シークエンス9「みとめて! フォトガール」

 桜の木は完全に葉桜となっていた。もうそろそろ訪れるゴールデンウィークはすべての日にシフトを入れた。なるべく家にいたくない。

 ゴールデンウィークの直前の平日の夕方、あたしがアルバイト先の「喫茶がじぇっと」に来ると、見知ってた顔が店長と話していた。

「あら、花都じゃん。どうしたの」

 真っ黒なショートボブの女性――諸岡まどかがカウンター席に座っていた。笑顔で手を振っている。相変わらず慣れ慣れしいな、と心の中で舌打ちする。

 それでも一応相手はお客なので、

「こんにちは。あたしね、ここでバイトしているの」

 と言って、荷物を置きに奥へ行く。

 エプロンを着けて店内に戻ると、諸岡はあたしに、

「ねえ、花都ぁ。写真ってどうすればうまくなれるのかなあ?」

 まるで酔っ払いのように絡んでくる。

「知らないわよ。あたしはあたしが好きなモノを好きなように撮っているだけだから。今のところは自己満足でいこうかな、って思っているの。それに最近それどころじゃないのよ」

 そう、本当にそれどころではない。米津やかなでのことで頭がいっぱいなのだ。正直、大学の勉強も身に入らない。どうしよう。

 諸岡は、

「ふーん。そうなんだ。花都には向上心がないってわけね」

 と、鼻で笑う。向上心がないですって? ただ今のあたしには時間がないだけで、写真の勉強をしたくてたまらないのに、と若干腹を立てるが、店長の前、拳を強く握り、グッと我慢する。

 諸岡は恍惚とした表情で、

「わたしはね、みんなが喜ぶ、みんなが幸せになれる写真が撮りたいの。花都さんと違ってね」

 と、幸せそうな声色で話す。

 はいはい、そうですかそうですか、脳内お花畑ね、と心の中で皮肉っていると、店長がコーヒーを諸岡の前に置き、

「ブレンドコーヒーです。ところで、それは願いですか?」

 そう静かに尋ねた。

 ここ「喫茶がじぇっと」の店長、小夜鳴カナタは人間の願いを叶えることが出来る神様である。ボーンチャイナのような肌に、輝くばかりの金の瞳は、店長が人間じゃないことを物語っている。

「え、願い? 叶う、ってどういう?」

 店長の言葉に諸岡は目を輝かせ、身を乗り出す。

「簡単な話です。ボクは人間の願いを三つまで叶えることができるのです」

「え、まさか! そんなバカなことってあるの?」

 諸岡はそう言って、コーヒーを啜る。

「バカなことかどうかは、一つ試してみますか?」

 この前の米津に対抗しようとしているのだろうか。今日の店長は妙に積極的である。

「試すったって、お金を取るんでしょう。それか重たい代償……例えば魂とか」

 店長は一瞬暗い表情をした。しかし、すぐにいつものポーカーフェイスに戻ると、

「いいえ、そのコーヒー代だけで結構です」

 そういつも通り言う。

「わかったわ。叶えてよ。わたしの願い……みんなに認めてもらえる写真を撮りたい! っていうのを!」

 諸岡は勢いよく立ち上がると、両手を絡ませ、目をつぶった。

 店長は表情を全く変えずに、指を鳴らした。

 上機嫌で帰った諸岡の飲んだカップを下げていると、店長は、

「諸岡さん……でしたっけ。さっきの方。ひびきさんのお知り合いなんですか?」

 と、尋ねてきた。

「ええ。そうです。カメラサークルの知り合いです。でも、あの人……どうも苦手で」

 カップを流しに置いたあたしは深く溜息をつく。

「ん? いったいどういうことでしょうか?」

 二つ目の質問をする店長に、

「みんなが喜ぶ写真が撮りたいって言っていましたけど、アレ、絶対に違いますよ。わたしを認めろ、じゃなくて、本当は周りはみんなわたしを褒め称えろ、っていうヤツなんですよ。あいつはああいうヤツなんです。だから苦手なんです」

 あたしは脱力した声で話しながらカップを洗う。そして洗剤の泡を流し終えた。

 手を拭き、店内に戻ると、お客がいない店内で、店長は物思いにふけっていた。どうしたのですか、と聞こうと思ったが、

「まあ、ボクが今言えるのは、これ以上の願いを叶えないことを祈ることだけですね」

 こう口を開いた店長は、少し愁いを帯びた金の目であたしを見た。

 あれから二日経った。

 あたしは休日を有効的に使おうと心に決め、バイトにいそしんでいた。

 っていっても、午前中はそんなに人は来ないので、午後に備え、ゆったりと過ごしていた。

 その刹那。

「店長さあん。酷いわ。こんなに酷い目に遭わせるなんて!」

 大泣きで諸岡が入ってきた。化粧っ気はないからパンダ目とかにはなっていないけど、目は腫れぼったく真っ赤になっていた。タオルを握ってはいたものの、こぼれた鼻水と涙がどろどろに混ざって、ベタベタに湿っている。

「おや、諸岡さん。どうしたのでしょうか。そんなに泣かれて」

 店長のせいにされているのに、店長は他人事のように対応する。ここまで来ると結構アッパレだわね。

「この前のサークルでみんなに認められたのは、認められたのよ。でも、先生にダメ出しされてしまって……。反論したのよ。でも、ダメなところを治してからね、って一蹴りされてしまって。みんなに慰めて貰ったけど、悔しくて!」

 諸岡は湿りきったタオルで顔を拭くと、

「まだ二つ叶えられるわよね? お願い! 先生に天罰……例えば交通事故とか起こさせて!」

 こう続けた。

 天罰ときたか……。諸岡はそもそも嫌いだったけど、他力本願的に人に復讐をすることを言い出すなんて。ますます嫌いになった。

「天罰ですか。そう来たか……」

 店長は一瞬悩んだ様子を見せた。しかし、何かを決意したような目になると、

「わかりました。願いを叶えましょう!」

 指を鳴らした。弾く軽い音がした。

 店長ったら、若干ヤケクソになっているのではないかと止めようと思った。でも、なんか自分自身も心のつっかえがあったため、結局、あたしは店長を止めなかった。

 翌朝。今日は父さんと母さんが一日おらず、その上大学も休みの日だった。最近寝不足気味かなと思って、わざとにバイトもいれず、ただひたすらに寝ていた。

 昼過ぎにやっと起きる。寝ぼけ眼で開いたローカル紙の三面記事にあたしの目は一気に覚めてしまった。カメラの先生が追突事故を起こしたという記事だ。人身事故にはならなかったようだけど、悪いニュースには違いない。

 あたしの背筋は凍った。

 急いで店に来たら、店長は暗い表情で新聞を開いていた。

「ああ、ひびきさん、ですか。今日はシフト入っていなかったですよね。何かが起きてそのことでボクを責めにきたのですか?」

「いや。そういうつもりでは」

 あたしはそうごまかす。そら、店長の力通りに事故が起きたのだろうと推測は出来る。でも、今の店長のテンションで責められない。

「まあ、何かあったんでしょう。でないと、ひびきさんが今日来る必要なんてないんですから」

 店長の言動がやや自虐的になっている。

 鈴の鈍い音が鳴った。扉には満面の笑みを浮かばせた諸岡が立っていた。

「店長さん、ありがとう! 見る目がないノータリンに天罰が下ったわ。いい気味よ」

 諸岡はそう言って店長に抱きつく。その様子を見てちょっと心に怒りを覚えた。

 店長は諸岡をひっぺ剥がし、

「それは良かったですね」

 と冷たい声で諸岡をあしらう。

「それでは!」

 諸岡は手を振り、店から出た。なにも注文しないのかい、とぼそり呟く。

「これ以上、あの人の願いを叶えずに済みたいものですよ」

 店長はそう言うと、カウンター席に座り、新聞を広げた。

 あたしはここ居ても仕方がないので、店長に帰りの挨拶だけして、そのまま帰宅した。

 すぐに帰宅しようと思ったけど、せっかく大きな駅まで来たのだ。駅前の本屋さんに立ち寄って、ライトノベルを一冊買った。好きなシリーズの三年ぶり新作だ。もう読めないと思ったシリーズだったので尚更待ちきれなかった。待ちきれなさすぎたので、近くのファミレスで読むことにした。

 たばこは吸わないのだけど、禁煙席は未就学児が多く、ややうるさかったので、少々煙い喫煙席に座った。

 そこには先客の女性グループがいた。その人たちと顔を合わすのは個人的に気持ちが悪いので、なるべく遠い席に座る。

 本を袋から取り出し、読み始めた。久しぶりに体験する世界観にハラハラドキドキする。キレの良いストーリー展開に心躍った。好きなキャラクタが活躍しているのは、やっぱり嬉しい。もったいないことに一気に読み切ってしまった。伏線が見事だった。カタルシスを半端なく感じる。

 顔を上げて、溶けきってしまったアイスクリームとぬるくなったコーラを流し込むと、お会計しようと立ち上がった。

 喫煙室の扉を開けたとき、一瞬先客の女性三人組が目に飛び込んできた。

 そのうちの一人は諸岡だった。テーブルには複数枚の写真が並んでいる。他の二人はきゃあきゃあとその写真を褒めて称えていた。

 店長の力はモノホンだわね、と心で脱力する。向こうが気がつかないうちにその場から立ち去ろう。

 日曜日。今日一日をバイトに使うことにした。一年も働いていたら、慣れたものだ。でもミスは許されない。気を引き締めてがんばろう。

 夕方、諸岡がやってきた。ブレンドコーヒーとタバコとともに写真のレクチャー本を読んでいた。

 閉店時間の十時を過ぎ、店じまいをし始めても、諸岡はレクチャー本をじっと読んでいた。

 業を煮やした店長は、

「あの、もう閉店時間なので、よろしいでしょうか?」

 とやや強い口調で諸岡に伝える。

「ああ、もうそんな時間なのね」

 諸岡はわざとらしく笑う。

「ねえ、店長さん。お願いがあるのだけど?」

 媚びた笑みを浮かばせる諸岡に、

「はあ、なんでしょうか?」

 店長はどこかあきらめを感じるような顔を作る。

「わたしね、世界にね認められたいの。仲間内では人気がでたけど、満足しなくなったというか……。わたしの作品を世界に羽ばたかせたいの。ねえ、この願いを叶えてくれないかしら?」

 諸岡はきらきらと目を輝かせ、両手を絡ませ組む。

 一瞬、悲しげに目を伏せる店長の姿に、何故か米津の存在が見えて、心が少しチクリ針が刺さる感じがした。

 店長は何かを決意したかのように、

「分かりました、叶えましょう!」

 と言って、指を弾いた。軽く明るい音が鳴った。

 その次の土曜日にカメラサークルが行われた。会場は野外の庭園。結構暑い。化粧してこなくて正解だった。まあ、サークルって言っても、仰々しいものではなく、至って普通の講座からの撮影会なのだけど。

「花都ぁ……。こんなはずじゃなかったのよ。なんでこうなるの?」

 撮り終え、液晶画面に映る写真を眺めていると、諸岡が後ろから湿っぽく現れた。

「一体どうしたの。世界に認められたんじゃないの?」

 あたしは首をかしげる。

「認められたわよ。そりゃ、認められたわ。でも……モデルで友だちを撮ったのだけど、外国では失礼なジェスチャーをしてたようでね。知らなかっただけなのに、非難囂々でわたしのポートフォリオサイトは大炎上。閉鎖したわ」

 諸岡は一気にここまで話すと大声で泣き始めた。

 他のメンバーが集まってきた。これじゃ、まるであたしが諸岡をいじめたみたいじゃない。不愉快な気分になったので、

「あたしは関係ありません! 彼女が自業自得で泣いただけよ、もう知らないわ!」

 と叫ぶと、会場から飛び出した。二度とサークルに行くものか、と心で叫んだ。

 ってなことを店長にかいつまんで話した。

 店長はただ目頭を押さえるだけだった。

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