無能の軍勢



 ……軍隊で、兵士一人一人に求める能力で最も重視されるのは、忠誠心だった。


 いくら強くても、いくら賢くても、敵を前に逃げ出したら意味がないし、裏切る恐れがあるならおいそれとは使えない。


 だから訓練課程で戦意高揚と忠誠心向上はそれなりの時間、かけて行われてきた。


 忠誠心、その育成に極端に振ってきたのが洗脳兵だった。


 絶対忠誠、逆らうという発想がすっぽりと抜け落ち、もはや自己意識など霧散した抜け殻の兵士たち、細かな内容までは聞き及んでないが、渡された資料通りなら、彼らに薬物も魔法も用いられていないらしい。


 最初は孤立させ、それこを集団で囲っての罵詈雑言の人格否定、それが終わればひたすら疲れるだけの肉体労働オーバーロードが休みなく続く。かと思えば大げさなほど愛を語り、仲間だ家族だと呼び、抱擁する。


 訓練外の生活も支配し、外界との情報遮断、食事も肉や豆を与えず野菜ばかり、睡眠時間削って真っ当な思考力を奪う。


 疲弊した肉体、磨り減った精神、終わりのない地獄、唯一の救いは忠誠心を示すことだけ……地獄から逃れるためならば人は何でもするし、何にでもなる。


 こうして三カ月ほどの短期集中訓練で人は、洗脳兵となるのだ。


 実際、前線に送られてきたやつらはどんな命令にも従った。例え素手で己の足を千切れと命じれば、その通りに実行した。


 そんなのが、これだけの数、ましてや同じ人物の刺青を背負って、同じババァに心酔してたなんて、偶然などと呼ぶ気は無い。


 こいつらは事前に、意図して、ババァのために、集められた。


 そして集めたのは、用意したのは、あの騎士様と同じ、この儀式を知ってるやつらだ。


 ……これは、規模がでかい。


 洗脳兵は軍事機密、それも失敗した機密、一般に開示されるのは、メンツのため、関係者全員が老衰で死んで五十年は待たないとありえない。


 そんなのを、ババァ一人のために与えられる。軍部のかなり上が噛んでいることになる。


 途方も無い規模、陰謀、世界の闇、好奇心が嫌でも刺激される。


 洗脳兵は何も知らされてないだろうし、知ってたところで絶対に口を開かないだろう。


 知ってるとすれば、あのババァだけだが、一目見れば軍の関係者でないのは明白、つまりは何もわからないだろう。


 知れる可能性は一つ、生き残ること、それだけだ。


 思う俺に、ゾ、と一斉に視線が向いた。


 その顔、コケた頰、目の下のクマ、悟りを開いたように安らかな眼差し、人種も年齢もバラバラなはずなのに、全て同じに見える。


 そいつらに、迂闊、見つかった。


「敵だ」


 一人が言う。


「敵だ」「敵だ」「敵だ」


 他が続く。


「敵は?」「「「「「「殺せ!」」」」」


 元気の良いお返事、一斉に動き出す。


 正面、真っ直ぐ突っ込んでくる一団、左右、別れる集団、ただ直線的に追いかけてくるのではなく、広がり取り囲む動き、命令が終わっている。


 ここは逃げるのがセオリー、この状況で人数有利はかなり強い。俺でも相手が二人いるなら戦わず逃げる道を選ぶ。実際この集団はそうやって数の威嚇でここまで生き残ってきたのだろう。


 だが俺は知っている。


 こいつらが理想通りに使えた兵士ならば、少なくともあの撤退の時にもっと余裕があった。そうでないから俺はここにいる、とは言い過ぎかもしれないが、遠因なのは確かだ。


 知ってる。だから前に出る。


 柱から抜けて広い空間へ、あえて進み出た俺へ、正面から駆け寄る集団はその速度を落とした。


 警戒ではない。体力を消耗したのだ。


 ……思考を落とすための食事制限、その上で酷使され続けた肉体は限界を超え、短距離を走ることすらできないほど、体力を消耗しているのだ。


 素手なのも、その使い方を忘れただけでなく、単に重い物が持ち上げられないだけだ。


 次に反応の鈍化、真っ正面一番近い男の突き出した手へ、ロングソードを斬り上げる。


 これに男は回避も防御も攻撃も反応もしない。するだけの頭が残ってないのだ。


 サックリとした手応え、細い両腕は肘の位置で二本まとめてぶった斬れた。


 弱兵、肝心の戦闘では使いものにならない頭数だけの兵士たち、使えない。


 だがそれでも止まらないのが洗脳兵だ。


 無くした腕を突き出しなおも追いかけてくる。


 それを数歩引けば、吹き出た血で滑り、転けて、立とうともがく背中を後続に踏みつけられる。


 そして後続が、次々に殺到してくる。


 その手に、指に、足に、斬撃を浴びせるも、致命傷以外は止まらない。


 弱兵、だけども数の暴力、こちらの体力が尽きれば、ただただ殺到してのしかかり、押しつぶしてくる。それだけで俺は死ぬ。


 だが引いたら助からないとも知っている。


 ロングソード横にして押し付けるように集団先頭へ投げつけてやると、三人がかりでありながら押し負け、足を止めた。


 その内の一人、伸ばした手を掴み、引き寄せ、背後からその細い首に左腕を巻きつけ、羽交い締めに締め上げる。


 ……人は失敗から学ぶと言うが、失敗から学べるのは『失敗したらどうなるか』だけだ。


 失敗から成功を見つけ出したくば、後悔するか、失敗結果を利用するか、どちらかだ。


 羽交い締めにした男に巻きつけた腕を引き上げ、その顎を上げさせる。そしてその首へ、右手で引き抜いた片刃のナイフを走らせる。


 背後暗殺の失敗、静かに綺麗に殺すのが目的ならば、このやり方は失敗だ。


 なぜなら、周囲へ返り血を派手にブチまけるからだ。


 ブシャー。


 口に含んだ水を噴出するように、鮮血が飛沫となってあたりにばら撒かれる。


 それで、洗脳兵が狼狽え始める。


「お前は誰だ?」「お前は誰だ?」「お前は誰だ?」「お前は誰だ?」


 こいつらが同じような顔になってるのは、単純に覚えられる顔の数が少ないからだ。自分と同じ顔と、あとババァ以外は敵、ぐらいの単純化した知能は、赤く染まった顔が味方かどうか判別つかないのだ。


 真っ赤な洗脳兵は同士討ちを始める。だがどちらも弱兵、ペチペチやってるだけだった。


「何してるのよ!」


 ヒステリックな声、テーブルの上で立ったババァ、どうやらこいつらの弱さを、それ以上に戦場を知らないと見える。


 赤の混乱の中で、俺は腰に巻いたズボンを解く。


 方裾を結び、メイスを入れた紐分銅もどき、頭上でぶん回すも誰も止めず、誰も反応しない。


 そうして十二分に遠心力を乗せたメイスを、ぶん投げた。


 綺麗な放物線、洗脳兵を飛び越えて、ババァの顔面へ、ゴ、直撃した。


「まんんま!」


 絶叫、悲鳴、混乱と狼狽、こちらはあっという間に伝播した。


「ママ!」「ママ!」「ママおっきして!」


 まるで母親の死体を見つけた子供みたいに、無駄に騒ぐ。


「ママ?」「ママ?」「ママ!」


 柱の列に入ってた連中もぞろぞろ出てきて、騒ぎを見るや、ババァへ殺到する。


「ママ!」「ママ大好き!」「ママ!」


 大の男どもが騒ぐ。実の親が殺されても普通はここまで騒ぎはしないのに、見っともない。


「ママ! 僕たちはどうしたらいいの!」


 そう、これが最大の弱点、命令通りに動く忠誠心は命令がなければ一歩も動けない無能の兵士を作り出した。


 ……泣き叫ぶ洗脳兵たちは、俺は斬り殺したやつからズボンを奪い、腰に巻き直し、ロングソードを回収して、準備万端で等に入っても、何もし泣き叫ぶだけで何もしてこなかった。

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