シークエンス5「愛と気持ちとクリスマス」

「店長、もういくつ寝ると、クリスマスですよ。それっぽい飾り付けとかしないんですか?」

 珍しく客がいない喫茶店「がじぇっと」で新聞を読んでいる店長に、洗い物を終えたあたしはタオルで手を拭きながら尋ねた。

 外を見ると、少し雪がちらついている。窓は少し結露しているようで、濡れていた。

「ひびきさん。ボクが何者かと分かっている上でそれを聞いているんですか?」

 ボーンチャイナのような白い肌に金色の瞳、黒いクセ毛の男性で、ここの店長はあからさまに不機嫌な顔をする。

「へ……。店長は……小夜鳴カナタ……で。あ」

 そうだ。しばらく何も騒動がなかったからすっかり抜けていた。ここの喫茶店の店長――小夜鳴カナタ――はいわゆる「神様」。人の願い事を三つまで叶えることが出来る能力を持つ神様だ。見かけはあたしより十も違わなそうに見えるのだけど……。

「他の神様の誕生日のお祝いなんて、なんでボクがしなきゃいけないんですか? ワケが分からない……」

 店長は溜息をつき、下げた頭を横に振る。

 ここであたしは、はたと疑問が浮かんだので、

「キリストの誕生日がクリスマスなら、店長の誕生日って一体いつなんですか? っていうか、年齢は?」

 と聞いてみた。

「十二月三日生まれです。危うく、語呂合わせでヒフミってつけられるところでしたよ。年齢は丁度二十七になりました」

 あたしはカレンダーを見た。今日は十二月十日。店長の誕生日から一週間経っている。っていうか……。

「店長って、そんなに若かったんですか?」

 あたしは素っ頓狂な声で驚く。

「え、どうしたんですか? ボクはそんなに年老いて見えますか?」

 不思議そうな顔の店長に、

「てっきり、不老不死かと……」

 と苦笑いする。

「そりゃあ、神だって年齢を重ねますし、死にます。この世には不老不死なんてそんなにいないですよ」

 店長は薄らと笑みをこぼす。

「まったく。この国はこの季節になると浮かれすぎです。そもそも、クリスマスは家族で過ごすイベント。何故、恋人たちがイチャイチャするんですか。そして、ボクはそんなところをわざわざ見てなきゃいけないんですか!」

 新聞を乱暴に閉じ、眉間にしわを寄せた店長は大きく溜息をつくと、うなだれる。

 正直、こんな店長を初めて見たので、ちょっとびっくりしてしまう。そんな顔を見たあたしを見た店長は、

「ああ。すみません。取り乱しました」

 と顔を赤らめた。

 その翌日。

 午後の授業は先生がインフルエンザにかかったので休講になった。つまり、午前中で授業は終わり。昔で言うところの平日なのに半ドンになった。

「今日、お店やってればなあ。お金、カメラのために少しでも欲しいのよねえ……。お金」

 大講義室の片隅で独り言をボソリと呟く。本当なら今日もバイトのはずだったのだけど、朝、店長から電話が入り、お店が休みになったのだ。店長自身もかなり慌てている様子だったので、理由は聞けずじまい。臨時休業するほどだから、よほどのことがあったのだろう。

 強い空腹感を覚える。財布の中身を確認したあたしは、

「お金は貯めたいけど、最近、頑張ってるし、少しはプチ贅沢しましょ!」

 と財布をカバンに勢いよく戻し、まだ人でごった返している大講堂を急いで出た。


 あたしは今、川沿いを歩いている。この川沿いにはちょっとだけ高級なチャイニーズレストランさんがある。ここの平日ランチは、記憶が正しければ、お手頃価格で美味しい中華定食が頂けたはずだ。

 記憶が正しければ、という言い方をしたのには、ワケがある。最後に来たのはあたしが中学生の夏休み。つまり、今から五年前なのだ。五年も経てば、店のシステムは変わっていることは多分にあるから、正直、あたしは不安だ。

 店を見つけた。メニューを見ると、どうやらランチはまだやっているようだ。よかった。


 あたしは店の扉を開ける。表にある店内はなにも変わっていない。よく父や弟に隠れて母と妹と来たなあと思い出す。


 そう。あたしには前に話した弟の他に妹がいる。姉妹は仲悪いと思われがちだが、あたしたちは仲は良い方だったと思う。

 現在、その一つ下の妹は行方……どころか生死不明だ。今年の卒業式の直後に家出をし、最後の目撃は半年前の隣の県のリアス式海岸の崖上だったと聞く。父は妹は自殺したに違いない、あの一家の恥さらしめ、って酔うたびに不機嫌になる。家族のみんなもそう思っているようだ。でも、誰も信じてはくれないのだけど、あたしは妹は絶対に生きていると確信している。それは願望ではなく、現実に妹は生きていると感じるのだ。これが願望だったら、店長に妹に会わせてくれと願いを叶えてもらうに決まっている。そうではない。妹が生きていることは決定事項なのだ。今日もどこかで元気にやってて、きっとまた会えるはず。

 家出をしたのも、あんな古びた価値観の中でしか生きていない両親に辟易したからだと思う。あたしも本当に行きたかった進学先を、父の一存だけでダメになった。それを見た妹はあたし以上に絶望していた。だから、誘ってくれたら、一緒に家出したのになあ、と薄ら思うけど、妹のアグレッシブさにあたしがついていけるとは到底思えない。あたしには勇気がない。彼女の判断は正しかったと思う。

 母はまだマシな方だ。優しい性格の母であるのは確かだが、父に逆らえない。っていうのも、母の家は借金まみれで、その肩代わりを父の家がしたからだそうだ。母が父に恩義を感じるのは結構だ。でも、生まれた子ども――というか、娘たちには何も罪はないはずなのに、女というだけで、小間使いのごとく、あたしたちをこき使うのは辞めて欲しい。もっと言うなら、母のことも小間使いのように扱って欲しくない。

 とにかく、そんな父なので、女が学問なんて、ということで進学も本当に危うかったのだけど、実際、あたしが大学に行けているのは、とある拍子に落としたあたしの進研模試の結果を見た父の取引先のおかげだ。あたしの偏差値を見て、コレで大学に行かないのはもったいない、と言い切ってくれたのだ。おかげさまで二番目に勉強したかった学部に進学することが出来た。この出来事が起きたのは高三の三月の末だったから一年棒に振ったけど。

 

 思考がだいぶ逸れたことに気がつき、頭を思い切り振る。妹のことも気になるけど、今は空腹の方をなんとかしなければならない。ランチタイム終了まであと残りわずか。店員に誘導され、席に着く。ウエイターさんが去る前に、ランチを注文した。

 お冷やを一口飲む。乾燥した空気で渇いた喉に通る冷たい水は心地良い。そしておしぼりで手を拭く。

 ふと目線をあげる。あたしの正面には、どこかで見たことのあるボブヘアの涼しい目をした美女が本を読んでいた。ブックカバーが掛かっているため、何を読んでいるか分からないけど、楽しげに読んでいる。あたしもあんな風な女性になれたらな、と肘をつく。

「ごめん。待った?」

 クセ毛の男性が目の前に座っていた美女に話しかけてきた。どこか親しげだ。っていうか、その男性もどこかで見たような……。目をこらす。

 ――店長だ! 散々、恋人たちがどうのこうのと文句つらつら言っていたのに、結局、店長だって、キレイな女性とデートしているんじゃないか! と心の中で怒りがふつふつと湧き上がる。でも、ここで怒りを爆発させても仕方がない。ランチを食べたら、さっさと帰ろう。

 そんな風に思って窓に目をそらす。あの二人は見たくない。窓を見ると裸の桜並木が川に沿って並んでいる。若干雪も積もっているように見えた。そんな風景を見て、あたしは深く溜息をつく。

「ね、ひびきちゃん。なんで溜息をついているの?」

 澄んだ声が耳元から聞こえてきた。振り返ると、あたしの目の前にいたはずのボブヘアの美女が微笑んでいた。びっくりして、思わずお冷やのグラスを落としそうになる。っていうか、なんであたしの名前を?

「な……なんのようなんですか?」

 あたしは素っ頓狂な声を出してしまう。

「うちのカナタがお世話になっているわね」

 うちのカナタ? どういうこと? とあたしは首をかしげる。

「姉さん。突然立ち上がったと思ったら、なにやっているの」

 店長の声が後ろから聞こえてくる。そして、あたしの姿に気がつくと、

「おや、ひびきさんじゃないですか」

 と、落ち着いた声だけど、驚いた様子を見せた。

「ね……姉さん? 店長、一体どういう……」

 店長は頭を搔くと、

「うちの姉貴のハルカです」

 と困ったように言った。

「小夜鳴ハルカです。よろしくね。」

 美女――ハルカさんはあたしに手を伸ばす。あたしは戸惑いながら自己紹介をし、その手を握り握手をする。

「どうせなら、一緒に食べましょうよ。店員さんに言えば、席を変えて貰えるわ! わたしのおごりよ」

 ハルカさんはウィンクした。

 

 あたしの早合点のせいで、危うくランチがまずくなるところだった。でも、万事塞翁が馬というか、結果、ハルカさんにおごって貰ったので、ランチ代が浮いたのはうれしい。

 会話はたわいのないものだった。「アルバイトの様子はどうか」とか、「大学の調子はどうか」とか、そんな感じの話だった。ほぼハルカさんだけが話していて、店長はただ淡々と黙々と並べられた料理を食べていた。

 一番最初に料理を食べ終わった店長は、立ち上がった。

「カナタ、どうしたの」

「ちょっとお手洗いに」

 笑顔で尋ねるハルカさんに店長は無表情でこう答えると、席を外した。

 ハルカさんは店長が見えなくなったのを確認すると、

「やっぱり、ひびきちゃんはいい人ね。あいつについていけてるんだもん」

 マジマジとあたしの顔を見る。あたしの顔は暑く火照る。

「い……一体何を言い出すんですか?」

 突然のことに、あたしは挙動不審になる。

「カナタの店……えっと『がじぇっと』のアルバイト募集の紙を落としたのは、わたしなの。覚えていないかしら?」

 わたしの記憶はフラッシュバックした。そういえば、すごくキレイな人があのバイト広告を落としていた。

「え、やっぱりあなたが?」

「やっと思い出してくれた?」

 ハルカさんは柔らかな顔であたしを見る。

「信じるも信じないもひびきちゃん次第だけど、わたしね、幸せの女神なのよ。店が忙しくなったから、カナタはバイトを探していたのだけど、なかなか見つからなくて。どうせ雇うなら、カナタの能力を理解した、ちゃんとしたメンタルを持った人を雇いたい――それが『がじぇっと』にとっての幸せだったんだろうね。わたしはその後押しをしたの」

 楽しげな笑みを振りまくハルカさんは、

「ねえ、今ひびきちゃん。今、幸せ?」

 と尋ねた。

 あたしは言葉に詰まる。やっと出た言葉が、

「あ……。あの。幸せをどう定義するか、ですよね。お金があるのが幸せなのか、家族がいるから幸せなのか……とか」

 だった。幸せの女神になんてことを言うのかと、寒いのに汗を搔く。

 ハルカさんは笑みを崩さず、

「その答えを待っていたの。うんうん。あたしの目に狂いはなかったわね」

 食後のコーヒーを美味しそうに飲むハルカさんは、満足そうな笑みを浮かばせる。

「そうなのよ。お金があるから、とか、家族がいるから、とか……。幸せの基準は様々。端から見たら不幸せに見えても、本人たちは幸せとかざらにあるわ。でも、そういう幸せはいつか壊れる。そうなるとその後は絶対に不幸せになる」

 ハルカさんはコーヒーを飲み干すと、

「わたしの能力も、カナタの能力も人間にとって欲しいものだと思うけど、それが本当に欲しいものにたどり着くかといったら、否、よ。違うわ。カナタはそれで苦しんでいた。でも、あなたがバイトに来てから、表情が柔らかくなったの。安心したわ」

 とたおやかに笑む。

「これからもよろしくね」

 立ち上がり、伝票を持ったハルカさんは、あたしの背中を軽く叩くと、手を振り、そのままレジへと向かった。あたしは、何をよろしく、と言われたのか分からなかった。

「ひびきさん、昨日は突発的に休んでしまって申し訳ありませんでした」

 翌日、授業が終わって、「がじぇっと」に入った途端、店長が間髪入れずに謝ってきた。

 あのランチの後、用事があるからと店長たちと別れた。あたしはそのままいつもの電車に乗って帰ったのだけど、店長とハルカさんはあたしと逆の方向の電車に乗り込んでいた。

「言い訳させてもいいでしょうか?」

 店長はあたしに座るように椅子を引く。あたしはエプロンを着けてからそれに甘えて椅子に座る。店長はあたしが座っている直角の位置に椅子をわざわざ持ってきて座り、

「姉貴は海外で個人の雑貨輸入商をしてるんです。昨日の朝、それもボクが家を出る寸前に、突然帰国して両親の墓参り行くから、と電話がかかってきましてね。お墓は隣の町にあるので、半日仕事になるんです。姉貴が帰ってくる飛行機が着くのは昼過ぎですが、墓参りって石を掃除したりする道具とか、準備とか必要でしょう? だから、店を開ける暇がなく、ひびきさんに電話するので精一杯で……。まさか、あの中華屋さんで鉢合わせするとは思わなかったですが……」

 とあたしの目をじっと見つめながら、よどみなく流れるように言った。店長のぱっちり二重の金色の瞳に見つめられると、ドキリと緊張が走る。やっと出た言葉が、

「はあ……。それは大変でしたね……」

 だった。

「そう、大変だったんですよ! あの姉はいつも弟を振り回して何がしたいんだか」

 頭をぶんぶん振り回す店長に、いつもの飄々とした様子が見られず、なんだか調子が狂う。思わず苦笑いするしかない。

「なにがおかしいんですか、ひびきさん!」

 顔を真っ赤にさせた店長に、ますますあたしは可笑しくって、口を押さえながら笑ってしまった。

「人をからかうのも、大概にしてください!」

 店長は赤い顔をぐっとあたしに近づけた。店長の金色の目があたしの目の先鼻の先に来る。すると、何故かあたしまで顔が熱くなった。今にも沸騰しそうだ。そんなあたしを見た店長は、赤い顔のままだったが、我に返った様子で、あたしから離れ、腕を組み、横を向く。

 店長が離れたのにもかかわらず、あたしの動悸がなかなか収まらない。仕事に入らなきゃいけないのに、どうしたものかしら? と困っていると、鈍い鈴の音が鳴った。

「いらっしゃいませ」

 あたしは立ち上がる。ああ、この場の空気をどうにかしてくれるかしら、と立ち上がり、頭を下げる。

 入ってきたのは、背広を着た男性だった。首からカードを下げている。どうやら営業のサラリーマンのようだ。でもガリガリの死神のような風貌で、商品は売れなさそう……と思ってしまう。それぐらい幸せからほど遠そうな幸が薄い顔をしていた。

「コーヒー。ブレンドをくれ」

 無礼な態度でサラリーマンはそう言い放つと、コートを脱ぎ、椅子にうなだれる。

 あたしは奥のキッチンへ行こうとするが、

「ひびきさんはテーブルをいつも通り拭いてください」

 と店長からそう指示を受けた。その指示通り、あたしは消毒のスプレーでいつもの手順で開いているテーブルを拭いていた。

 五分後、コーヒーを店長が持ってきた。

「おい、おまえがここの店主か」

 男は突然店長の胸ぐらを掴んだ。

「突然なんですか。まだコーヒーを一口も飲んでないで、そんなこと言わなくたっていいいじゃないですか」

 店長は反論し、何事もなかったかのように男の腕から抜けると、エプロンを整える。

「てめえみたいなイケメンさんはさぞかしおモテになるから、わからないかもしれないが、女性に避けられまくって、今回の商談もおじゃんになったんだよ!」

「は……はあ」

 店長は目が点になっている。多分、あたしもまったく同じ表情だろう。この男はうまくいっていない自分のミスや不満を店長にぶちまけているだけだ。みっともない。

「あの、お言葉を返すようですが。ボクはモテたことはないですし、もちろん結婚してません。彼女ができたこともありません。ですから、そう言われる覚えがないです」

 店長は無表情でぴしゃりとこう言い切った。

「なら、この姉ちゃんをおれの彼女にしてもいいのか?」

 痩せこけた男は笑いながら、あたしを指さす。それと同時に、

「へ?」

 あたしは素っ頓狂な声を出す。

「それはぼくが知ったことではありません」

 店長は真顔で男を見る。あたしは店長を見て二度目の変な声を出す。

「ひびきさんの意思を無視しないのであれば、ですが」

 店長はあたしの目を見る。

「ひびきさんはこの方と付き合いたいですか?」

 店長の静かな問いにあたしは首を横に振る。

「てんめえ! おれを茶化すつもりか!」

 男は店長の胸ぐらを掴む。その瞬間、店長の目がキラリと光ったような気がした。

「どうやら、あなたには叶えたい願い事があるようですね。なんですか?」

 店長は涼しい顔で男を見る。

「ああ? おれはな、女にモテたいんだよ! おれを男と認めてくれる女さえいれば、おれは幸せなんだよ! クリスマスも一人きりで過ごさずに済むんだ!」

 店長から手を離すと、大きな声で叫んだ。あたしは突然のことに耳を塞ぐ。

「それが、あなたの願いですか。ボクならその願いを叶えることが可能ですが、如何なさいますか?」

 服を直す店長に、男は、

「どういうことだ? おれにモテテクでも教えてやろうってことか?」

 と思い切り怖い顔をする。店長は涼しい顔を変えず、

「いえ。あなたの願いを直接叶えようと思うんです」

 と余裕の笑みを浮かばせる。

「なら、やってみろよ。おれの願いを叶えてくれよな! ただし、何も払わねえ」

「良いですよ。なら、心で念じてください」

 店長は男の挑発をものともず、真剣な目をし、指を鳴らした。

 その次の瞬間だった。勢いよくがじぇっとのドアが開いた。雑に鈴の音が鈍く響く。

 ドッと何人もの女性たちが入ってきた。そして、痩せこけた男に、

「好きなのよ。付き合って!」

 異口同音でそれぞれが愛の言葉を叫ぶ。

 男はしばらく呆然としていたようだったが、首を振ると、

「てめえらみたいな、ブオンナはあっちへ行け!」

 と怒号をあげた。

 しかし、女性たちはひるむ様子もなく、

「確かにわたしはブスよ。でも、愛の力でそれを乗り越えてみせるわ!」

 一人の女はそう言うと、他の女も口々に同意する。

 とうとう一人の女が、男にキスした。かなりディープなものだったから、あたしは目を背ける。

 やっとこさ女から離れた男は女に平手打ちすると、

「てめえ、おれのファーストキスを奪いやがって!」

 と鬼の形相で睨む。しかし、女たちは、何事もなかったかのように、次々にキスをしてく。気持ち悪くて吐き気がしそう。

 顔が口紅だらけになった男は、

「おい、店主、この状況をどうにか出来ないのか?」

 と怒鳴り散らす。

「モテて良かったですね……と言いたいところですが、それどころじゃあないようですね。ないことはないですよ。あなたはもう二回願いを叶えることが可能ですから」

 冷たく言い放つ店長の言葉に、

「なら、一刻も早くこの女たちを消してくれ!」

 と叫んだ。

「分かりました」

 店長は指を鳴らした。女たちは何事もなかったかのように去って行った。

「もう一回願いを叶えることが可能ですが、如何なさいますか?」

 店長の言葉に男は舌打ちすると、

「もういい。二度とこの店には来ねえ! 期待外れだったよ。あんなブスを呼びやがって」

 男はそう言葉を吐き捨て、がじぇっとのドアに手をかけた。

「あの、二点ほどお話ししたいことが」

 店長は男を呼び止める。

「なんだ? 金なら払わねえって言っただろ」

「それは願いの方ですよね? コーヒー代は別です。もう一点は、男性がモノでないように、女性もモノではありません。相手が自分の思い通りに動かないことに対して不満を持ってはいけませんよ」

 店長は薄らと笑むと、男に手を振った。男は、顔をタオルで拭くと、

「何分かった風に。悪魔め!」

 と言って、乱暴にドアを閉めた。結局コーヒー代、払わなかったな。

 店長はふうと溜息をつくと、

「コレをきっかけに非モテ根性を脱却すればいいのに。それにボクは神なのに」

 と呟いた。

 ★

 クリスマスイブ当日。「がじぇっと」の窓ごしに外を見ると、雪がチラホラ降っている。ホワイトクリスマスだ。

 大学は冬休みに入った。ってことでゆったりバイトに勤しむことができる……と思っていたのだけど、年末年始はしっかり休むと店長が言ったので、暇になった。働けないのはなんか残念に思う。正直、家にいたくない。がじぇっとにいたい。

 店長とまかないのホットサンドを食べているとき、

「そういえば、あのこの前の男の人、あの場の女性たちを消して、とは言ってましたが、結局モテたいっていう願いは叶えたままなんですよね……。何か面白いことが起きそうです」

 店長は意味深な言葉を言った。

 ★

 二日に弟と初詣に行った。

 弟がおみくじの筒を振っているとき、あたしはあるカップルが気になって、目で追いかけた。

 いつかの痩せこけた男性だ。満足そうな顔で女性といる。その女性は隣には振り向いてしまうほど美人な女性だ。一周回ってうらやましいと思うほど、イチャイチャしている。

「姉ちゃん、どうしたの」

 弟が訝しげにあたしを見る。

「ううん。なんでもないわ」

 あたしは挙動不審にごまかす。

 その刹那だった。

「てめえ、オレの女となんで一緒にいるんだ?」

 という怒鳴り声が聞こえてきた。

「なんだ?」

 弟は興味津々で怒鳴り声の方を見る。あたしもつられて見る。

 もりもりマッチョな筋肉質の男が件の痩せこけた男の胸ぐらを掴んでいた。金髪で悪趣味な装飾をしている。

「修羅場か?」

 ヤジ馬根性が生まれている弟をたしなめる。

 悪趣味な男は痩せこけた男になにかささやくと、首根っこを掴み、どこかへ消えていった。女性はオロオロしながら、それについて行った。

 ★

 ってことを年始の開店前に店長に話した。店長は、

「彼氏、恋人……そうじゃなくても、人を勲章扱いするからこんな目に遭うんだと思うんですよ。少しでも相手を尊重すれば、こんな目に遭わずに済んだのに。愛って難しいですよね」

 と今まで見たことのない、怖い片笑みを見せた。

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