俺は誰なのか

「そりゃ怪でしょう。ただの一般人な転校生が、光の刃なんて出せるはずがないでしょ? 一般人にそんなことが出来るなら、私だってガンガン光の刃を出したりしてるわよ」

 どうやら、ミラとの小競り合いで出したあの光の刃のことを言っているらしい。

「そうは言っても、あれは単にミラの力を借りただけだしな……」

「私と対立していたのにか?」

 ミラが間髪入れずに単純な矛盾点を口にする。

 そう言われても、俺はただ見よう見まねでやっただけだ。自分の能力など考えることもない。

 そもそも、あれを能力と考えるなら一つ大きな問題点がある。

「……なあ、同じ種類の怪は、二人存在することができるのか?」

 自分の中の矛盾をクリアにするなら、ここは明らかにしておかなければいけない。

 一瞬、場が完全に沈黙する。

 そんな事を考えた怪などいるはずもないのだ。

 そしてしばらくの沈黙の後、怪たちはそれぞれ口を開いた。

「そういった話は特に聞いた事は無いな」

「似たような種類、たとえば、動く人体模型と二宮金次郎像ってのはあるかもしれませんが、まったく同じ怪ってのは難しいんじゃないでしょうか」

「トイレの花子さんが二人いたなら、私もそんなに苦労しなくてすんだかもしれないね」


 三人の怪は三者三様の筋道で答えを述べたが、結論はほぼ同じである。

『同じ種類の学園の怪は同時には存在しない』

 当然といえば当然だ。

 初瀬川こと【トイレの花子さん】の例がわかりやすいが、七不思議は自分の領域というか、象徴する【場所】を持っている。

 初瀬川なら女子トイレ、遠見なら屋上へ続く階段、室居ならあの閉ざされた教室といった具合にだ。おそらく、ミラや殻田にもそのような場所があるだろう。

 そこでもし【トイレの花子さん】が二人いたとしたら、それについてどう語れというのだ。

『二階のトイレの花子さんと三階のトイレの花子さんは別人』とでもするのか?

 そんな風に同じ種類の【学園の怪】が重複していたら、七不思議が六つになってしまうではないか。

 だからこそ、一つの怪談につき【学園の怪】は一体しか存在し得ないはずなのである。

 延べで数えていいものなのか、七不思議は。


「じゃあ、俺の怪としての能力はいったいなんだ?」


 もはやそれは誰より俺自身にとって一番の疑問になっていた。

 俺は誰だ。

 形を変え、あらためてそれが突きつけられている。

 ミラの力を使っているのなら、俺はミラと同じ怪ということになるのではないか? 

 では、初瀬川との戦いで使った室居の真似事は?

「というか、自分でわからないの?」

 有真がそんな当たり前の疑問を俺にぶつける。

「わかれば苦労しないさ。俺は、俺自身の事はなにもわからんからな」

「まあしかたないだろう、なんせこいつは記憶喪失なのだからね」

 俺の言葉をミラがそう補足する。

「……ごめん」

 急にしおらしくなり、有真はそう謝ってきた。

 その心理は簡単に推測できる。

『記憶喪失』

 そのキーワードの持つインパクトに負けただけだ。

「やめろやめろ、気持ち悪い!」

 感情を抑えきれず、思わずそんな言葉をぶつけてしまう。

 俺の記憶がない事は、俺一人が認識していればいいことなのだ。

 他人が勝手に『記憶がない俺』という人物像を描くなど、実に耐え難い。

 ましてやそれを俺に当てはめるだと?

 それはもう俺じゃない。

 昔どこかにいたかもしれない、俺の知らない誰かの今の姿だ。

 俺はそんな奴のために、誰かの謝罪など聞きたくもない。

「でも……」

「そういう態度が気持ち悪いと言ってるんだ。第一、俺自身が困っているわけでもないのに、先入観で同情なんてしないでくれ。そんな風に扱われたら、今の自分まで無くしそうだ……」

 本当のことを言えば、過去がないことで困っていないというわけでもない。

 それなりに問題はある。

 しかしそれ以上に、記憶のない『俺ではない誰か』の成れの果てとして振舞いたくはないし、そう見られるなどもってのほかだ。

 そもそも、以前の俺を知らない人間に、本当の俺とはどういう人物なのかと考えられても、それは俺自身のことを考えているわけではないだろう。

 そいつはただの『想像上の人物』だ。

 そんな奴はどこにもいない。

「俺は今ここにいる俺、七白空だ。それで充分だろ」

 だから俺は、あえてそれを宣言する。

 記憶があろうがなかろうが、俺は俺だ。文句あるか。


「俺はミラや初瀬川や遠見の過去を知らないし、お前の過去もお前が勝手に話した分しか知らない。だけど、それがどうした。俺にとってお前たちはお前たちだし、俺との関係が変わるわけでもないだろ。それは俺も同じことさ、違うか?」

「……それでも、それでも過去は必要よ」

 そこまで言ってもなお、有真は必死に食い下がってくる。

 その目に涙を溜めて、まるで睨むように俺を見てくる。

「確かにあたしはあなたの過去を知らないし、そのことであたしの態度が変わるわけでもないかもしれない。でも、過去がないという事は、やっぱり、悲しい事だと思う……」

 他人事なのに、こいつには関係ないことなのに、有真は大粒の涙を落として泣いていた。

 俺が大切と思わないものを、知りもしない有真が大切に思っている。

「なあ、お前の昨日の朝飯はなんだった?」

 そんな有真の涙をあえて無視して、俺はそんな質問をぶつけた。

「……えっ?」

「昨日の朝飯だよ、覚えているか?」

 ぶっきらぼうな俺の言葉に、有真は泣くのも忘れて少し考える。

「確か、あんぱんと牛乳、だったかな?」

「じゃあ一週間前は?」

 その答えもロクに聞かず、俺はさらに質問を続ける。

「……そんなの、覚えているわけないじゃない」

 少しすねたような有真の答えは、まさに俺の求めていた答えだ。

「だろうな。昨日の朝飯、一週間前の朝飯、一ヶ月前、一年前……、そんなもの、覚えていて意味があるか? ないだろう」

「……詭弁よ、あたしは大切な事は、絶対に覚えているわ! でもあなたには、それも……」

 俺の質問の意図を読み取り、有真はもう一度そう訴える。

 だが、それももう俺には関係のないことだ。

「同じことだ。失くしてしまったものを思い悩んでもなにも生まない。昨日の朝飯より、明日の昼飯のことを考えたいところだな、俺としては」

 明確な拒絶。

 有真にではなく、自らの過去に対してだ。

 そこまで言ってしまえば、有真ももう黙るしかない。

 まだなにか言いたげな顔をしているが、それでも、言葉は出てこないようだ。

 だが今度は、もう一人の厄介者が俺の過去に食いついてきた。

「しかし、君の記憶について君自身がどう思っているかはともかく、こちらとしては君の正体についてはもう少し情報が欲しいところではあるのだがね」

 先程までの有真とはまったく異なる、感情の余地のない利害からのアプローチ。

 ミラはあくまで冷静だ。

 俺の感情などなんら鑑みる事はない。

 こいつはただ、実務的に、必要な俺の過去を知りたがっているだけだ。

「わからないものはわからない、としか言いようがないな」

「君が知らなくても、君自身の言動にはヒントがあるかもしれないだろう。たとえば朝食に何を食べたか覚えていなくても、その臭いがすれば納豆を食べた事はわかるようにね」

「俺は納豆は嫌いなんだがな」

 まあ、たとえ話にツッコんでも仕方ないが。

「それすらも、今の君の記憶でしかあるまい。重要なのはその痕跡というわけだ。君の知らないかつての君は、納豆が好きだったかもしれないということがわかるだろう。君の能力も、言動も、同じようなものさ」

 相変わらずの人を喰ったような態度と言葉。

 しかしその言い分はいちいちもっともである。

「とはいえ、それについては慌てて考える必要もないだろうけどね。君の正体について、気にはなるが重要性はない。こちらで適当に注意を払って推理しておくことにしよう」

「もちろん、あたしたちも力になるわよ、ね?」

「あっ、僕も」

「私も、七白くんのためなら……」

「……余計なお世話だ」

 吐き捨てた言葉は本心だった。

 自分の知らない自分とやらを、勝手に他人に分析され、暴かれるなど、気分のいいものではない。

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