失ったもの
……筋肉ドワーフとの戦いで得られたものはほぼなかった。
強いて言うなら、残された血の跡と血の足跡ぐらいだろう。
それも結局は、追跡は可能、追い討ちもできる状態にあって、もっと戦えるというだけの話だった。
手負いの格闘家がいかに危険か、それを確かめに行くほど狂ってはないし、暇でもない。
それにこちらも手負いだ。これは失ったものだ。
軽く開いた傷口、これはまだいい。痛いだけで問題ない。
問題は腹、蹴りを受けた跡だ。
親指の爪がなかったとはいえ強烈だった蹴り、当然のように板は砕け、それで緩和しきれず打撃跡、板の形にくっきりと内出血している。
そして鈍痛、少なくとも悶えて苦しむほどではないが、内臓系のダメージは自覚しにくい。
わかっているが、今は立って歩け、ならば問題なく戦えるはず、と自分を騙すしかなかった。
それに装備はおおよそ無事だった。
三又、弾かれたから折れたかとも思ったが、三つの刃のうち外側一つの先端が欠けただけで槍としては無事だ。
ロングソードは問題ない。折れも欠けもせず、ただ筋肉ドワーフの指紋だけが両面にくっきりと残っていた。
メイスも綺麗なもので、凹みもせず、卵の流線は健全だ。
後は、腹の板が無くなったぐらいだ。次蹴られたら痛いが、ない分腰回りが自由となった。
万全ではなくなったが、悲観するほど悲惨でもない。
……いくら現状を見返したって、現実逃避にしかならない。
プシュチナ、一番の損失だったかもしれない。
板を割る強烈な蹴り、そんなのを不意打ちで喰らい、壁まで飛ばされた小さな体、うつ伏せに倒れ、ピクリとも動かないその姿は壊れた人形だった。
呆気ない最後、戦場で見飽きてきた一幕、もはや利用価値のない肉の塊、それでも服だけは貰っていこう、そう考えて足を止めて、手を伸ばしたことは間違いではなかったはずだ。
……だがプシュチナは生きていた。
ピクリと指を動かし、少しだけ首を上げ、涙か何かで潤む一つ目で、俺を見返した。
「……いけ、ます」
掠れるような声、小さな指が床を掻いて、震えながら手を突いた。
「立て、ます。行けます。だから、だからお願い、置いてかないで!」
最後、振り絞る大声、どこにそんな力が残っていたのか、生きてはいるらしい。だが立とうと、左手を突いた瞬間顔が歪んだ。
同時にグラリと真っ直ぐなはずの腕がずれた。
骨折、肘と手首の中間あたり、曲がり方から綺麗にポッキリいったようだ。
これで片手は死んだ。治るには時間が必要だろう。
「大丈夫、です」
自分に言い聞かせるように吐き出して、右手で体を起こし、立ち上がる。
ふらつく足、潰れた左目に折れた左手、血色悪かった肌は痛みに興奮してピンクとなっている。
満身創痍、戦線離脱も止む無し、だけども女だからか、口だけは達者だった。
「こんなの、なんでもありません。見ての通り立って歩けます。泣いたりしません。声を出さないです。お役に立てます。ですから、どうか、どうかお願いです。ここに、置いてかないで!」
どこにそんな力が残っているのか、最後の一言は響き渡り、未だに耳に残ってる。
それで思考、まだ使えるなら使い潰してから殺すべきだろう。答えはすぐにでた。
「なら、先に行け」
そう答えたのは間違いだったのか、考えざるを得ない。
…………それほど、プシュチナの歩みはチンタラしてた。
一歩一歩をつっかえつっかえ、口ではああ言ってたが、やはりダメージはあったのか右足も引きずってるようだ。言いつけるほどではないが確かに挟まれる小休止、聞き間違えかと思えるほど小さな呟き、壊れかけてる。
折れた左手を右肘で挟み固定し、先の手は変わらず目を押さえていて、ドアを開けるだけでも腕をどうしたらいいか試行錯誤し、手間取る。
結果、移動速度は蟻の歩みとほぼ同じぐらいにまで落ちた。なら横に動いた分だけ猶予が消え、中央へ向かっても猶予は稼げない。
焦れったい。これなら合わせて歩く価値も消える。
殺すか、置いて行くか、思案するのも浪費だ。
こんな悩ませるなら、いっそすっぱり死んでてくれた方が楽だった。
それでも、筋肉ドワーフと激突した部屋から、右に二つ、中央へ四つ進んで新たな部屋の前で、また足を止めた。
ドアは、開いていた。
中は、やたらと広い部屋だった。
椅子やテーブルは見当たらない。天井は二階分ほど、入る前から奥行きと左右の壁が遠いとわかる。
この部屋を迂回するには、あるとしたら下から、それ以外だとかなりの移動が必要だろう。
そんな真っ只中、盛り上がった塊がいた。
色合いからシャツを着た背中だとはわかる。だけども横にも縦にも広く、大きく、呼吸か何かで動く度、肉が波打っている。
それは筋肉ではない。
そいつの前には足が、誰かが寝ているようではあった。ただし流れが止まってない血溜まりから、そちらは死んでるものと思われた。
そして響くピチャピチャ音、想像したくないことを想像させてくる。
「……食べてるんですか? 死体を?」
具体的にプシュチナに言われて、想像が固定する。
水分は、運が良ければ樽から手に入る。俺は手にした。しかし、食料となると、敵か蟻しかない。なら蟻より食いでのある方を選ぶのは自然だ。
禁忌の食事による体力回復、自体は痛手だが、それよりも肉が新鮮なのが気になった。
流れる血からまだ死にたて、つまりは戦いたてと見える。そして青手は死体に夢中、こちらは死角、まだ気取られた様子はない。
迂回は無理なら。殺そう。
殺すなら、今だ。
「下がってろ」
プシュチナへ命じてから中へ。
思ったより遠い背中、近寄るのは愚策、なので遠距離攻撃で殺す。
助走は最低限の三歩、体の捻りにバネに、全部の力を乗せて、三又の槍をぶん投げた。
威力十分、方向は真っ直ぐ背中へ、ただ小さな山形の軌道は少し高すぎて、チッ、と無視できない音を立てて天井を掠めた。
それでも真っ直ぐ変わらず背中へ。
突き刺さる直前、そいつは振り返った。
……否、そいつは槍を、弾き飛ばした。
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