第2話 もう一つのプロローグ
住処はなかったが、どうとでもなった。
食べ物は買えなかったが、村を回れば誰かがくれた。
つまらない時は、僕が作った少女と遊んだ。
親に捨てられた僕らは、何の不自由もなく生きていた。
◇◆◇◆◇
ここは異界の大陸、マドヒャマ。
大陸の西に栄える帝国『カラバ』は商人たちの動きも活発で民も笑顔を絶やさない。それでいて皇帝も寛大で税を多く取らず、民に寄り添う形をとっている。支持率はいつの時代も九割を超えていて、十五代目となる今の皇帝もその支持率を受け継いでいる。
カラバの東は砂漠が広がっていて、そこは人類未踏の領域が多く、奥に踏み込んだ者で帰ってきた者はいないとまで言われる場所である。数百年前、カラバの王女護衛選別大会に参加しようとしていた最高位の冒険者たちが砂漠の奥で戦いが起こっているのを遠目で見たのだが、そのパーティの全員が全員「双方が自分たちには遠く及ばない実力者だった」と証言したことから、奥に足を踏み入れるのは御法度となっている。そこに入るのは余程の馬鹿か自分の腕を試そうと思う者だけだが、その全てが消息不明に陥っているのは言うまでもない。
砂漠の東側には大陸の中央にそびえ立つ純白の
他に特筆すべきは最東端の王国『マテサラム』ぐらいだろう。この大陸で唯一の海産国であり、汚染されていない海域を持つ大陸における唯一無二の国家である。無論そのせいで侵攻国は多いのだが、マテサラムはその全てを犠牲をほぼ出さずに切り抜けていて、国防戦にかけては負けがない。逆に侵攻戦は必ずと言っていいほど負けを喫していて、攻守含めて大陸七不思議の一つと言われている。
数年前、その大陸の北端に国を構える共和国『ニスラ』には多くの亜人が住んでいた。亜人とは、人間とは違う種族の者やそれらとの混血の事を指す言葉で、その者たちのことを人間は差別し、蔑視していた。しかし、しっかりと国として成立しているので迂闊に手を出せないことを悟った人間たちは徒党を組み、侵攻を開始した。男は殺され、女子供は奴隷に落とされて売られた。『ニスラ』の民は徹底的に抗戦した。結果的に敗北し、亜人たちの純血が消えてしまうかと思われたが、逃げ延びたニスラの民数十名によって森の中に村が作られ、亜人の純血たちは生き残ることとなる。
その戦争で亡くなったものは多く、その死者はニスラの全国民の七割以上に及ぶ。そこまで数が増えた理由は住民たちがゲリラ作戦に出たため、人間側も無差別に攻撃せざるを得ない状況になったことだ。仕舞いには集団自決を行う者たちも現れ、その戦争は凄惨なものとなった。
一人の少年が、焼け野原となった街を歩いていた。その表情は絶望に満ちていて、転がる死体を見つめる目はもう既に諦観のそれを感じさせた。
それは戦争の終結――という名の虐殺から二カ月ほどの月日が流れた時であった。周りの者は自決し、自分だけが偶然にも無傷で生き残ってしまったという罪悪感。そして、友人の獣人やエルフは殺されるのに、人間の自分だけ殺されずに生き残ったという後ろめたさが少年を襲った。
少視界の隅に戦争の事後処理に来た人間の兵士たちが映り、少年は本能的に身を隠した。
そこから様子をうかがっていると、突如背後から口を塞がれ、圧倒的なプレッシャーによって身動きが取れなくなる。捕まったと思った。大声を出そうとするも、口を塞がれているために声が出せない。
「静かに。見つかってしまう」
静かな声音だった。どこからともなく現れた美形の青年が少年の耳元で囁くようにそう言った。
少年はその言葉を聞かず、騒ぎ、もがき続ける。
「僕は人間には屈しない……。人間は悪だ……」
少年を捕えた青年はその言葉を聞いて、どこか申し訳なさそうな顔をした。
少年はもがきながらぶつぶつと恨み事を吐き続けている。
「君は悪くない。そう思わせてしまった社会が悪いんだ。人間にもいい人はいる。僕は弱いから、そこまで君にしてあげられないけど」
「嘘だ、嘘に決まってる。ありえない、だって、だって――」
「大切な人が、奪われたから? じゃあ聞こう。君の大切な人は、誰に奪われた? 人間か? それとも自ら命を絶ったのか?」
少年ははっとした。自分の友人から親族まで、全てあの洞窟で集団自決した。自分の大切だった人は、誰ひとりとして人間に奪われていない。
驚愕のあまり――というよりは、気付いたから、というのが正しいだろう――少年は目を見開いて青年を見つめ、何も言葉を発せなくなってしまった。
「まあ君の言うとおり、人間は君の仲間、この国の人を大勢殺したさ。でも、優しい人がいるってことを知ってほしい。とくに、君みたいなまだ幼い子供には、ね」
そう言うと、青年は立ち上がる。隠れていたというのに、ずかずかとそこから姿を現すように出て行ってしまう。
「待って。置いていかないで」
少年は青年を引き留めた。信頼に足る人物が、もう見つからない気がした。ここで引き留めなければ、後悔する気がした。
しかし青年は少年のほうを向き、笑った。作り笑いだと一目でわかってしまうような、そんな不器用な笑み。その意味を察した少年が声を出す前に、青年は諭すように言う。
「そこで見ててよ。君を、守るから」
彼の澄んだ緑色の長髪がなびいたのが、少年の印象に残った。ずっしりと心の奥に刻み込まれた。高い背丈で、すらりとした麗人だった。腰に二本の刀を差していた。心配性で、お節介を焼いてくれる人だった。そして、とてもとても不器用に笑う人だった。
青年は、少年の明確な目標となった。
優しく、どんな時も笑顔を絶やさない、絶やさせない。そんな生き方をしようと、少年は心に決めた。
そんな少年の目の前で、青年は殺された。胴を袈裟切りにされて、あっさりと。そんなことがあっても少年が復讐の念に駆られなかったのは、すぐさま駆け寄って青年の最期の言葉を聞いたからだろう。
「なんだこいつ。ちょーよえーじゃねーか」
「何で俺らに向かってきたんだ?」
嘲笑う声が聞こえたが、無視した。そんなことより、青年の言葉を聞くほうが大切だったのである。
「はは、笑っちゃうよね。格好つけようとしてこのザマ。僕らしいっちゃ僕らしいか。君の、名前は?」
少年は首を振る。もう今までの名前なんかいらない。そんなもの、あっても悲しくなるだけだ。
その少年の思考を読み取ったのだろう。青年は呆れたように笑った。
「しょうがないなぁ。僕の名前をあげよう。僕の名前はバラダ。君はこれからそう名乗るといい。あと、この刀とマントは持って行きなよ。僕が持っていても仕方のないものだ。あと、それから、何を言おうか……」
過保護だ。ほぼ初対面の相手に対して何を言ってるんだ、この人は。少年はそう思いながら、涙していた。こんな人がいる。確かにひどい人もいるけれど、きっと世界にはこういう人が大勢いる。目の前の不器用な青年を見て、そう信じずにはいられなかった。
「もういいです。もういいですから――」
そう頼み込んで泣く少年に向けて、
「――――」
言い残して、青年は意識を手放した。
少年は涙を拭くと、ゆっくりと立ち上がる。青年の隣に置かれたマントと刀をがっしりとつかむ。
少年は兵士たちに一礼し、歩き始めた。もうこんな思いをするのは嫌だ、今度は誰かを僕が助けるんだ、という意志を胸に秘め。
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