不注意

 部屋を出てから、とりあえず一つ目の家に入って見る。


 壁は外周と、始まりの部屋と同じ灰色の石、つるりとした作りは子供が泥で作ったみたいだとしか言いようがない。


 窓はあるがガラスはなく枠もカーテンもない、ただ四角い穴があるだけ、こうなると家と呼ぶのも怪しくなってくる。


 灰色でない内開きのドアは簡単な、というよりも必要最低限の作りで、雑にはめ込んだ木の枠に最小限の金属で止めた木の板、あとドアノブだけだ。それも建て付けが悪く、軽く押すだけでするりと開いた。


 中は、外の灯りしかなく暗いが、見えないわけじゃない。


 あるのは簡素な椅子とテーブルだけ、それもドアと同じく必要最低限の作りだ。


 それだけで、使えそうなものは特にない。


 一応、椅子を持ち上げてみるが、軽く、試しに座るとメキメキと鳴って歪んだ。腰をあげると脚が広がっていて、見れば打ち付けた釘そのものが曲がっているようだった。こうも柔らかいと武器にもならない。


 テーブルは俺が上に寝そべれる程度の大きさ、脚も太く、割るのも折るのも今の道具では無理だ。抱えて運べないわけでもないが、これでは盾ではなく壁だ。


 ……少なくともどちらとも、今の両手を開けてまで欲しいものではなかった。


 家に間取りは普通の一軒家、ただし台所や便所のような設備は一切なく、全部がただの部屋だった。


 そんな家を出てる。


 庭を、何もない広場を突っ切り、壁の間の通路を抜けて、左右各任務してから道を渡って、次の家へ。


 …………次もまた、若干間取りが異なるだけで椅子とテーブルだけなのには変わらなかった。


 それで次へ、ドアノブに触れたところで、外で音がした。


 ガズン!


 鈍器で何かを殴った音、それに小さな悲鳴、続いて走る音、それに続く走る音に、荒い息の音、合わせて全部が遠ざかっていった。


 ……ここに味方はいないはず。ならばこいつらは敵、それも追跡中、なら潰し合うのを待って、決着がついたところで残りを殺し、両方の武具を頂こう。


 ゆっくりとドアを開けるのと向かいの家のドアが閉められるのとほぼ同時だった。


 周囲を素早く見渡し、動く影が無いのを確認してから道を渡り、向かいのドアに張り付く。


 中から聞こえるのは木の折れる音、それに布の裂かれる音、わずかに開いた隙間から中を覗けば、二人が見えた。


 一人は、頭の角からミノタウロスだろう。服は俺と同じ。だがシャツは、たっぷり贅肉を無理くり詰め込みはち切れんばかりに張っている。手足も首も太い。デブだ。手には冗談か、フライパンが握られていた。


 そしてそのデブなミノタウロス、デブタウロスがにじる先、逃げ場のない部屋の角でへたりこんでるのは、メスガキだった。


 歳はまだ一桁だろう。肩まで半端に伸びた銀色の髪、青に近い色の白い肌、ガリガリで傷と痣で染められた手足、シャツもズボンも明らかに大きすぎで、着ているというよりも入ってるに近い有様だ。


 迫るデブタウロスへ、恐怖の眼差しを向ける青い瞳は一つだけ、右の顔半分は右手で押さえられ、その下からは血と透明な液が溢れていた。


 眼球が殴り潰された、と察した。


 そんなメスガキの前で、デブタウロスは己のズボンに指をかける。ゲスい笑みは背中越しでも想像できた。


 戦場では良くある風景、とは聞くが、俺は一向に出会わなかった酷い場面、悲しいかな喜ばしい光景だった。


 こんな場面で殺しあってくれる上に時間と体力まで浪費してくれる。


 感謝こそしても邪魔する気はなかった。


 哀れな生贄、蹂躙される弱者、メスガキが必死に視界を巡らす。


 ……それが、部屋中を一周してから、俺と目があった。


 俺が失敗を認識し、引っ込む前に、メスガキが、俺へ、手を伸ばした。


 一瞬で、だけども永遠に取り返しのつかない悪手、悪態を吐き出すよりも、デブタウロスが振り返る方が早かった。


 意外にもつぶらでくりっとしたその両目は、すぐさま邪魔された怒りで血走っていた。


「なんだよちきしょうめ! ちきしょーーーめえええええ!!!」


 立ち上がり向き直り、怒鳴りながらもっちに向かってくるデブタウロス、最悪の展開だ。


 この場合は、逃げる。鉄則ではなく常識だ。


 ドアを閉め、急いで離れ、家の外側の角へと周り曲がったところでドアが砕ける音がした。


「なんだよ逃げるな! 邪魔すんな覗き魔がぁああ!!!」


 大声、大きな足音、思ったより速い足、これはまずい。


 ただ逃げ切るだけならできそうだが、これだけ騒がしいと他の敵まで呼び寄せる。


 仕方ない、殺そう。


 決めたところで家の角を曲がる。とすぐに壁へ背を付け息を殺す。


 鼻息、足音、デブタウロスの接近、測りながら棘付きの棍棒を構える。


 距離はあと三歩、二歩、一、今だ。


 不注意に現れたデブタウロス、その踏み出した右の腿へ、俺は踏み込み棍棒を斜めに振り下ろす。


 べキリ、と根元から折れた棍棒、だけど先端の棘は、たっぷりぜいにくにがっつりと突き刺さった。


「あうっわ」


 静かで間抜けな声を上げたデブタウロス、激痛の右腿に力が入らず勢いそのまま派手にすっ転ぶ。


 それで下敷きになった棘が更に刺さって、デブタウロスは打ち上げられた魚のように跳ね、ひっくり返った。


 打って切ったのか顎からの流血、棍棒刺さったままの足、それでもデブタウロスはフライパンを振り回す。


 回避、後方へ一跳びすれば安全圏だ。


 俺を追おうとデブタウロスもまた立ち上がろうとするが、痛みに右足は踏ん張れず、左足一歩ではたっぷり贅肉は支えきれず、ただその場に座り直しただけだった。


「なんで僕の久しぶりを邪魔すんだよ!」


 怒声でも絶叫でも脅し文句でもない、ただの文句だった。


 片足怪我しただけのデブタウロスはただ涙目で睨んでくる。刺さった棘を抜くでもなく、フライパンを投げるでもなく、大声でわめきながらメソメソと泣き始めて、戦意を失って見えた。


 みっともない姿、殺す価値もない。


 あとはあの蟻たちが片ずけてくれるだろう。武器を一つ失ったが、こんなのでも一人殺せたならば十分だろう。


 一応の警戒を維持しつつ、俺はその場から立ち去った。


 …………デブタウロスはずっとわめき続けていた。

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