シークエンス7「飛び降りた気持ちで」
今日のお店はそんなに混んでなかった。まだ桜には早いからだろうか。街の人通りもいつもより少ないように思える。
無事単位が取れたあたしはまったりと充実した春休みのアルバイト生活を送っていた。
★
今、あたしが注文を受けているお客はなんだか様子が変な感じがした。サラリーマン風の男性なのだが、顔はやつれ、高そうな生地のスーツはヨレヨレ。なにか悪いことでもあったのだろうか。見ているこっちまでなんだか憂鬱になる。
話でも聞いてみたいところだけど、やっぱり他人なんだし、詮索はしないほうが良さそうだ。あたしは伝票に男性が注文した「ブレンド」と書くと、一礼した。
厨房に戻ったあたしは店長に伝票を渡す。
人間味のないボーンチャイナのように透き通った肌に、これまた人間味のない金色の目をした男性――そりゃ人間ではなく願掛けの神様なので当たり前っちゃあ当たり前なんだけど――ここ「喫茶がじぇっと」の店長、小夜鳴カナタはその伝票を見て、ありがとうございますと頷く。
「では、あたしは空いたテーブルを片付けますね」
あたしは消毒液のスプレーとふきんを持って、表へ出る。すれ違うとき、さっきのやつれた男性をちらり見た。男性はさっきより青ざめた顔をしている。何があったのかな、と思っていると、男性の前には、なんと……金髪に金の目、金のネックレスや指輪を着けた、いわゆる強面の男性がいた。その上、がたいが良いので、なかなか近寄りがたい。その真っ黄色なシャツは一体どこに売っているのだろう、と疑問に思うぐらい服装も派手だ。
一瞬、巻き上げでも行われているのかしら、と思って、話しかけようと思ったのだけど、何も事件が起きていない状態で話しかけるのもどうかなと思って、通り過ぎ、客が帰ったテーブルを片付け始めた。
空いたカップと皿をお盆に載せ、厨房に戻りかけたとき、強面の男の言葉がちらり耳に入ってきた。
「だから、あんたはまだ死ぬ必要なんてないんだって。お前には明るい将来があるんだよ。それを無駄にするなんて、全くもってバカなことだぜ」
強面はゲラゲラ笑いながら、たばこに火をつける。
「バカって言わないでください! 笑うな! 他人にどうこう言われる筋合いなんてない!」
やつれた男性は両手でテーブルを叩く。食器のこすれた音が鳴る。
「そんなこと言うなよ。笑ったのは悪かったよ。でも、このオレが死ぬべきときではないって言っているんだ。たかが、尻の軽いバカがお前を裏切っただけだろ。で、恋人を盗った社長の会社に居づらくなって、衝動的に辞めた。結婚する前に分かって良かったじゃないか。もっと前向きに生きるべきだぜ」
強面の男性はたばこの煙を吐き出す。やつれたサラリーマンは一瞬俯き、
「あんたはおれの何が分かるんだ」
と強面に思い切り睨み付ける。
「確かにオレはお前の過去や意志なんて分かりっこないな。分かるのは、あんたはまだ死ぬべきではないってことだ。そんなところにエネルギーかけるなら、生きる方にエネルギーをかけようぜ」
「お前はおれが死ねないと言っているのか? まさか未来でも見えるのか?」
やつれた男は恨めしそうな目で強面を見る。
「もちろん未来も見えないが、そういうことは分かるんだよ。オレにはな」
強面は高らかに笑うと、
「生きる気になったらここを頼ってくれ。決して悪い話じゃないと思う」
と言って、灰皿でたばこの火を消すと、名刺を渡し立ち上がった。そして手を振りながら、
「まあ、せいぜいがんばりな」
またゲラゲラ笑うと、そのまま店から出て行った。
あたしはなんだったんだ、と首をかしげる。
やつれた男は立ち上がり、財布から小銭を出した。そして、
「嬢ちゃん、すまないが……。飲む気力がやはり湧かないんだ。代金は支払うから、もういかせてくれ」
と言って、頭を下げ、そのままお店から出た。
あたしはどうしようかしら、と頭を搔いていると、
「帰られたんですね。一体何があったんですか?」
店長は何を考えているか分からない笑みでコーヒーが載ったお盆を持ってくる。
「あの人、なんかチャラくて強面の男に絡まれて、憂鬱が酷くなったらしく、帰られました」
あたしは今目の前で起きたことを話す。
「ふうん。そうですか。ならば、捨てるのももったいないし、ひびきさん、飲みます?」
店長はコーヒーをあたしに差し出す。
「丁度、お客はいませんし……。いただきます」
あたしは頭を軽く下げると、カウンター席に座った。そして店長からコーヒーを貰い、一口飲む。
ここ、「喫茶がじぇっと」では、自家焙煎ではないものの、信頼の置けるお店で焙煎したインド産中心のブレンド豆を使っている。コロンビア産とかブルーマウンテンとかいろんなコーヒーの種類がたくさんあるのは知っているけど、正直あまり味の違いが分からない。でも、おいしいのはおいしい。それぐらいは分かる。今までにも頻繁にコーヒーを飲んでいたのだけど、店長のコーヒーを飲んだときの衝撃と言ったら! カミナリが落ちたような衝撃だった。インド産のコーヒーはややマイナーと聞くから、今まで飲んでいなかったからかもしれないけれど、こんなに美味しいのはきっと豆だけではないはずだ。
若干脱線したけど、そんなコーヒーがタダで飲めるなんて! とちょっと嬉しくて、少しニヤけてしまう。これを棚からぼた餅というのかなあ。今朝のテレビ占いも良かったような気もする。
「そんなに嬉しかったんですね」
店長は苦笑いしていた。あたしもつられて苦笑いするしかなかった。
★
この日の夜七時過ぎ。あたしは「がじぇっと」から帰宅していた。駅を出て、大きな川に掛かる橋の前にきたとき。
「サラリーマンが飛び降りたぞ!」
「救急車と警察を呼べ!」
様々な人々の怒号と悲鳴が響き渡る。あたしは恐怖心で心臓に氷の刃が刺さった感覚になる。
しかし、ヤジ馬根性がその恐怖心に勝ったあたしはそっと騒ぎの中心部に近付く。
静かに下を覗き込むと、男のすすり泣く声が聞こえてきた。
「痛いよう。どうして死ねないんだよう」
どうやら男性は、川縁に落ちたらしい。死んではいないものの、怪我はしているようだ。無事ならよかった、と胸をなで下ろす。
救急車がやってきた。タンカで運ばれる男性を見て、あたしは目玉が飛び出るほど驚いた。
そりゃあ……落ちたのが、昼に「がじぇっと」で落ち込んでいたサラリーマンだったからだ。無事だったのは何よりだけど、まさか自殺未遂するほど落ち込んでいたとは思ってもみなかった。
自分がラッキーだったから、尚更そのギャップで憂鬱になった。
★
翌朝。あたしはいつもより早く「喫茶がじぇっと」に来て、すぐに店長に昨日の事をすべて話した。
店長は何も言わず、腕を組み、何か考えているそぶりを見せる。
「もしかして……。この前言っていたチャラい男って……」
店長がそう静かに呟いた瞬間、
「よう、カナ!」
昨日のチャラくて強面のパツキン男が、楽しそうな笑みで入ってきた。
「やっぱり。ヨッシーだったのか」
店長は強面に驚くこともなく、むしろ気怠げに溜息をつく。
「え、ヨッシー? 店長とお知り合いなんでしょうか」
素っ頓狂な声で驚くあたしに、
「ええ。彼は槍田ヨシオさんです。ついでに言うとボクの幼馴染みです」
店長は困った顔をする。
「ついでって言うなよな! 親友だろ」
強面の男――槍田さんは相変わらずゲラゲラ笑う。
「で、ヨッシー。昨日ここに来たんだよね? で、好き勝手して帰ったんだよね? これで何度目なの?」
店長はいつもの笑みより、三割増しぐらい恐ろしい笑みで槍田さんを見る。
「ああ。四度目だな」
槍田さんは気にすることもなく、笑顔で答える。
「いくら気の置けない仲とはいえ、店に来て、何も注文せずに、お客を茶化すだけ茶化しすのはどうかと思うんですがね。出禁にしますよ」
店長の顔はますます笑う。不気味なぐらいステキになっていく。言葉遣いもなんとなく慇懃無礼になっているように感じる。
槍田さんは観念したのか、頭を抑え、
「悪かったよ。今日は注文する。コーヒーゼリーで」
と注文した。
★
「はあ。店長と槍田さんは幼稚園から一緒だったんですか」
「ええ。ヨッシーは高専に行ったので、高校からは違いますが」
店長の言葉にあたしは驚いてしまう。高専って、かなり難しかったわよね? 中学時代の進路の眼中にはなかったけど、クラスメイトが一人受かって、みんなで胴上げしたっけ。
「ねえ。嬢ちゃん。人は見かけによらないって思っているだろ」
コーヒーゼリーをかき込んだ槍田さんは怖い顔をする。あたしは冷たい汗が背中に流れる。
「ヨッシー。ひびきさんをいじめないの」
店長は槍田さんに冷たい目つきで見る。
「冗談だよ。まったくカナったらおそろしや……」
槍田さんは頭を軽く掻く。
「あの、槍田さん。やはり技術職なんですか?」
「やはり……って。まあ、こんな格好じゃあ、まずカタギの仕事には見えないよな」
あたしの質問に槍田さんはゲラゲラ笑うと、
「オレの仕事は……。ああ、ついでにあのあんちゃんも来たようだし、ついでに話そうか」
槍田さんは店のドアを不敵の笑みで見つめた。
「あのあんちゃん」とは? と思っていると、頬に大きなガーゼが目立つ男性がフラフラと入ってきた。昨夜橋から飛び降りた男だ。男性は槍田さんの顔を見た途端、
「この話は信じていいのか?」
と水で濡れたためか、ヨレヨレの名刺を見せた。文字はにじんで、うまく読み取れない。
「ああ、もちろん。オレがウソつきって思ったら刺してもいい。うちのボスが営業マンを探してたものでね。多少なり勉強はして貰わなければいけないが、お前さんがそれぐらいは出来るってオレは踏んでる」
槍田さんの顔を見た男性は、だんだんと表情が明るくなって、
「履歴書は持ってきた。今から面接してくれっていっても構わないか?」
と、挑戦的な目で槍田さんを見る。
「ああ。いいぜ。今からオフィスへ行こう」
槍田さんは男性を連れて、お店を出た。
あまりにもナチュラルに出たので、
「あ、お会計……」
店長は言葉と共に溜息をつく。
「ま、十割増しで請求でもしましょうかね」
店長は疲れた表情でカウンター席に座った。
あたしも槍田さんについて聞きそびれた、と気がついたが、後の祭りだった。
★
それから一週間経った。一斉に咲いた桜のおかげか、街は一気に華やかになり、人通りも賑やかになった。
ここ「喫茶がじぇっと」も「並ぶ」までは行かないにせよ、繁盛していて、楽しく忙しい。
今朝、シラバスが大学から届いた。こういうのを見ると、そろそろ新学期が始まると実感する。楽しみと恐怖心が同時に来て変な感じだ。まあ、まだ時間はあるのだし、もう少し春休みを楽しもうかな、とかのんきに構えて、あたしはバイトをしていた。
夕方のピークが過ぎ、お客さんが全員出て行ったあと、あたしはカウンター席に座った。四時間ずっと立ちっぱだったので、足がふわふわと変な感じだ。なんか肩も痛い。首を回して、全身を脱力させる。
「お疲れ様です。ひびきさん。昼からだいぶ遅くなりましたが、これ、まかないです。冷えたルイボスと一緒にどうぞ」
店長が厨房からお盆を持って出てきた。そのお盆には、ルイボスのペットボトルとあんこ餅が載っていた。しかもただのあんこ餅ではない。テレビや雑誌で取り上げられるほど人気の取り寄せで半年待ちで有名なあんこ餅なのだ。驚くに決まっている。
「わ、店長! どうしたんですか? それ! 人気で手に入らないって聞いてますよ!」
あたしはテンションが上がり、すっかり疲れが吹き飛んだ。
「最近、ボクら頑張っていましたしね。少しは奮発したかったので、注文していたんです」
店長の柔らかな笑みに、
「店長! ありがとうございます!」
あたしも笑みがこぼれる。
「さ、食べましょう」
店長はお盆を置くとあたしの隣に座り、あんこ餅を頬張った。その姿を見て、あたしもあんこ餅を口に入れた。
「人気だけあって、やはり美味しいですね」
「そうですね。甘さがマイルドで、いくらでも食べられそうです」
ルイボスを飲む店長の言葉にあたしは同意する。
そのときだった。店の玄関の鈍い鐘の音がした。振り返ると、槍田さんといつかの男性が入ってきた。サラリーマンの表情は前に比べて、驚くほど明るくなっていた。服装も清潔感溢れる明るい色のカジュアルなものになっている。
「やあ、カナ!」
相変わらず槍田さんは、手を振る。
「おや、ヨッシー。この前の方と一緒にどうしたの」
店長は首を捻る。
「ああ、マスターさん。ココに来て良かったよ。槍田さんと今の仕事に出会えたんだから。今の仕事、凄く楽しくて。あのとき、死ななくて良かった」
男性は満面の笑みで店長の手を握り、上下に振る。
「オレ、エンジニアやっているだろ。で、新製品を作ったのだけど、オレにはプレゼンの才能がなくてな。で、こいつがそういう才能があるだろうって見込んで、スカウトしたってワケだ」
「エンジニア……?」
あたしは全く話が見えないので、首をかしげていると、
「ここだよ」
男性は名刺をくれた。その名刺の企業名に驚いてしまった。そりゃあ……最近台頭してきた有名なオモチャ会社だったからだ。主にテレビゲームなどを中心に開発しているが、昔の文化と今の文化をつなぐオモチャも作っていると経済番組で言っていたのを覚えている。「遊びは命」というコンセプトで売り出している会社だとか。
「槍田さんはここの開発者でね。おれ自身も元々遊ぶのは大好きだったし、遊びを考えるのも好きだったことを思い出してね。本当はこういう感じの仕事がしたかったって気がつけたんだ。あんなクズに振り回されていた自分が恥ずかしいと思うぐらいにさ。それにこっちがダメなら医者になるのを進めようっていう古典的なジョークを言い合えるぐらい心が許せる存在ができてよかったよ。マスターさん、あんたの親友ってすげえな」
男性の言葉に、なにか引っかかる何かを感じ、
「あの。店長。店長が店長なら、もしかして、槍田さんって……?」
と恐る恐る聞いてみようと口を開いた。
「ああ、オレは死神だよ。オレの役目は死者をあの世に送ること。そして、死ぬべき時期ではない人を諭すこと」
槍田さんはたばこをくわえると、
「オレもカナも神としての役割がかなり損でな。まあ、それで仲良くなったのがはじまりなんだ」
と軽い調子でこう続けると、たばこに火をつける。
「まあ、恐ろしさと言ったら、ヨッシーのほうが大きいけどね」
店長はニヒルに笑う。
「まあ、そうだけどな。でも、生きるべき人間は生きて貰わないと、オレがしんどいんだよ。最近そういうルールを守らない人が多くて……。仕事が増えて、疲れるんだ」
槍田さんは煙を吐く。
この前と別人のようになった男性は、
「恋愛に失敗しただけで人生が真っ暗になった気になったけど、目的があればなんとか人は生きていけるって分かって良かったよ。これからは人を楽しませることを最優先に考えるつもりだ。それこそが自分が楽しいことだからね」
と柔らかで満足そうに微笑んだ。
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