心が許したのは、より一層の雌コボルトへの検死だった。
……シャツとズボン、どちらから斬り裂こうか、迷ってる間に声が、下から上がってきた。
「急げ! ママを守るんだ!」
続く不運に舌打ち、漁る手間を惜しんで、それでもせめてもの嫌がらせにと亡骸を下へと蹴り落としてから、階段登りを再開した。
…………血飛沫、飛沫血痕、それと血の足跡、辿り辿り登り登り、雌コボルトの亡骸より程なくして、上方が開けて明るくなった。
警戒、慎重に上を覗き、一歩一歩上がる。
待ち伏せはない。ドアもなく、壁も手すりもないで、出たのはやたらと広い一部屋だった。
天井は二階か三階ほど、だだっ広く、大きな家ならすっぽり入りそうだ。登ってきた階段の柱はここの床の高さで終わっており、灰色の天井を支えているのは遠く離れた壁だけということになる。
その壁には大きな窓が、一定感覚で並んでいて、鉄格子はあるがガラスはなく、高さからか冷たい風が流れてくる。
窓のない壁際には樽が、高さ四つ底辺四つの三角形で積み重ねたものが、策か文様のように並んでいる。大きさ形からこれまで見てきた水の入っていたものだと想像できた。
大部屋中央にはまた螺旋階段がへばりつく柱が天井突き抜け上へと伸びている。そこから上へ上がるようだった。
そして床には、俺が今登ってきたような階段への出入り口の穴がいくつかあり、その周辺にはいくつもの血と肉と武器とが散乱していた。
……悲惨さで言えば、あの橋には遠く及ばず、死体の多くは原型を留めていて、ここは普通の戦場ぐらいだった。
だけども、吐きそうなぐらいに、あそこより悲惨なのは、現在進行形で死体が増えつつけていることだった。
ザシュリ。
耳心地の良い斬撃音、風のような一閃が低めに凪いだと思ったら、斧を肩に担いで突撃中だった男の、踏み出した右足の、膝から下を刈り取っていた。
「あ! が!」
男、間抜けな声、無くした足では着地できず、無様に転んで斧を手放し、なのに受け身も取れずに鼻を打ち付けていた。
その無防備な頸へ、槍が突き立てられ、鮮やかな止めを刺した。
そいつを刺したのは、長い長い、改造された槍だ。
元の穂先は真っ直ぐな刃に小さな鎌のついた二股、そこへ裂いた布でカットラスを縛り付け、延長してある。刃と反対側の石突きには頭が外れて鋭くなった釘、弱く見えるが頸を突いて止めに使えるのは今見た。
そいつで刺したのは、細い目の、小柄な女だった。
化粧っ気など当然なく、血まみれ傷だらけな顔はそれでも女とわかる美形より、長い黒髪を後ろで束ねている。控えめな胸の膨らみながらどことなく女性らしい体つき、代わりに首や腕は引き締まった筋肉が見える。
武器は改造槍だけ、だが服装は通常のシャツに、下半身には左右から抱きしめるかのように二枚のシャツと右腰左腰へ巻きつけ、前後に切れ目のあるスカート状にしてあった。
正直、風貌からは実力はわからない。
だが、転がる死屍累々から実力がわかる。
数は五人か六人、みな斬殺、一撃で命かそこへ届く致命傷、血の流れと足跡から、あの改造槍女はあそこからさほど動いていないようだった。
死体はかなり広範囲に散らばっており、それだけあの改造槍の間合いが広いことを示唆していた。
……そして、その改造槍の間合いは、取り囲んでる男らが示していた。
数は八人、女を中心とした一定距離上をお互い一定距離離しながら、それこそ半円を描くように立ち並んで、時折俺へ視線を向けるもすぐに無視して武器を女へ向け直す。
こいつらは間違いなく雑魚だ。
構えは屁っ放り腰、持つ武器も一種類のみ、服装ですら始まりの時と同じシャツとズボンのみ、しかも返り血はズボンの裾にしかない。傷こそないようだが、汗だくで顔色は悪い。
おそらくはここまで走って逃げ回ってきた連中だろう。賢い戦略かもしれないが、それでも儀式の性質上、最後の一人を殺す準備できてないあたり、その程度の連中なのだろう。
「ヨォニイちゃん、ゆっくりのご登場で」
その八人の内の一人、一番近いとこにいた、脂ぎった男が、俺へ話しかけてくる。
弛んで太い手足、出た腹、金髪はモジャモジャで、怪しげにカールしたもみ上げに割れ顎に、とにかく外見に不自由しないくどい顔の男だった。
「見ての通り、あのねぇちゃん強くてよぉ。みーんな足止め食らってんのさ」
現状わかってないのか、笑って歯を見せる。
「あんなんと戦うなんざごめんな話なんだがな。ねぇちゃんの後ろ、わかるか? 上への階段あの後ろにしかねーんだわ。それでさっさと先行ってくれりゃーいーのに、あぁしてよらば切るやってんだよ。参ったねー」
言いながらくどい顔の男は手のショートソードを肩でトントンする。その切っ先、遠目でわかるほどがっつりと欠けていた。戦闘ではなく、硬いものに突いて無駄に壊したのだろう。無能だ。
「てなわけで、あのねぇちゃん強すぎるから、退いてくれるまでみんなで休戦してるってわけよ。そんなわけだから、にぃちゃんも水、飲んできな。何、いっぱいあるから体洗ってもいいぞ」
ケラケラ笑いながら女へ視線を戻すくどい男、その首は太く、疲労のある俺の腕では、斬りつけたロングソードは骨までがやっとだった。
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