誤算

 オーク、平均して巨体で、たっぷりの贅肉にそれを動かせる筋肉、種族的に脳筋で 、よくて傭兵、多いのが山賊、結局は野蛮人、そして俺の戦場では敵側だった種族……現れた豚鼻はオークだった。


 ピンク色の肌、スキンヘッド、潰れた鼻は正に豚、知性の見えない瞳は小動物に近いつぶらなもので、だが洗うということを知らない肌はざらつき滑り、不潔だ。


 そんなオークの手に残ってるのは、テーブルの脚が一本だ。


 安物とはいえ、俺でも運ぶのに苦労しそうなテーブルを振り回し、ぶん殴ってきた。想像を上回るバカ力だ。


 加えて息を潜めての待ち伏せ、奇襲、虚をついた一撃は、向こうの狙い通りに当たっていれば、俺は死んでいた。


 それを狂わせ、俺を助けたのは、プシュチナの存在だった。


 横に振るったテーブルは必殺の凶器、そのタイミングは完璧だった。


 ただ、誤算だったのは、相手がプシュチナで、俺がその後ろにいたことまでは、オークの頭になかったようだ。


 お陰で、オークの恐るべき力によって振るわれたテーブルは、背の低いプシュチナの頭上を掠め、壁の角に激突して粉々に砕けで爆ぜた。


 そして奇襲は失敗し、巨大なテーブルという武器はただの脚という棒に成り下がり、それらを理解しきれてないオークは見逃せない隙の中にいた。


 その隙を逃すつもりはない。一気に前へ踏み出る。


 盾を前に、スティレットを脇に構えて間合いを詰めるも、対するピンクオークも速かった。


 「フゴァ!」


 鼻を鳴らすと同時に蹴り上げられた足、蹴り上げられたのはプシュチナの小さな体、飛ばずに転がり、俺の足元にて止まる。


 これ以上踏み込めば蹴り躓く。


 判断から足が止まり、またもオークに先を越された。


 残るテーブルの脚を捨て、代わりに腰から引き抜いたのはガラスの小瓶だった。一瞬で見るに、蓋までガラスのそいつはご丁寧にドクロのマークまであって、あからさまに毒だとわかる。


 そいつがまたも振りかぶられる。


 投げられ、砕けで中身を浴びれば、痛いじゃ済まないだろう。


 だから今度こそ先んじた。


 腰の一から前方へ、振り上げる動作に乗せて、手のスティレットを投擲した。


 グボ。


 命中、刺さったのはオークの右の鼻の穴の中だった。


 タラリ流れる鼻からの血、ピンクオークは小瓶を取りこぼした。


 バリンと割れて漏れ出て、白い煙をあげる瓶の中身、それに目もくれず、震える指で鼻に突き刺さったスティレットを掴む。


 抜かれる、前に殺す。


 今度こそ一歩、プシュチナを踏みつけ踏み込み、繰り出す一撃は左の裏拳、盾の打撃をスティレットへ、叩き込む。


 板越しにでも伝わる硬い手応え、鼻の奥の骨にめり込んだ感覚は、心地いい。


 それでも、大きく見開かれた両目、耳に残る左の鼻の穴から血が吹き出れば、致命傷だろう。


 ……後方へとゆっくりと倒れていくピンクオーク、己の死期を悟ったのか、スティレットから手を離し、代わりに何か、ハンドサインを切る。


 その意味はわからない。だがなんなのかわかる。


 腕と指の動きを中心とした身振り手振りを言葉にした、俗に言う手話というやつだろう。軍で見たのとは違うから、これは一般用の、いわゆる耳の聞こえない人たち用のやつだろう。


 なら納得だ。


 聞こえていたならあの会話から、こちらが二人とわかってたはず、なら俺でもプシュチナでもなく壁なんて半端なものは殴らないで、初手で瓶だったろう。


 不運なオーク、だが戦場はバリアフリーだ。


 グチャリと倒れると同時に、断末魔なり呪いなりを吐き捨ててた腕が溢れ、割れた瓶の上に、煙の中でピンクの指がビチャリと浸かり、すぐにジュグジュグと溶け始めた。


 ……これで声一つ上げないのは、流石に死んでるだろう。


 思いながらも次が来るかもとピンクオークを乗り越え、隠れてた角の向こうを覗き込む。


 ……動くものはなく、音も、喧騒もまだ遠い。


 追撃はまだなさそうと確認してから、仰向けなオークの顔を踏みつけ、スティレットへ手をかける。握り、踏み締め、抉って、一気に引き抜くと、スポリと抜けた。


 思ってたよりも浅く刺さってた先端には、鼻くそと鼻水と血と脳みそがこびりついていた。それらの汚れをオークのシャツで拭い、ついでに手早く、毒瓶に注意を払いながら死体を見聞する。


 ……武器は他になし。ダメージも汚れもないからこれが初戦だろう。


 瓶は割れた。毒は、スティレット自身も溶かしかねない。服は、間に合ってる。


 ……こいつからこれ以上得られるものはなさそうだった。


 ならば長居は不要だ。


「おい」


 声をかけ、振り返れば、プシュチナはまだ破片の中で転がっていた。


 体を丸め、腹を押さえ、口から透明な粘液を吐き出しながら、呼吸困難に陥っていた。


 あの時、オークの蹴りが腹に、そこの腹膜と言ったか、腹の中の呼吸のための筋肉に届いて麻痺してるのだろう。こうなると中々回復しない。


 ……置いてくか。


 こいつは最低限の仕事はした。だがこれ以上を望んで足止めは望ましくない。念のために殺していってもいいが、それはそれで手間取りそうでもある。


「まって、ぐださい」


 押しつぶされた喉の声で、プシュチナな喘ぎ、言う。


 そしてたっぷり二回呼吸してから、全身を引きずりあげるように立ち上がった。


「いげ、ます。歩けまず」


 ゼェハァと息を切らしながら歩き出すプシュチナ、その歩みは苛だたしいほどにゆっくりだが、これまでが性急すぎたかもとも思える。急ぎすぎて待ち伏せを受けた。なら、ここはゆっくりと、というのは悪くない。


 思いながら、プシュチナの後に続いた。


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