現在と過去
美希たま
現在と過去1
夕暮れ時の暖かい日差し、学校帰りの学生が家路へ急ぐ時間帯に、三人の家族が楽しそうに歩きながら会話をしている光景が見える。
「今日は何が食べたい?」
「肉じゃが!」
「えー、父さんはカレーがいいな」
「貴方、葵に言ってるの」
そんな微笑ましい会話をする家族。傍から見れば何の問題もないように思える幸せそう家族。
あれ、僕らはこんなに家族だったっけ、幼い子供の笑顔を見つめながら思う。嗚呼そうか、僕らはこんな家族だったんだね、すっかり忘れていたよ。父さんや母さんがお互いに信頼しているように見えて、何より僕が笑っている。そんな光景を見ているだけで幸福感に満たされる。いつまでも見ていたい光景、だが僕はもう少しで消えてしまう。この世界から現実へと連れ戻されてしまう。迎えに来た、僕のーーーーが。
目覚めて見慣れた天井にため息をつく。いったい何度続くのか、繰り返される夢のような光景、現実とは比例する幸せな世界。僕はその世界の住人にはなれない。
ベッドから降りて姿見で髪を少し整える。すみ色の髪やおっとりとした物静かな顔はしっかりと母から遺伝している。
「………」
鏡に吸い込まれそうになる。母を思い出していまい、思わぬことを言ってしまいそうになる。僕は俯き、目には涙が溜まっていないことを確認し部屋を出た。
街を行き交う人々はまるで濁流のように忙しなく流れる。
2021年9月1日
「昨日7時49分ごろに東京渋谷区のスクランブル交差点にて、原因不明の爆発が起きました。巻き込まれた通行人は数十人にのぼる模様です。警察は…………」
朝から物騒なニュースが流れているものだ。原因不明の爆発と聞くと不安に駆られるが、最近は珍しい出来事ではない。というのも、日本各地で多発しているからだ。原因不明の爆発、最近のニュースではそんなフレーズばかり流ているからさほど驚くこともない。だがしかし、今回の場合少し状況が違った。それは爆発が起きた箇所が東京だからだ。世界一安全と称してもおかしくはないこの街で類を見ない出来事に、早朝から端末の通知音が鳴り止まない。
「それじゃ行ってくるよ葵くん 」
前方から声がして、僕は端末から目を離した。
「今日は学校がお昼までだったよね。ちゃんと戸締りする様に、いいね。」
「分かりました。いってらっしゃい宗一さん」
宗一を僕は見送り、再び端末に目を遣った。朝っぱらから騒がしくて嫌になる。
「もう行かなきゃ」
僕は端末をポケットにしまう。テレビはまだ例の爆発について伝えていた。
「目撃者の証言によると、爆発が起きる直前に……」
アナウンサーが淡々と原稿用紙を読み上げている途中で僕はテレビを消し、玄関へと向かった。
「どうでもいい」
誰の耳にも入らない小さな声で僕は呟き、玄関のドアを開けた。
「それでは始業式を始めます、礼。えー生徒の皆さん夏休みは……」
我が校、清徳学園高等学校の校長が、いつにも増して張り切って演説する理由は分かりきっている。
「……です。えーそこで皆さんも知っているとは思いますが、えーそうです。例の事件。世界一セキュリティが厳重と言われているこの東京が、このようなテロまがいのイタズラに屈するわけにはいきません……」
事件やらテロやらまだ明確な情報が出ているわけじゃないのに、この校長はこんなにも大勢の前で自論を展開している。こんな事じゃかえって生徒を不安にさせるだけじゃないか。
「なー、なー葵」
心の中で校長に対して毒づいていると、列の一つ後ろから囁き声が聞こえてきた。
「なー今日空いてるよな。ゲーセン行こうぜゲーセン!」
「恭志静かにしろよ。今その話をする必要はないだろ」
「いいや!大いにある!俺って直ぐに忘れるだろ。だから思いついた今言っとかなきゃ」
「僕との交友関係も、その頭から忘却してくれればいい」
「おいおい!なかなか酷いこと言ってくれるねえ」
「ちょっとそこの二人、校長先生が話してらっしゃるでしょう。静かにしなさいよ」
ほら。静かにしろって言ったのに、お前はいつも落ち着きがない。まあ、あれは言い過ぎだったけど。
でも恭志には僕への借りというか、ある意味逆らえない事情があるんだけど。
七年前の夏、どんなに勇猛果敢な人間でも一生のトラウマになりかねない事件。事件と言ってもけして大事になった訳ではないが、彼のせいで僕は人間不信になりかけた。
僕は過去を思い出す。
恭志は7年前に問題を起こした。同級生の給食の中にホッチキスの針が入っていた。その犯人を恭志が疑われた。実際やってはいないが、彼の言動には疑われてもしょうがない事実があった。その同級生の事を虐めていたのだ。恭志一人ではないが、彼がリーダー格となって虐めは行われていた。机の落書き、物を隠すなどの典型的な虐めや、皆の前で辱める、彼女は軽度の知的障がい者だった。言葉を覚える事が苦手だった彼女を彼らはからかい、それがエスカレートし彼女を侮蔑し惨い事を言った。
「俺じゃない!!」
「お前しかいないんだよ。和夫達がお前がやってたって言ったんだ」
「ホントに俺じぁねえんだよ!」
「嘘はよせ、認めてちゃんと彼女に謝れば親は呼んだりしない。怪我はしてないんだからな」
「なんで俺が謝らなきゃなんねえんだよ。俺は絶対に謝らないぞ」
「いい加減にしろ恭志!」
恭志と担任の口論をクラスメイトが静かに聞いていた。ホッチキスの針を入れられた彼女は友達の女の子に付き添われている。彼女はしくしくと泣いていた。緊迫とした空気に包まれ、皆が硬直にしている中、ぼくは呟く。
「こういうのがいるから世界は悲惨なんだね」
「ああ、お前今なんて言った」
「悲惨だって言ったんだよ」
「お前転校生のくせに生意気なんだよ。そのスカした面ぐちゃぐちゃにしてやんぞ」
「……」
僕は彼を見つめる。可哀想な人だ、僕と同じでーーーーーーだから。
「その目ムカつくなあ」
そう言った彼は筆箱の中からカッターナイフを取り出し、勢いよく僕に刃を向ける。
「……!?よせ恭志やめろ!」
担任の制止を無視し何の迷いもなくこちらに向かってくる。
机にぶつかりながらも向かってくる彼に、これから起こることへの期待と彼への同情でいっぱいになる。可哀想だ。
いよいよかと思った瞬間に彼は僕から一歩引いてカッターナイフを自分の方へ寄せた。あ、脅しか、僕は興醒めした。彼の行動によって何かが変わると思ったのに、彼は最後の最後で中断したのだ。だから行った。自分から行ってやった。
「あ、ぐっ、、ぅ、、」
彼の肩を掴み引き寄せる。カッターナイフは僕の脇腹に刺さった。
「はっ、、?」
「イヤーーー!」
同級生の女子が甲高い悲鳴をあげる、その場が一瞬で騒然となり、担任が慌てて彼と僕を引き剥がす。
「大変だ。救急車を呼ばないと、後それと親御さんに電話、村瀬お前は待合室に行け」
「ああ、はい」
彼の声は震えていて、本気で刺すわけじゃなかったんだと再認知した。ぽたぽたと体育館シューズに血が落ちて、刺されたんだと思い知る。痛かった。それとは比例して感情は冷静だった。変わりない感情にがっかりした僕はそれでも後悔の念はなかった。だけど激痛に耐えられなくて僕はカッターナイフが刺さったまま倒れ込む。
「大丈夫か!おいしっかりしろ!」
担任の声がだんだん遠くなっていくのが分かる。このまま死ぬのかなと他人事のように考えながら、僕の意識は途絶えた。
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