七不思議が戦う必要は本当にあるのか

 水龍が消えたことで、俺は支えを失って落下し、勢いよく床に叩きつけられることとなった。

 床から見る俺の視界に、立ち上がろうとする初瀬川の姿が映る。

 何者かがこいつを弾き飛ばした結果、水龍も力を失い、消滅した、ということだ。

 では、誰が初瀬川に攻撃を加えたのか。

 俺の目は、入り口に立つその人物の姿を捉えていた。

 小さな、そう、まるで子供のように小さな身体の影。

「やれやれ、彼にはまだ死なれたら困るのだけどね」

 そこから聞こえるのは、皮肉めいた口調で紡がれる、呆れたような言葉だ。

 それは間違いなく、俺の一番よく知る【学園の怪】のもの。

 どうせ俺が死にかけるのを一部始終見ていたくせに、介入するのはここまで引っ張ったのだろう。

 やはりこいつは性格が悪い。

「あなた、何者ですか! いったい七白君のなんなのですか!」

 突如現れたミラの姿を見て、初瀬川はそう声を上げた。

 それは驚きと同時に、なんというかもっと別の情念が篭っているようで、俺は背筋が寒くなる。

 特に後半部分。なんなのですかとはなんなのだ。

「まあ、姉みたいなものらしいぞ。こいつが言うにはな」

「……まだ引っ張るのか、その話を」

 初瀬川の感情を逆撫でするように、ミラはさらににやりと笑って見せる。

 勘弁してくれ。

 これじゃあ生き残っても明日からがまた辛くなる。

 案の定、初瀬川の視線が痛い。

 先ほどまで命の取り合いというか、まあ一方的に殺されかけていたのだが、そんな状況よりもよっぽど怖い。

「どうかしたのかい、そんなに怖い顔をして。それとも【学園の怪】である私より、どこの馬の骨かもわからない彼の方が気になるのかな、君は」

「あなた……」

「彼を殺し損ねたのが悔しいのかな? 生憎、彼をここで殺させるわけにはいかないのだよ。彼にはまだ、してもらわねばならないことが残っているのだからね」

「あなたが、七白くんを利用しているのはわかりました! ならば、あなたは七白くんにとってなんなのですか!」

「私にとってか、フム、なかなか面白い質問だな、それは」

 それでも性懲りもなく、ミラは怒りに震える初瀬川を挑発し続けていた。

 さも自信たっぷりにトイレの中を歩き回り、初瀬川を苛立たせている。

 一方の俺は、そんな風にして語り部を演じるミラの意図を感じ取っていた。

「私にとっては……、そうだな、彼はいいパートナーだよ。なにを考えているかわからない割には、なんだかんだで察しがいい。そうだろう?」

 その言葉が終わると同時に、俺は素早く跳ね上がって走る。

 そしてそのまま、ミラへの怒りに囚われた初瀬川に背後から組み付き、まんまと壁に押さえ込んだ。

 先程までの水龍とはまったく違う、柔らかい身体。

 もう少し力を入れれば、そのまま潰れて消えてしまいそうな、儚い存在。

 その儚さは、怪のものか、少女のものか。

 俺には区別がつかなかった。


「七白くん!?」

「……形勢逆転だな、初瀬川」

 初瀬川の驚きの声を、俺は耳元で聞く。

 ミラのもったいぶった長話の間に、俺の身体はすっかり治癒しきっていた。

 自分でも自分の身体の仕組みがわからないが、一度死んでからというもの、肉体は驚異的な速さで再生する。

 ハッキリ言ってかなり卑怯な体質だ。

 ミラもそれを知っていたからこそ、あの厭味ったらしい長口上で俺の再生の時間を作り、再生後もっとも有利な状況へ持ち込めるようにお膳立てしていたのだ。

 まあ、口からポンポン飛び出していた性格の悪い発言は、演技でもなんでもないだろう。そういう奴だ。こいつは。

「……勝負あり、みたいだね」

「そういうことだな」

 諦めたかのように、初瀬川は目を伏せて静かにそう言った。

「……じゃあ最後に、一つだけお願いをしてもいい?」

「お願い? 自分の立場がわかっているのかい、君は」

 ミラが小馬鹿にしたようにそう口を挟んでくるので、俺が言葉を補足してやる

「まあ、聞くだけなら聞いてもいいぞ」

 ミラが不機嫌に俺を睨むが、知ったことか。

「で、なんだ、お願いっていうのは」

「私へのトドメは、出来れば七白くんにしてもらいたいなって……」

 初瀬川は寂しく笑う。

 それは、すでに自分に先の無いことを認識している、希望のない微笑みだ。

 俺の一番嫌いな、笑えない、笑顔。

 だから俺は、その期待を裏切りたくなった。

「断る」

 それだけ言うと、俺はそのまま初瀬川を開放した。


「えっ!?」

「おい!?」

 開放された初瀬川も、それを目の前で見たミラも、同時に俺の行動に驚きの声を上げた。

「殺しはしない。だが初瀬川、お前にも手伝ってもらいたい」

「正気かい、君は!? こいつは【学園の怪】で、私達の敵なのだぞ!」

「敵? 全てを消したいお前と、自分を消したい初瀬川。利害は一致しているじゃないか。無理に敵対し、戦う必要もないさ。利用できるものは何でも利用すべき、だろ?」

 俺の発言にミラはあからさまに怒りの視線を向けるが、俺は意に介さない。

 いまさら、わざわざ殺しあう理由もあるまい。

「……七白くんは、それでいいの……?」

 一方で、開放された初瀬川も呆然と俺を見てそう尋ねてくる。

 死ぬ覚悟が突然どこかに消し飛んだのだ。それも仕方あるまい。

 だが、そんなこと俺の知ったことじゃない。

 俺は、俺の考えで動くのだ。お前らのためではない。

「お前が、どうしても今すぐに俺たちを殺したいというのなら、仕方ない、今度こそここで死んでもらうしかない。だが、話し合えるような状況でわざわざ消耗しあうっていうのは、俺は好きじゃない」

 こいつら【学園の怪】がなぜ戦うのかは今もよくわからないし、正直に言って、俺の知ったこっちゃない。

 やりたいのならご勝手にどうぞ、だ。

 だが話し合えるなら、話し合って解決すればいい。

 敵意もないのによくわからない目的のために殺しあうのは、なんとも馬鹿馬鹿しい限りではないか。

 俺はその無駄な殺意が一番嫌いだ。

「さっきも言ったように、お前らは望みの利害も大まかに一致している。それに、まだ他の怪もいるんだろ? この先どうするかは、そいつらを倒して、最後の二人になったときにでもあらためて決めればいいだろうさ」

 そのとき俺の脳裏に浮かんでいたのは、【学園の怪】だという殻田の顔だった。

 この先あいつとやりあうなら、手駒は多い方がいいに決まっている。

 相手の戦力がわからない以上、ミラと二人で物事を進めるのは、少々不安要素が大きすぎる。

 誇りで勝利がつかめますか、ということだ。

「……まあ、いろいろと言いたいことはあるが、今回に関しては君の意見にも一理はあるな」

「そいつはどうも」

 諦めのため息をつきながらも、ミラは俺の意見に同意する。

 こいつも根本は合理的な奴なのだ。口ではなんと言っていても感情より利を取り、利用できるものは全て利用するに決まっている。

 俺にももうそれくらいのことはわかる。

「やっぱり、七白くんって面白い人ね」

 初瀬川の方もようやく落ち着きを取り戻したようで、そんな俺を見て、今まで教室で見せてきたような、柔らかな微笑を浮かべる。

 俺はその笑顔にもどかしさやむず痒さを覚えるが、まあやるせなさや憤りよりはよっぽどいい。

「ああ、彼は実に愉快な、いい男だよ」

 だがその余計な一言で、初瀬川の笑顔はすぐに引きつったものへと変化していった。

「……それで、七白くん、あの【学園の怪】とはどういう関係なんですか?」

 指差す先には、相変わらずの不敵な笑みのミラがいる。

 初瀬川の感情と俺の立場を知っていて、こいつはそう煽っているのだ。

 ああ、こうなるとこっちの厄介ごとがあったか……。

「どういう関係だろうと君には関係ないことではないのかな? そもそも、君の方こそ彼のなんなんだい?」

 ミラの煽りは続く。

 こいつは絶対、全てをわかった上で言っている。

 なにをわかっているのかは、俺は考えないが。

「……やっぱり続きをします……、絶対に許さない」

「君がそのつもりなら私はかまわないがね。手の内のバレた怪など怖くはないよ」

 睨み合う二人の【学園の怪】。

 俺は隙を見てそこからこっそりと立ち去った。

 まったく、付き合っていたら命がいくつあっても足りなさそうだ。

 当事者になんて、絶対になりたくない。

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