二度目の準備

 小男の顔を踏みつけ押さえてスティレットを引き抜く。


 曲がりも欠けもしてない刃先にひっついてきた眼球カスを振るい落とし、残る汚れを小男のシャツで拭う。


 それから、小男の体を俺の部屋へと引き摺り込んで、改めて検証を始めた。


 ……小男には当然、首の後ろに魔方陣があった。その首は細く、体もやせ細って骨ばかりで、加えて先ほどの攻撃、こいつが戦闘訓練を積んでないのは間違いないだろう。だが手にはタコや汚れが目立つから、何かしらの職人ではないか、とは推測できた。


 そんな奴に先制され、更に二回も攻撃された挙句に一撃必殺もできなかったとは、俺の腕が相当落ちてる証だろう。


 全盛のつもりで行動すればえらい目に遭っていた。そう考えれば、そうなる前にこいつと最初にでくわせたのは幸運だった。


 それから思い出して小男の服を剥ぐ。


 シャツもズボンも俺には小さすぎてとてもじゃないが着れないが、それでも布として、何かには使えるはずだ。


 盾に巻きつけてたシャツを解いて着直し、小男の小さなシャツで作り直す。ズボンは腰に巻いてベルトに、できた隙間にスティレットを刺す。それで開いた右手に奪い取った棍棒を装備する。


 棍棒は、棍棒というには細すぎる上に軽すぎで、打撃よりも棘の刺突を狙うものらしい。念のため先端の棘の匂いを嗅ぐが、毒の匂いは無かった。


 ……準備完了、深呼吸、気を引きしめて、改めて外へと出た。


 左右上下を見渡せば、ここはドーム状になっている外周の壁に位置するらしい。それに沿って道が左右に伸びて、だが壁で途切れた。見える。恐らくこの道をたどって行けばここまでぐるっと一周できるだろう。


 その壁に沿った先は、ここから歩いて二十歩あたりにまた穴が、この小男が入ってた部屋らしき入り口が見える。穴はそれだけ、視界に動くものはない。


 ……だが耳には、喧騒が届いていた。


 金属のぶつかる音、肉の裂かれる音、命乞いをする音、笑う音、戦場の音、殺し合いはここ以外でも始まっていた。


 ならばそこへわざわざ向かっていく必要もあるまい。潰し合わせて、疲弊したところを頂く。それに移動も疲れるのだ、楽な方がいい。先が見えないならば極力戦闘は、無駄は省く、鉄則だ。


 だからといってじっとしているつもりもない。


 念入りに観察し、耳に神経を集中し、安全を確認しつつ、可能な限り迅速かつ静かに、小男が出てきた部屋へと走り、入る。


 ……問題なく入れた。


 そこまでして入った部屋の間取りは、俺がいた部屋と変わらなかった。


 間取りも一緒、唯一の違いは樽、俺は盾にしたが小男は大小のトイレにしたらしい。蓋がないからかなり臭う。


 むせ返る臭いに一瞬、中に棍棒を付けて毒を付与しようか、とも思ったが、思い直す。大小の毒性は強力だが即効性はない。それにこの臭いで相手にこちらの居場所がバレるリスクがある。良い手ではない。


 と、奥の鉄格子に蠢く影があった。


 身構え、構えるが……それは影ではなかった。


 灯りの下、流動するそれらは、尋常じゃない数の虫だった。


 蟻、だろうか。明るい赤紫の外骨格、サイズは指の爪ほどのから指そのものとばらつきがあり、蠢きながら重なりあっている。


 それらが鉄格子を抜けて、床や壁や天井に、まるで影か、水漏れかのように滲み出ていた。


 ……虫が苦手じゃない俺でも、これは、きつい光景だ。


 無秩序に溢れて重なる蟻の群れ、しかしなぜだか、ただの一匹もこちらへ、まるで見えない壁があるかのように、ある一線を超えて出ようとはしなかった。


 ……嫌な予感がした。


 それを確認すべく、足早に俺の部屋へと戻る。


 ……こちらにも同じく蟻が滲み出ていた。しかし若干、部屋への浸食が進んでいるように見える。


 その蟻の群れに向かい、脳死の小男を放り投げた。


 ……嫌な予感が的中した。


 飲み込むのは一瞬だった。


 蟻はさも当然のように小男亡骸に群がり、悍ましい音を立てて咀嚼し始めた。


 肉を食み、皮を噛みちぎり、眼窩に潜り、中身を啜る。その速度は咀嚼というよりも炎や酸に近い分解速度だ。


 しかも、小男は死にたててまだ温かく、腐敗もしてない。そんな生肉を喰うのなら、生きた人間も喰うだろう。


 そこまで貪欲なのに、やはりある一線は超えようとは、ただの一匹もしなかった。


 試しに棍棒の棘を小男に引っ掛け、こちらに引き寄せる。


 露出した肉と骨、だが蟻は見えない線の向こうへ、必死に逃げて行った。


 ……つまり、こいつらは、俺たちを追い立てるための炎だ。


 想像するに、あの塔を中心に虫除けの結界が貼られているのだろう。この蟻はそいつが邪魔してこちらに来れない仕組みだ。だがその結界は時間と共に弱まり、蟻の入れない空間は刻一刻と狭まっている。そうして蟻は溢れ、食われたくない俺たちを追い立てられ、密度の上がった中央で自然と殺しあう。


 考えられたギミックだ。


 少なくとも、一箇所に籠るのは無理、ということだ。


 時間制限とエリア制限、考えた奴は間違いなく人でなしだ。


 ザワリ、と虫が歩き回る。こいつらに、生きたまま食われるのは、下手な拷問よりキツイだろう。


 ならば余裕のあるうちに移動した方が有利だ。


 俺は足早に、蟻を残して部屋を出た。

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