人工知能と脳機械化と近未来

瀬戸内海

第1話:意識

 私は教師の追及から逃れるために学校を抜け出していた。私は男子高の普通の学生で、特に素行の悪い生徒というわけでもなく、他生徒からいじめを受けているということもないのだが、とある出来事が嫌だったせいだ。その出来事とはナノコンピューター精神転移、端的に言えば肉の脳からナノコンピューター群で構成される電脳へ意識を移す手術である。


 手術への準備はクラスで私一人だけ大幅に遅れている。意識を移す手術を行う年齢は私の住んでいる国において本来自由なはずではあるが、私の住んでいる都市においては高校生の時期に全ての人間の手術を行うのが基本方針となっていた。


 電脳へ意識を移すとは何か?一世紀前の人間には全く馴染みのない言葉だろう。これは寿命を半永久的に延ばすためここ数十年で行われている手術である。内容は脳の取り換えだ。具体的な手術内容という一部の脳へナノコンピューターを大量に埋め込みナノコンピューター群を脳内に構築する。そしてそのナノコンピューター群がその一部の肉の脳が行っている仕事と同じ内容を行うよう設定し、肉の脳の電気信号を遮断する。この作業を徐々に行っていき最終的には肉の脳の電気信号は全て遮断され、代わりに埋め込んだナノコンピューター群が脳の働きを行うようになる。


 こうした手術により脳の機能を電脳であるナノコンピューター群へ、意識の連続性を保ったまま電脳へ機能を移す。この方法は人間の命である意識を延ばすことの出来る最善の方法として社会で認識されている。しかし私としてはこの手術に拒絶の気持ちを持っていた。


 基本的に私はこの手術を拒絶しているということを周囲にアピールしていないのだが、ふとある時心を許している友人と議論してしまったことがある。この時の彼の主張はこうだった。


『命というのは自分の持っている意識である、だから脳を徐々に変えることで命を伸ばすことが出来るこの行為は非常に革新的で人類の教科書の初めに載るべき技術だ。行わないと考える事は頭が狂っている』

 これに私は怒りすぐに自分の主張を返した。


『命が意識だなんて私だってそう思っている。私は肉体原理主義者等ではない、お前も良く知ってるだろ。大事なのはそこじゃない、電脳に意識を移す?それはつまりその行為を行った時その人は死んだことになる、私は専門家ではないがナノコンピューターにおいてシナプス一つ一つの活動電位がおきる閾値や、伝達の移動速度、それによる遅延時間なんて完全に再現できるはずがないということは分かる。

そもそも肉の脳とナノコンピューターじゃ原子の種類から違うのだから。仮にその電位や移動速度が同じだとしてもミクロ世界での量子の揺らぎがある以上原子の種類や仕組みが違えば絶対思考は全く同じにはならない。そんなもの違うにきまってる。手術によって人としての違いを主観、客観より見つけることが出来ないという事は知ってるが、もし99.999%再現出来ていたとしても0.001%の部分が違えば、長期的に見たときに100%別人に変化していく、そんなもの同じ人間とは言えない。つまり電脳にした時に人は死んでいる、その方法は永遠に生きれる方法ではない、自殺と同じだ』


『人間の脳は常に変化し続けている、そんな長期的な視点やふとした時の判断にこだわるのは無意味だ。お前の言っていることが仮に正しいとしても、それでは頭を強く打って脳の細胞が死んだときに長期的に見れば別人となって私たちは死んだことになるじゃないか、頭を打って脳内の細胞が死ねば量子の揺らぎなんかよりよっぽど影響があるだろうし、痛みや小さなトラウマでも後々の思考にずれが出てくるだろう、それもお前の理論では死ぬことと同じじゃないか。

そんなお前の脳みその中の机での死にこだわっても無意味だ、お前はそれが死だと思い込みたいから理由付けをしているだけに過ぎない。お前は新しいことが怖いから無理やり屁理屈つけてなんでも否定してるだけのガキだ。臆病者が俺らを巻き込むな』


 この時お互い興奮状態になり殴り合いになったが、殴り合いのことよりも、ガキと強く罵られたことが私の運命を決める出来事となった。


 人間の脳は常に変化し続ける、意識も細胞も不変のものではないんだ。この考えは常に頭の中をぐるぐると回っていた。いくら私が手術を拒否し続けても、友の言ったように皆常に死に続け生まれ変わり続けている。意識体も常に変化し続け、細胞とそれを取り巻く環境も常に変化し続けている。それに加えナノコンピューターによる変化が増えた程度で、私という存在は私にとって私であると言えるのではないか? むしろこうした事を考えることのストレスによる脳の萎縮で、長期的な視点で見たとき私は手術を行うより私ではない状態、よっぽど強い死の状態になっているんじゃないか?


 ナノコンピューター群へ置換する前後では人間は少なからず老いているので、もちろん意識、思考もある程度は変化している。しかし他者からその人を見たときナノコンピューター群へ置換したことで変化を感じたという人間はほとんどいないのだ。もちろん私のように置換に多大なストレスを感じていることで性格に変化が生じている人間はいるだろう。


 しかしほとんどの人間はなにげなしに手術を受けるため優しい人間は優しいまま、怒りやすい人間は怒りやすいままと他者からは変化を感じないのだ。もちろん本人にとっても変化はないというその人から出力された情報も入る。しかし私は恐れている、もし私という人間がナノコンピューター群に変わることで明瞭な死を迎えてしまうとどうなるのだろうか?私は死に、私のコピーが世界に存在し続け誰からも悲しまれることなく世界は動く。誰もわたしを惜しむことがないんだ。


 死というだけで十分恐れる対象であるのに世界への存在価値を一切消される死という異常性に私は怯え恐れ、動じてしまうというのも手術を躊躇う理由となっていた。

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