第2話:不安

 16歳の夏、私の思考は大幅に簡素に、昔の自分から見れば幼稚な人間となっていた。その理由は彼女、アナシアとの出会いにあった。アナシアは艶やかな黒髪に吸い込まれそうな金色の瞳をしており、当時の私では到底恋人になれるなど考えられないような恋人であった。


 多大なる幸福感、安心感により脳に関して何も考えてなくなっていた。いや脳など考えなくしていたという部分も大きい。友にガキと罵られた思い出、否定するにしても結局何一つ証明出来ていない幼稚さ、これらを彼女に知られることで嫌われてしまうのではないかという不安があった。いや、彼女を愛していたからこそ嫌われること自体が怖かったのか、かわいい彼女という私にとってのステータスを失うことが怖かったのかが分からない。結局のところ私はあのような決断を下したのだから。


 この幸福感と不安感に挟まれることで脳交換の準備から逃げるという気力を失っていた。気づくと手術の始まる日程になっていた。


 手術は驚くほどあっさりとしたものだった。夜中に病院へ向かいカプセルの中で寝るだけである。起きたときは何も変わったことを実感することはない。しかしこれは現在の私から見て過去の私と変わっていないと感じているだけであり、過去の私と変わっていないと感じたこと自体が意識の連続性を保てているとは言えないだろう。私は死んでしまって新しい私が生まれただけではないのか?手術は毎日毎日行ったが私はこうした意味のない思考によるストレスで限界まで追い込まれていった。そして一か月ほど手術を行い半分も手術が終わったころ、私は行動を起こした。 


 その日、病院に頼み込みアナシアと同時に施術を行ってもらうようにお願いした、本来であれば様々な理由より一人で行わなければいけないとルールが定められているが、若者の不安を取り下げるためそうした融通がきくのも本都市の暗黙の了解となっていた。通常一人で警備が厳重なブラックボックスへ入らなければいけないが、この暗黙の了解を利用した方法でアナシアと二人でブラックボックスに入った。向かいの医者がいつものように施術前の質問を始めた。

『何か頭に大きな違和感を感じていますか?、または体調不良等感じていますか?』


 私はこれをいつものように否定し、アナシアと二人で質問用の部屋と施術用の部屋に入った。そこで私は行動を起こした。


『おい、そこの医者!今すぐ私の肉の脳をプロテクトを解かなければこの女を殺す!』


 私はアナシアを引き寄せ横に置いてあるチューブを首に巻き付けた。アナシアと医者は私の思いも寄らぬ行動に全身を硬直させ目を限界まで見開き私の方をみた。そこで続けてこのように述べた。出来る限り医者には余裕を与えたくなかった。


『未成年が施術の中で死ぬようなことがあれば、間違いなく関係者の首は飛び、この都市の上位者は入れ替わるだろう、プロテクトを解く方法があるのは分かっている。今すぐ都市長に電話をかけろ、施術室から直接都市長へ繋がるホットラインがあるはずだ』


 考えさせないように指示を与えると医者は手を震わせながら受話器を取り始めた。私はアナシアに騒がれては面倒であるためこの隙に手足を縛り口を塞ぐ、アナシアは今まで見たこともないような不安そうな瞳でこちらを見つめるが、それを気にして隙を作らないよう心を無にして作業を続けた。そして荷物置き場から小型爆弾を取ってきて自分とアナシアの首につけ、事前に用意していた準備を完了する。


『ここで内密に事を済ますか、それとも都市の存続を危うくするか、よく考えろ』


 私は都市長に電話でそう告げると、しばらくした後都市長の口から脳のプロテクトを解けという指示が出た。それを聞き医者はとうとうプロテクトを解く準備を始めだした。


 そこで医者はこのように話した。


『まず、初めにこの脳のプロテクトを解く施術は公表しません、本来では施術を途中で取りやめる、脳のプロテクトを解くことは何があろうとあり得ませんので。例えあなたがそれを周囲に漏らしてもストレスでおかしくなった人間としか思われないでしょうが』

 当然分かっていると緊張を悟らせないように相手に伝える。


『本来この行為は意識を移せる方法として社会で認識されているのです。このようなイレギュラーで人類の倫理観を根底から覆すような事態が起きるかもしれないということはあなたも理解できているはずです、そこについてもう一度把握願います』


『ああ、分かっているからさっさと始めろ。時間を稼いで私を始末したいのか?』

 そこまで言うと医者は話しても無駄だというようにしぶしぶ準備を進め、終えた。


『未成年で手術中の少年を処理するより、内密に事を進めたほうが自分の立場的に良いと都市長は判断しましたが、あなた自身がどうなるかは分かりません』

それでよいというように手を振った。


 結果として私の脳のプロテクトは無事解け、私の脳は解放された。徐々に脳が戻っていくはずだろうと聞きその場から逃走したのだが、ある程度脳の不具合は予測していたが、驚くべき現象が起こった。

結論からいうと私は私ではなくなった。現在の私はオリジナルの私でなくなってしまったのだ。


 現在の私の意識というのは半分は本来の肉の脳、半分はナノコンピュータ群の上に成り立っている意識体である。しかし私は脳のプロテクトを解いてしまった、ナノコンピュータに機能を移し凍らせていた脳が解放されたのである。


 これにより私はもう一人生まれてしまった、半分は現在何も処理されていなかった肉の脳と、もう半分は、手術により停止させた一か月間徐々に時期がずれた過去の肉の脳で、オリジナルの脳から形作られた本来オリジナルの意識と呼ぶべき意識体が新たに目覚めてしまった。


 私は大変中途半端な存在となってしまった。一人は昔から連続して引き継いだ意識ではあるがナノコンピュータの上に成り立っている、オリジナルの脳ではないが、人格の連続性を保っている私。もう一人はオリジナルの脳の上に成り立っているが、私から見れば一度意識が途切れたためコピー、新しく作られた模造である私(あくまでこれは私から見た私である、コピーの私にとってその存在は、一部の脳が一か月先の経験まで積んでいるオリジナルの脳から構成されている意識)である。


 私たちは1つの体に2つの意識体となったが片方の脳は共有している状態で、今までにない脳の活動が生じ、思考する際も脳みそを掃除機で吸われているような状況になってしまった、この脳の状況は私が望んだ行為により生じたものである。私はアナシアではなく今の状態のワタシを選んだ、しかしこれが正しかったのだろうか、私には分からない。

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