【改稿版】ワナビよ、(死んでも)大志を抱け!

坂東太郎

【改稿版】ワナビよ、(死んでも)大志を抱け!


“ 気づいたら森にいた。

  いや俺さっきまで、さっきまで……何をしていたのか。

  いまいち思い出せない。ボケる歳でもあるまいに。

  森の切れ目から道が見える。

  道には馬車が倒れていて、血塗れで転がってる男と緑色の小人たちがいる。

  ……うん?

  待って、ちょっと待って。

  馬車が倒れていて?

  血塗れの男?

  緑色の小人?

  もう一度、今度はそろりと顔を出す。

  やっぱり馬車が倒れていた。

  血塗れで転がってる男は二人。

  血が染み込んだのか地面の色が変わっている。

  二人の男はピクリとも動かない。死んでいるのだろう。

  そこまで考えて、俺は目を背けていた現実に向き合う。

  緑色の小人。

  身長は130cmぐらいで、耳は尖り、ワシ鼻で、額に小さな角がある。

  ……ゴブリンじゃんね。

  問題はそこじゃない。そこでもあるんだけど。

  低い木からそっと顔を出す時、俺は手で枝を押さえた。

  緑色の、手で。

  よし、現実を見よう。

  俺の手は緑色で、額を触ったら角っぽいものがあって、腹は丸く膨れていた。

  ……ゴブリンじゃんね。

  これファンタジーに出てくるゴブリンじゃんね。

  なんだかわからないけれど、私は気づいたら小餓鬼になっていたやうだ。 ”



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「坂東さん、これおもしろいですよ!」


 とある出版社の一室。

 いわゆる打ち合わせスペースに、ライトノベル作家と編集者の姿があった。


「最後まで読みました。直すところは多いですけど、もっとおもしろくなると思います!」

「ですよね! この新作、自信あったんです!」


 このラノベ作家、まだ一作しか出していない新人のクセにこの発言である。大物である。

 しかもワナビを拾い上げてくれたベテラン編集者に対しての発言である。バカである。

 あるいは、バカも行き過ぎると大物に思えるのかもしれない。

 ちなみにワナビとは、『Want to be 〜』の略であり、小説家を目指す者に使われる略語である。時にネガティブな意味も含んでいるらしい。


「異世界モノですし、独自性もあってちゃんとおもしろい。一作目は流行とのズレを解消するのに苦労しましたもんね」

「ほんと、何度書き直したことか……。今回は、書きたいものだけ書いて読み手を気にしないってワナを回避できた気がします!」

「坂東さん、殻を破りましたね!」

「ありがとうございます!」


 編集者の褒め言葉にニヤつくライトノベル作家。もとい、坂東太郎。

 単純な男である。

 褒め言葉から入った後はきっちりダメ出しされるのに。

 とはいえ一作目の怒濤のダメ出しと比べると、数は多いものの、内容は軽かった。

 褒め言葉は社交辞令ではなかったようだ。

 ダメ出しが少ない分打ち合わせはスムーズに終わり、友好を深める雑談タイムに入る。

 本題の打ち合わせより雑談タイムの方が長いのはいつものことである。


「そういえば坂東さん、打ち合わせに遅れていらっしゃいましたね。いつも時間にはきっちりしてるのに、何かあったんですか?」

「あ、それ聞いちゃいます? 話せば長くなるんですけど」


 いかにも聞かれるのを待っていました、と話しはじめる坂東太郎。

 というか仕事のアポイントで遅刻したら、理由を言うのは当然だろう。

 聞かなければ言わないつもりだったのか。

 さすが大物……ではなく元ニートである。


 ともあれ、坂東太郎は語りはじめる。

 遅刻した理由を。

 殻を破った理由を。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「太郎、荷物が届いてたよ。重かったから玄関に置きっぱなしにしたけど」

「ありがとう母ちゃん。おお、これは!」


 コンビニから帰ってきた俺は、母ちゃんの言葉で玄関の段ボール箱に飛びつく。

 宛先は間違いなく坂東太郎。

 そして差出人は、この冬、俺が何度もやり取りした出版社。


 中身を察した俺は急いでガムテープをはがす。

 焦りすぎて送り状が破れたのはご愛嬌だろう。たぶん。

 中に入っていたのは俺の予想通りの物だった。


 著者献本。


 俺の、ワナビだった俺の、最初の、本。


「おお、おおおおおおお!」


 文庫本を抱いて奇声を発する俺を、笑えるワナビはいないだろう。

 俺が書いた、俺の本。

 初めての打ち合わせは半信半疑で、その場で出版契約書を交わしてもらったのにそれでも信じられなくて、表紙が上がってもイラストを見ても、原稿をチェックしても校了しても、『残念、ウソでした!』っていつか言われるんじゃないかと思っていた。


 俺の本。

 いや待てまだ本屋に並んでるのを見た訳じゃない、なんて心の声は聞こえない。

 いつまで出し続けられるのかね、なんて声も聞こえない。

 俺の気持ちがわかるのは、自分が書いた本を手にしたワナビだけだろう。


 抱きしめていた文庫本を体から離して表紙を撫でる。

 ちなみに表紙は女の子のイラストだ。

 俺の頭の中にしかいなかった女の子を、イラストレーターさんがカタチにしてくれたものだ。

 女の子を撫でる俺の指は創造の喜びで、性的なアレじゃない。

 クンクン匂いを嗅いだのは新しい本の匂いが好きだからで、決して性的なアレじゃない。

 断じて違う。キモくもない。

 喜びに浸る俺に、後ろから声が聞こえてくる。


「なにやってるんだ」

「ああ親父かお帰り! これ俺が書いた俺の本! 献本だってさ!」


 喜びに浸っていた俺は忘れていた。

 親父は読書家だけど、エンタメ系の小説は一切読まない。

 娯楽小説も時代小説も読まず、『文学』と呼ばれるような本しか読まないことを。

 いわんやライトノベルをや。


 たぶんいつもなら見せなかった。

 本を出したことを伝えるぐらいで。

 俺は浮かれていたんだろう。

 あるいは定職に就かずニート、じゃなかったワナビだった俺を認めさせる機会だと思ったのかもしれない。


「なんだその本は。くだらない」


 返ってきた言葉はわかりやすいほどの拒絶。

 浮かれていた気分が一気に冷める。


「は?」

「そんなくだらない本を書いてるヒマがあったら就職しろ」

「ふざけんなよ! 俺がどれだけ憧れて! どれだけ苦労して!」


 いつもなら流せる言葉だったかもしれない。

 親は心配してるんだなとか、親父は頭が固いからとか、自分に言い聞かせて。

 でも俺は流せなかった。

 今この手にある本が、侮辱されたから。

 俺の夢が、努力が、編集さんの舵取りが、イラストレーターさんの創造力が、関わったすべての人が侮辱されたから。


「ふざけるなはこっちのセリフだ! 私たちがどれだけ苦労してきたと思ってる!」

「は? 母ちゃんは応援してくれてるけど?」

「そんなくだらないことのために! 報われないことのために! 母さんが、兄貴が!」


 親父が怒鳴るのを初めて見た。

 怒っていたのは俺なはずなのに凍り付く。

 親父はムスッとした顔で自分の部屋に入っていった。

 玄関に、俺と、俺の夢を置いて。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「あの、坂東さん? 遅れた理由の話ですよね? 一作目の献本って、それけっこう前ですよね?」

「まあまあ、この話には続きがあるんですよ」

「そりゃそうでしょうけど……で、どうしたんですか?」

「どうしたって、そんなに怒鳴られたら逆に気になるじゃないですか。俺ニートでしたけど、おっと、ワナビでしたけど、親はともかく伯父さんに迷惑かけてる気はないんで」

「まあ確かに、一般的にはそうでしょうけど」

「でしょ? だから、その伯父さんに聞きに行ったんですよ。仲もいいし、俺が迷惑かけてるなら謝らないとって思って」

「はあ」



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「……ってことがあったんだけど。伯父さん、なんか心当たりある?」

「アイツがそんなことをねえ。そっか、太郎ちゃんに話してないのか」

「え? 何を?」


 伯父さんの家に来た俺は、リビングのいつもの席に座る。

 頭が固い親父に聞くより、話好きな伯父さんの方が聞きやすいから。

 まあ親父から謝ってこない限り許す気がないって理由もでかいけど。


「……太郎ちゃんは本を出したんだなあ」

「うん。これ伯父さんにあげるよ。サイン入れとく?」


 おどけるように言った俺の言葉をスルーして、伯父さんは俺の本を手に取った。

 表紙を見て、裏表紙を見て、パラパラと中身をめくる。

 いつも陽気で話好きの伯父さんが、静かに。


「この本って今の若い子が読む本だろ? 血は争えないんだなあ」

「え?」

「太郎ちゃんの爺さん、俺たちの父ちゃんもさ、本を書いてたんだ」

「は? 初耳だけど? だって、サラリーマンだったって」

「サラリーマンだったのはちょっとの間だけでね。『俺は俺のやりたいことをする』って辞めたって聞いたよ。就職したのも嫌々だったんじゃないかなあ」

「え? それも初めて聞いたけど。みんな集まってる時だって」

「そりゃ子供に聞かせられない話もあるわな。父ちゃんは早死にして、母ちゃんにさんざん苦労させたからさ。アイツも話したくなかったんだろ」

「俺が生まれる前に死んでたのはそりゃ知ってるけど……」


 動揺する俺をよそに、伯父さんは話を続ける。


「父ちゃんはW大学の英文科でさ。同人誌を作ってたんだよ」


 俺の爺ちゃんが、同人誌?

 驚く俺に、伯父さんは話を続ける。


「その辺の話も聞いてねえんだなあ。父ちゃんは火野葦平なんかと同級でさ、まあ当時でいう文壇かぶれ、高等遊民だな。ウチにそんな余裕はなかったみたいだけどよ。『俺はいつか本を出すんだ!』って言ってたらしくてなあ」

「火野葦平? あの、教科書に出てくるヒト?」


 何もかも初耳で、いまいち頭に入ってこない。


 W大学の同人誌。

 火野葦平。

 文壇かぶれ。

 定職に就かない高等遊民。


 そんなの、現代文か歴史の授業の中の話で。

 ……もしかして俺の爺ちゃんもワナビだった?


「それで、爺ちゃんは、本を書いたの?」

「一冊だけな。その後すぐに死んじまってさ。ちょっと待ってな」


 席を立った伯父さんは、茶色く日焼けした一冊の文庫本を手に戻ってきた。


「俺が知ってる父ちゃんはいつも家にいなくてさ。やれ飲み会だーだの温泉旅行だーだの遊び回ってるだけだったなあ」


 俺は、何も言わなかった。


 身に覚えがある。

 これは取材だから。

 いつか創る物語に必要なことだから。

 編集さんと打ち合わせを重ねても本が出るって信じられなくて、俺はずっと『遊びに行ってくる』って言ってたから。

 爺ちゃんだって、ひょっとしたら。


「アイツも話したくなかったんだろ。定職にも就かずに好き勝手する父親の話なんて」


 俺は、何も言わなかった。


 また身に覚えがある。

 俺は大学を出てから編集プロダクションにバイトで入って、すぐに辞めた。

 いつか書く。

 俺は作家になる。

 そう言ってワナビをはじめてから書き出すまで、何年もかかったから。

 定職に就かないで、好き勝手に何年も何年も。


「母ちゃんなんかは『あんたいつ書くの!』なんて言ってな。俺もアイツも、父ちゃんが書いてるのを見たことなかったよ。いくら早死にしたって、書いたのが一冊なんてなあ」


 俺は、何も言わずにうつむいた。


 身に覚えがありすぎる。

 作家になりたければ、行李いっぱいの原稿を書け。

 そう言われてたのは俺も知ってる。

 俺だって一作目が形になるまでは何度も何度も書き直した。

 プリントアウトした紙は千枚二千枚じゃきかないだろう。

 でも『いつか作家になる』って言ってるだけで結果を出せないワナビな自分が恥ずかしくて、こっそりと。

 本を出すのに一冊分の原稿だけ書いて、一発でOKになるなんて一握りの天才だけだ。



 親父はあんなことを言ってたけど、伯父さんはこんなことを言ってるけど。

 爺ちゃんだって、ひょっとしたら。


 真剣に本を書いてたんじゃないか。


 子供だった伯父さんや親父が寝てる間に。

 遊びに行ってると思われている間に。

 みんなが気付いてなかっただけで。



 何も答えない俺を見て、伯父さんは何を思ったのか。


「はは、納得いかない時にムスッとした顔で黙るのはアイツそっくりだな」


 日焼けした文庫本を抱える俺を見て、吹っ切れたように笑った。


「太郎ちゃんには何かわかるのかもなあ。その本は太郎ちゃんが持っててやってよ。アイツに見つからないようにさ」

「ありがとう。俺、読んでみるよ」

「ああ。孫が作家になって、自分の本を読んでくれるんだ。父ちゃんも本望だろ」


 ひらひらと手を振る伯父さんに見送られて、俺は伯父さんの家を出た。

 古ぼけた一冊の本を、胸に抱いて。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「……坂東さん、それで遅れた理由って?」

「爺ちゃんの墓参りに行ってたんです。すいません、真剣に掃除したら思ったより時間かかっちゃって」


 悪びれずに言う坂東太郎。

 それは遅刻の理由にならない。社会人失格である。いや、だからこそワナビだったのか。

 呆れたように小さく首を振る編集者に気付いてないあたり、大物……やはりバカなのだろう。


「そうですか。次から遅れる時は連絡くださいね」


 ベテラン編集者は、とりあえず遅刻一回目は注意で許してくれるようだ。甘い。

 あるいは『おもしろかった』という新作をモノにしたいという皮算用が働いているのかもしれない。

 さすが生き馬の目を抜く業界である。


「それで、本はどうだったんですか?」

「それがですねえ……当時はくっそつまらなかったと思うんですよ」

「坂東さん、ここまできてもったいぶらないでくださいよ」


 長い話と思わせぶりな態度に、ベテラン編集者はちょっとイラッとしたようだ。

 遅刻とあわせてむしろよくガマンしたものである。


「さっき『おもしろいですよ!』って言ってくれたじゃないですか」

「え? どういうことですか?」

「爺ちゃんの本の中身は……今、そこにある原稿です」

「……これ? 坂東さん、これ異世界モノですけど」

「そうです。爺ちゃんが書いたのは異世界モノ。あの頃に売れるわけないですよねえ」

「異世界モノを? 60年前に?」

「業か因果か、それとも血は争えないのか。まあ旧仮名遣いを直したり、ほかにもイジりましたけど」

「はあ? その頃じゃトールキンだってギリギリじゃないですか? いや、W大学の英文科なら原文で読んだ可能性もあるのか。それに風刺系の作品なら、当時から異世界の形を取るものも……」

「早すぎた天才ってヤツですね! エンタメ系の本だって、死んでから評価されることがあってもいいんじゃないですか?」

「そういえば『小餓鬼』や『狗盗』なんて単語や、『だらう』とか『やうだ』なんて言いまわしが残ってましたね」

「あ、やべ、修正モレてた」


 やばいと口にしながら焦った様子がない坂東太郎。大物か。

 だがベテラン編集者は気にしていないようだ。

 彼は彼で、ブツブツと『そういえばあの単語も、あの表現も。そうか、旧字、旧仮名遣いだったから』などと呟いていた。

 マイペースな二人である。さすが作家と編集者である。


「そうだ坂東さん、これペンネームどうします?」

「坂東太郎で!」

「ええ……? いいんですか? その、今お爺さまの名誉を回復するって話の流れじゃ……?」

「いいんです! 俺、かなり改稿しましたから!」

「漏れてましたけどね。それとこれは相談してからと思ってたんですが、タイトルは変えませんか? 『小餓鬼の異界見聞録』はちょっと」

「オッケーです、変えましょう! それ、爺ちゃんの本のタイトルそのままなので」

「じゃあ来週までにタイトル案を最低50本考えてきてください。はあ、坂東さん、殻を破ったと思ったらそういうことですか……」

「そういうことです。俺、爺ちゃんに教えてもらいました。時代が俺に追いつかないってこともあるんだって!」

「はあ……?」

「だから俺は、書きたいものを書いていきます。爺ちゃんと同じように、ワナビだって、いつか受け入れられるかもって信じて!」

「は、はあ……」


「ワナビよ、大志を抱け! 抱いた思いを文章にすれば、今は認められなくても、いつか認められる日が来るんです! そう、死んでからだって!」


 とある出版社の一室。

 いわゆる打ち合わせスペースに、ライトノベル作家と編集者の姿があった。

 拳を振り上げて気勢を上げるライトノベル作家と、コイツどうしようと冷や汗を垂らす編集者の姿が。



 ワナビよ、(死んでも)大志を抱け。



 これは、創作に取り憑かれた二人の、魂の叫びである。

 理解者はいない。

 というか真似してはいけない。

 二人とも、家族に多大なる迷惑をかけているのだから。


 けっきょく。

 二作目のタイトルは『ゴブリンサバイバー』になったようだ。

 小餓鬼=ゴブリンだったらしい。

 ゴブリンになって異世界で冒険する物語だったらしい。


 祖父、時代を先取りすぎである。

 昭和のワナビも、書きたいものと流行がズレることがあったようだ。

 書き手が陥りがちなワナである。


 …………ワナビだけに。

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