現在と過去2

目覚めると見慣れない天井が目に入る。真っ白な壁、簡素なベッドに仕切られるカーテン、僕はここが病院の病室だということに気づく。

部屋の外では看護師と医師が医療器具について話している声が聞こえる。僕は生きていた。少し痛む脇腹に生を感じ、ぼんやりとしながら呟く。

「彼は見込み違いだったな」

この空虚感を満たしてくれると思ったのに、ますます強まっているのを感じる。このままでは嫌だ、焦らす様な脇腹の痛みを代償にして、何も手に入らないなんてあんまりだ。

そんな事を考えていると、部屋の外から男女と幼い子供が口論をしているのが聞こえる。その声は段々と近づき、僕の居る病室で静止し、部屋のドアをノックする。

「田嶋、担任の靖川宏だ。入ってもいいか」

聞き慣れた担任の声に僕は応答する。

「はい」

ドアを開けて入ってきたのは若い女性と担任で、おそらく今回の件の張本人は見当たらない。

「ほら恭志こっち来なさい」

女性が促すようにこちらへ呼び寄せる。するといじけたような面持ちで彼は病室へと入ってきた。

「うぅっ俺は悪くないってのに、靖川先生だって見てただろ。俺は刺してない、あいつが自分から刺されにきたんだ」

「カッターナイフを取り出したのはお前だろうが、まるで自分は悪くないなんて言うんじゃない」

「だってムカついたんだよ」

口をもごつかせながら言う恭志の気持ちは分かる。脅し程度の行為が、まさか傷害事件になるとは思わなかったのだろう。 自分が悪い事をしたとは思わないが、今回の事で彼の将来に影響があると考えたら何となく気が引ける。僕はベッドの中に潜っている自分の足を透視するように見つめ、口を開く。

「今回の件は僕が恭志君を挑発したのも要因になると思うので、被害届は出しません。示談金も請求しません。」

居合わせた人達が驚くなか僕は言葉を続ける

「その代わり病院の入院費用はそちら側に払ってもらいます。それで今回の件は忘れます。」

「いいのか田嶋」

「はい」

担任の言葉に返事をすると、恭志の母親は病室だということを忘れたように喜んだ。

「ありがとう!こんなバカ息子を許してくれて、ありがとう田嶋さん!」

顔の前で手を合わせてありがとうと連発する母親を見て、申し訳なさそうな面持ちをしている恭志と目が合う。

「なんだよ」

「ちょっとだけ君と2人きりになって話したい」

それを聞いた母親と担任は渋い顔をする。

「それは、、」

「少しでいいんです。大丈夫、恭志君は何もしませんよ」

僕は恭志を見ながら言った。

「ね?」

「…………」

「どうする村瀬」

「いいよ、ちょっとなら」

恭志の言葉を聞いた担任は、お母さん出ましょう、と言って恭志の母親を部屋の外へと促す。恭志の母親は部屋を出る直前に、絶対に変な事するんじゃないよ、と言って部屋を後にした。

数秒の沈黙の後に僕から彼に問う。

「どう思った?」

「えっ」

「僕を刺した瞬間にどんな事が頭をよぎった?」

恭志は僕の言葉を聞きながら茫然と立ち尽くす。僕は構わず話を続けた。

「知りたいんだ。人は誰かを傷つけるとどんな感情が生じるのか。教えてくれない」

かつての父親や養親の宗一を恭志と結びつける。彼らはーーーーを行った際どういった感情が生起したのかを僕は恭志を通して看取したかった。僕の話を黙って聞いていた恭志は何の揺らぎもなく口を開く。

「お前頭おかしい」

「…………」

恭志の声が段々と強まる。

「そんな事聞くなんて頭がおかしいようにしか思えねえ。クラスで成績が一番なんてやつは皆こんなに頭がおかしいのか、逆に俺が聞きたい」

恭志の言葉を吟味しながら静かに聞く。

「……可笑しいのは………きっと僕だけだね。僕はさ、純粋に知りたかっただけなんだよ。他人の言動に対してどのように感情が左右するのか。小学三年生の君には難しかったね」

「!!お前だって一緒だろうが!何学者然としてんだ!いいさ教えてやる。俺はお前を刺した時せいせいしたよ。まるで自分は特別みたいな態度ばっかとってるお前をな!」

「特別」

その言葉が引っかかった。僕が特別だって、何を言っているんだ。これを特別だと言うなら君たちは何なんだよ。この得体の知れない感情が何なのかは分からない。でもこれが恭志の言う「特別」では決してないことは理解できる。

「僕からしたら君の方が特別だよ」

「はあ?」

少し声を強めて言う。

「じゃあ君は実の父親に性的虐待を受けた事はあるの?母親もそれを止めないで、黙って我慢しろなんて言う母親を持っているの?」

「.........」

「僕に比べたら君たちのような普通の人間が羨ましくて仕方がない!」

つい口調を荒らげてしまい、まるで彼に説教をしているようになってしまい、僕は慌てて取り繕う。

「ご、ごめんなさい」

恭志は声を震わせていた。急激な振る舞いの変化に圧倒されて、身動き一つ取れなくなっている。

「いいよ、別に」

どうでも良さげにそう言って、ならと言葉を繋げる。

「もう一つだけ条件出していい」

「?」

僕は生きてきた中でこれでもかと言う程の満面の笑みで恭志に言った。

「僕と友達になって」

「.........分かった」

恭志は少し考えてから何の迷いもなく返事をした。

「宜しくね恭志君」

「よろしく」

7月中旬、病院の外からは蝉がその短命な一生を奮わせる様に鳴いている。

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