黒髪の夜伽

 俺の左腕とゴキブリ女の左の触覚、間で引き合わされ、ピンと張る黒髪、そこへロングソードを斬りつける。


 しかしいかなケアをしてるのか、叩きつけ、擦りつけ、引っ掻き斬ろうと挑戦するもゴキブリ女の黒い三つ編みはその一本も斬れなかった。


 そしてもがく度に刺刺の釘が腕の肉に食い込み、血を絞り出す。


 それに留まらず、踏ん張る俺の足が、床を滑り少しずつ少しずつ、引き寄せられていく。


「食べさせてください」


 赤いドロドロを吐き出し終えたゴキブリ女は、何事もなかったかのように話しかけてくる。


 やっぱり人肉を食うようなやつは駄目らしい。


 見てる前で、ゴキブリ女は左手に右手の片刃のナイフを移し、空いた右手は右の触覚を掴む。


 そして旋回、回転、遠心力、響き渡る風切り音、円は小さいがその分高速、先端は残像で潰れて見えない。


 これが、本気の速度、受ければロングソードでも弾かれかねない。


 それ以前に発射を見逃せば反応できなくなる。


 汗、痛み、押しやり集中力、唾を呑み込むと同じくして放たれた。


 ……ただしそれは左手、別の投擲だった。


 片刃のナイフ、高さは足、回転する刃は速い。


 意識外の一投、無視できない一投、それでも低ければ飛び越えられる。思い回避、足に力を込めた瞬間、引かれた。


 首だけの力、だけども体重差も加わり、バランスを崩しかけ、踏ん張り止まれば避ける余裕は消えた。


 残るは防御、ロングソード、逆手に持って切っ先を下へ床に突き刺す勢いで突いて、受けて弾く。


 命中、成功、金属音は軽く、衝撃も弱く、だけども構え直すには手間取る体制、だがもう触覚は放たれていた。


 矢の如き速さ、高さは顔面、軌道は直線、防御に必要なのは、間合いだ。


 決心、正面へ、跳んだ。


 引き合う力に張り合わず、一歩近寄り黒髪を弛ませた。


 そしてその弛みを手繰り、右手と左腕の間で、縦に張り、突き出して盾とした。


 チ、という短い音、飛来した右の触覚先端は左の触覚を掠め、あれだけ斬れなかった髪を一つまみ、斬り裂いた。


 同時にそれで軌道がずれた右触覚先端、俺の右耳を削り飛ばして背後へ飛んでいく。


 喪失の痛みより手に入れた好機に笑う。


 右が戻る前に一気に駆け出し、間合いを踏み潰す。


 対してゴキブリ女、俺より先に戻さんと伸びきった右触覚を両手で掴んだ。


 それが引っ張る前に、今度は俺が投げつける番だ。


 メイス、腰から引き抜き、右手で振りかぶり、ぶん投げる。


 ゴキブリ女、反応し右手離して顔を庇うも短すぎ、届かず顔面、命中、そして陥没した。


「痛いです」


 伝わらない声を上げるゴキブリ女、ボロリと落ちたメイスを腰の高さでようやく受け止めた頃には、その横を駆け抜けていた。


 同時に弛みきった触覚の髪で輪を作り、投げてゴキブリ女の太い首へ、投げつけ巻きつけた。


 そして跳んで、誠に遺憾だが、背中と背中とをぴたりと合わせた。


 背中越しに感じる柔らかく冷たい感触、鼻にかかるのは血とゲロだけではない、腹ただしいことに何か甘い花の、おそらく桃の香りが混じってる。


 そういえばゴキブリは果物も食うのだと思い出しながら、背負う形で触覚を一気に引き下げた。


 首絞め、素手で殺すならこれが一番だ。だけども相手はゴキブリ女、異形相手に通常通りには通じない。


 この太さ、首の骨は流石に折れない。


 気道を封じれば窒息、それも難しいかもしれない。


 だとしたら血管締め上げ、脳への血流を阻害して気絶を狙う。


 ……どれでも気が遠くなるほど時間がかかる。


「ぐぇ」


 ようやく外見に似合った声を上げるゴキブリ女、太すぎる首を絞められるかが不安だったが、ゼェハァ言う呼吸が大丈夫と教えてくれた。


 気道閉鎖、あとはこのまま絞め殺すだけだ。


 引く、ではなくぶら下がる運動、それでも背中を丸めて力を込めて、引きちぎる勢いで締める、締める。


 これに暴れるゴキブリ女、俺を背負ったまま歩き回り、腕を振り回すも背後までは届かず、ただ喉の髪を引っ掻き続ける。


 このまま、このまま、早く死ね。死ね。死ね。


 …………念じる思いがようやく届いて、ゴキブリ女の最期の足掻きが弱っていく。


 歩みを止め、手は引っ掻くのをやめて触れるだけとなり、そしてようやく、ゆっくりと、


 笑えない。


 迫る床、背後の巨体が上になっていく。


 焦る頭に浮かぶのはやってはいけないこと、足出せば潰れて折れる、手を離せば息を吹き返す、即ち現状維持となって、そのまま潰された。


「ぐぇ」

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