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 私の通っていたキャンパスは人里離れた所にあった。周囲は見渡す限りの山に囲まれていて、少し行けば田畑しか存在しないような田舎町。海にもほど近くて、よく友人と釣りに行った。そんな立地ではあったが、特段不便と感じたことはない。大抵のものはショッピングモールで揃う。大学生協の品揃えはそこそこだ。強いて言えば、飲み屋とバスの本数が少ないこと、くらいだろうか。


           ***


「おまえはどうすんの? ゴールデンウィーク」

 明日から長期連休を控えた、昼下がり。

 雲ひとつない青空の下、私は友人と共に大学のカフェテリアで過ごしていた。こういう日のカフェテリアは快適だ。キャンパスを吹き抜ける風はとても心地よい。私たちは例に漏れることなく、テラス席の一つを陣取っていた。

 私の友人はふたり。ひとりはいわゆるイケメンって雰囲気のハヤト。サークル活動に積極的に参加していて、交友の幅は広い。もうひとりはテツ。パッと見はただのヲタク。背が低く小柄で非力なあたりが特にね。女子学生から小動物のように可愛がられていた。

 タイプの違う3人だが、高校からの付き合いで仲は比較的に良かった。

「帰省するのも面倒だからなぁ」

 私は青空を眺めて答えた。そっとアイスラテを口にすると、ひんやりとした味わいが口の中に広がるのを感じた。

「そういう、ハヤトはどうなんだよ」

「俺か? サークルの仲間とドライブ」ハヤトは自慢げに答えた。

「ふぅん。あのヤリサーか」そこへ、テツが割って入った。

「ヤリサーとは失礼な奴だな」

 ハヤトはテーブルをバンッと叩いた。身を乗り出して、テツの方へと詰め寄った。テツは体ごと横にずらしてハヤトから視線を逸らした。

「でも、みんな言っているよ?」

 テツの言う通り。ハヤトの入っているサークルはどちらかと言えば、そう言った噂の絶えないサークルであった。中には子供を孕んだ二人組が居る、なんて噂も飛び交うくらいに、ヤリサーな印象が強い。

「おまえは、分かってない。わかってない。そういうデマに流される奴が一番ダメなんだよ」

 ハヤトは腕を組み、椅子に深々と腰掛けた。そして、「おまえもそう思うだろう?」と、こちらを向いた。

「ハヤトの入っているサークルがどうであれ、ハヤトにはそんな甲斐性はないだろう?」

 私の言葉にテツがコクコクと頷いた。

「おまえは俺をフォローしたいのか、どうなのか、はっきりしろよ」ハヤトはガックリと首を垂れた。

「ハヤトだから仕方ない」テツはココアの入ったカップを両手に持ち、そうっと口をつけた。

「それはどういう意味だよ」ハヤトはテツの方を睨んだ。

「ハヤトはホモって話。聞いたことないの?」

「はぁ? なんだよそれ」

「そりゃぁ、こんなところで男だけでいたらねぇ」テツが苦笑いを浮かべた。

 周囲を見渡せば、カップルや女学生の姿の方が多い。男3人組で利用している私たちは完全に浮いている。

「なるほど。サークルの男どもが俺を毛嫌いする理由がわかったよ」

 ハヤトは悔しそうにうなだれた。「だいたい誰だよ、そんな噂を吹聴したの」

「ヤリサー噂のあるサークルに入っていて、サークル活動以外では男友達と居るところしか目撃されていない。そうなれば誰だって、ホモって思うよ」

 テツがスパッと止めを刺した。

 普段は大人しい、というか口数の少ないテツだが、この3人でいるとよく喋る。まぁ、多くは愚痴だったり、毒舌だったりと偏っている。

「もうなんなんだよ」ハヤトは頭を抱えて喚いた。

「一番、リア充しそうなのはハヤトなのにね」私は小さく呟いた。

「そうやって、おまえまで俺をせめる」ハヤトがジロリとこちらを見た。「別に責めているつもりはないよ」私はブンブンと手を振って否定した。

「そう見えないから、面白いよねぇ」ココアを飲みながらテツが言った。


 その刻、キャンパス内に一際強い風が吹いた。


 甘いようでどこかすっぱい、そんな柑橘系の香りを感じ取った。

 香りのした方に視線を向けると、ある女子学生が目に入った。

 風にたなびく髪の毛は鮮やかなクリーム色。輝く瞳は翡翠色。細く長い指先で文庫本のページを捲っていた。

 美しい。いや、そんな安い言葉では表せない美貌を彼女は確かに秘めていた。

 不思議なことに彼女はカフェで注文したと思われる商品を一切持ち合わせていなかった。ただ本を読みに来た。そんなように感じられた

「どうしたんだ?」

 明後日の方へ視線を向けていた私を見て、ハヤトが訪ねた。

「いや、綺麗だな。と思って」私の視線は彼女に釘付けだった。

「うわ! いきなりなんだよ。まさか、おまえホモだったのか!?」ハヤトが勢い良く仰け反った。

「違うよ、彼女」そう言って、私はクリーム色の彼女を指差した。

 ハヤトは私の指す方を向いた。「あぁ、新入生のノノだな」彼は即答した。

「有名な娘なの?」テツが首を傾げる。

「おまえらもう少しは情報を手に入れる努力くらいしろよな」

 ハヤトはやれやれと手を振った。

「彼女は今年のミスコンの優勝候補。まだ1年生であの美しさ。ほんと、惚れ惚れするよな」ハヤトが鼻の下を伸ばして訪ねた。

「へぇ、そうなんだ」

「と、言っても俺もそのくらいしか知らないんだけどね。なんつっても、彼女は高校に行っていないみたいなんだ」

「どういうこと?」

「俺が知るかよ。とりあえず、あの娘の高校同期はいないから、情報は引き出せない。そして独りでいることが多いから、大学での交友関係もない」

 ハヤトは自慢するように自分の持っている情報をひけらかした。

「誰かが告白しそうなものだけどね」テツがそんなことを口にした。

「残念。既に多くの我が大学のイケメンたちがそれをして玉砕している。サークル勧誘も同じだ」

 ハヤトがそれを言い終えるよりも先に、私は歩き出していた。


「相席、良いかな?」


 私自身、驚くほど自然にその言葉が口を吐いた。

 彼女は周囲を見渡した。他に空いている席がないことを確認すると、コクリと頷いた。

「ありがとう」ひとつ礼を述べてから、私は彼女の対面の席に座った。

「何の本を読んでいるのかな?」

 淡い水色のブックカバーが掛けられていて何の本を読んでいるのか分からない。

「聖者の行進」ノノは静かに答えた。

「なるほど。アイザック・アシモフか」

「うん、好き」本で隠したその頬は仄かに赤らめていた。

「どうしてだい?」何気なく尋ねた。



     ***


 言うまでもないが、このことはたちまちキャンパス中に広まった。

 どうやって彼女のハートを射止めたのか。散々、質問攻めにされた上に、男たちからは殺意の目を向けられた。でも、そんなことはどうだって良かった。


 。それだけのことだ。


 対するノノはというと、その状況に陥ってもなお他の学生を引き寄せない孤高の女神を貫いた。相変わらず、何も注文せずにカフェテラスの席に座り、本を読む。人が近づけば、冷徹な言葉で一蹴する。私はそんな光景を何度となく見てきた。

 ある日、私は彼女に尋ねた。

「どうして、君は他の人とは話そうとしないんだい?」

 ノノは少し考えた後、柔らかい声で答えた。「あなたが他と違うから」

「それはどういう意味だい?」深く追求した。

「他の男性は下心が見え透いているのに、あなたは何だか違う。セックスとは違う何かを求めているみたい」

 彼女の言葉に私は苦笑した。「これでも、男のつもりなんだけどな」

「不思議ね」ノノはそれ以上は言わなかった。

 私も追求するつもりはなかった。だが、その時の彼女は引きつったような、どこか不自然な笑みを浮かべた。

 だから私は尋ねた。

「本当はヒトとコミュニケーションをとりたいんだろう?」

 私の一言にノノはピクンと肩を震わせた。

「何故、そのように?」彼女は手に持っていた文庫本で顔を覆い隠した。翡翠色の瞳だけをその端から出し、ジッとこちらの様子を窺っている。

「根拠はない。でも、君はヒトではない。違うかい?」

 長い沈黙の刻が流れた。ノノはどう応えればよいのか迷っている様子であった。目の焦点が合わず、ずぅっと遠くの方を見据えているようだった。「やはり……」小さな、消えそうな声が発せられた。

「あなたは変わっています」彼女はテーブルにそっと本を置いた。そして俯き加減に尋ねた。「いつからそれに?」

「初めて会ったときかな」私は率直に応えた。

 ノノは少し悔しそうな表情を浮かべた。

「気付かれていないと思っていたのに」

「うん。最初は分からなかった。でも、詰めが甘かったね」私は優しく微笑みかけた。

 彼女は一度たりともカフェテリアで飲み物などの注文をしたことがない。何度か一緒に、読書カフェに行ったことがある。その時も、私に合わせて注文をすることはあったが、彼女がそれを口にすることはなかった。

 最初は憶測でしかなかった。しかし、彼女と過ごす時間が増えるに従って、それは確信へと繋がった。彼女は最新式のロボットであった。そのため、飲食を必要としない。初めて会った時、彼女はアイザック・アシモフの『聖者の行進』を読んで「他人事ではない」と言った。その言葉の意味を私は直感、としか言いようのない何かでそれを悟った。

「やはり、あなたは変わっている」ノノは涙ながらに応えた。

「観察眼だけは人一倍あるからね。ほら、あの人を見てごらん」そう言って、私は通りを歩く一人の女性を指差した。「彼女は3秒後に携帯端末を落とす」

 ノノは言われるがまま、その女性に視線を送った。その時、確かに女性は携帯端末を落とした。

「ふふ」ノノが笑った。

「さて、君の秘密を知った上で今の気持ちを伝えるよ」


「君が好きだ」


 ノノは答えなかった。大粒の涙を流して、その場を逃げるように立ち去った。それが彼女を見かけた最期となった。

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