左回りの階段

 ドアもない入り口、かなり厚い壁の中、塔の内側は、思ったより、だけども予想通りに、明るい。


 見上げれば絶対手の届かない高さに明かり取りの窓が、いくつか並んでガランとした中へと光を通していた。


 灰色の内部、これまでと打って変わって曲線ばかりな内部は、それでもシンプルだ。


 まず柱、真っ直ぐで太い円柱が中央にそびえている。おそらくは一番上まで抜けて、上の階層を支えてると想像させた。


 その周囲を階段が、絡み上がる蔦のように登ってる。その幅は馬車が登れそうなほどで、天井の高さも含めて、少なくとも死体一つ程度で封鎖されることはなさそうだった。


 これが塔の全部だった。


 柱と階段だけの塔、ここはあくまで移動のための場所で本番の殺し合いは上の円形の階層で、ということなのだろう。


 ならばその通り、上へ向かう。


 広く明るい階段、待ち伏せできる死角はないが、それでも警戒は必須、ロングソードを正面に、一段一段登っていく。


 …………ウンザリするような運動が始まった。


 永遠に続くかと思われる左回り、最初こそ緊張してたが、それが緩んで奇妙な違和感に襲われ、それも踏み越えるともはや苦行でしかなかった。


 これが、どこまで続くのか、外から見た限り、最初の収束する階層はこれまでのどの建物よりも上にあった。


 つまり、それだけ登る必要がある。


 しかも道中警戒し、かつ上がったところで殺し合いが待っている。


 このシチュエーション、軍での行軍訓練を思い出す。


 鎧含めた完全武装、水と食料は自身が持てるだけ、補給も休息もなし、目的地も訓練期間も知らされず、山の中森の中川の中、延々と歩かされる。そしていきなり襲撃訓練だとか難癖つけて模擬戦やら塹壕掘りとかやらされる。


 最初に参加した時はただただキツイだけだったが、脱落者から水を奪うというコツを掴んだ次からはだいぶと楽になった。


 ……これもまた現実逃避、余計な思考で無駄に体力を消耗している場合じゃない。


 いや、もう体力を消耗してるのだ。


 このまま登りきって殺し合いに参加してやる必要はない。


 まだ蟻が遠く、敵の音もない状況、上官もいない。休息は自由だ。


 念のため、登った階段を数段降りて、外側の壁に背をつけ、ロングソードの構えを解く。


 座れればより良いが、それでは上階に背を向けてしまうし、再び立てる気がしなかった。


 それでも、ロングソードを下げられるのはかなり楽だった。


 カチリ。


 切っ先が階段の角に当たり、思っていたよりも大きな音が、等の内部に響いた。


 少なくとも同じ階段にいるものならば確実に聴こえてしまっただろう。これで隠密は無理、先に登ったやつに警戒されてしまっただろう。


 由々しき事態、だが今は休息が優先された。


 突いた剣をヘソにもたれ掛けさせ、空いた両手を交互に揉んで関節を鳴らす。


 ……上から音がする。


 小さく、遠く、一つなら聞き間違いと流すような音、それが断続的に、上から響いてきた。


 それが段々と、ザ、ザ、と大きくなってくる。


 冗談だろ?


 ウンザリする気持ちを蘇らせながらロングソードを持ち直す。


 ザ、ザ、ザ、近く音は足音に近いが違うもの、もっと短く小刻みだ。


 どのような移動か、よくはわからないが、わざわざこちらまで降りてくる好戦的な相手、加えてここまで生き残れたとなれば、面倒なのは間違いないだろう。


 壁より背を離し、立つ位置は階段中央よりやや柱側へ、右足を二段下へ下ろ、ロングソードの高さは腰、切っ先は後ろへ、右から斬り上げる構えで迎え撃つ。


 ザ、に対して基本は下がる。下がり降りながら観察する。


 斬り殺せるならこの場で叩き斬る。


 斬り殺せないか、斬り殺せるか不安ば横に避ける。


 他にはない。というか、これ以上考える時間はないとザが教えてくる。


 息を吸い、ゆっくり吐き、集中を高めて、階段上を凝視する。


 そして数呼吸後、現れたザは、思ったより高めだった。


 そいつが踏んだのは階段ではなく壁、左足で着壁し、落下しきる前に蹴り跳ぶのは、黒く汚れた毛並みの犬頭、コボルトだった。


 ピンと立った耳、血走った目、旗のように舌をなびかせて、俺へ真っ直ぐ跳んできた。


 肘を突き出し前に出してる左腕はトゲトゲ、まるで鋸のように、四本か五本の赤黒い杭を腕に直角に縛り付けていた。


 野蛮な武装、だが縛り付けた腕は生身、なら斬り殺せる。


 鼻から息を吐きながら迫るコボルトへ、右下より左上へ、斬り上げた。


 対してコボルト肘を下げる。脇を締めて防御の構え、だがそれは格闘技の防御の構えだ。


 ザク、という手応え、銀の刃が斬りつけたのはコボルトの二の腕、そこに結びつけた杭の一本、感触から椅子の足だろう、食い込み割り割いて肉まで届いた。


 しかしそこまで、骨には届かず、想定外に浅い傷にとどまった。


 軽すぎたコボルトの体、斬りつけたのに体重で踏ん張らず、結果抵抗少なく体が流れた結果だった。


 それでも左腕は死んだ。死んだのは左腕だけだ。


 痛みか、正気か、あるいは、コボルトは目をギョロつかせ、真横に引いていて隠していた右腕をさらけ出す。


 そこに握られていたのはテーブルの脚、そこに一列綺にして麗に釘を刺し並べてくしのようにしてあった。


 それは棍棒ではなく投げ斧だった。


 それも面倒なことに一撃必殺狙いでなく、浅くても確実に傷を作るのを狙ったもの、受け流しパリィが出来てもその手が引っ掻かれる可能性が高いやつだった。


 しかし何もできない。


 回避、防御、受け流しパリィ、やりたいがロングソードを振るった反動、流れた重心、崩れた体勢、何もかもが隙だらけで、わかってるのに何もできない状況に陥っていた。


 ケハァ。


 息を吐き、口を開いたコボルト、それで初めて犬の長い口が輪切りにされていたと気がついた。


 ザリ、と擦る音、投げられた投げ斧、釘と木目のまだら模様で回転しながら飛んできて、俺の肩横を抜けて、階段の降りる方へと外れていった。


 投げ斧、外したのは柱だ。投げる直前にコボルトの体が俺に斬られ、位置が柱側へと移動され、結果先が引っかかり、引っ張られ、手からすぽ抜けて、投げるタイミングがずれて、最終的に狙いが外れたのだ。


 それが頭に電撃のような理解を走らせる。


 ……これまで出入りした軍用施設は敵味方関係ないしに階段は右回りだった。


 そこで戦った場合、守る側、上の方は右手がカーブの外側広い方に来る。逆に下の方、攻める側はカーブの内側狭い方に右手が来るので、ここでいう柱が邪魔で思ったように右手の武器を振るえないのだ。


 さりげなく考えられた建築学の妙技、そう考えればこの党は左回り、上が不利になっている。


 階段での待ち伏せを封じるためか、あるいは偶然か、疑問に思考する前に体が自然に動き続けていた。


 コボルトを斬りつけたロングソード、食い込みずれただけで止まらず、だけどもその体重に軌道が下がって、そのまま階段と柱の角へ、黒い体を叩きつけていた。


 ボグリ、という手応えは、切断ではなく首の骨を叩き折った手応えだった。

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