第2話

 春に刻まれたのは印。

 僕の側に吹く風は桜の香りを彩る。

 鮮やかな青い空と薄く広がる白い雲は、空の有限さを示す。

 輝く太陽と桜の花。

 舞い散るのは桜の花びら。


 その年、俺は東京の私立大学に入学した。文系の単科大学で文学部に入った。

 入学当初話しかけることができずにわりに友達のいない期間を過ごした。いろいろわけあってサークルにも興味がもてないくらい鬱屈していた。

 誰か俺の顔コンプレックスを解除してくれ。呪縛を解いて自由にしてくれ。

 容姿で異性が決まる。俺はいっつも顔ばかり気にしていた。顔で異性が決まるのだ。テレビに出たい。顔を肯定してほしい。

 中学時代に植え付けられた「きもい」という悪口やあいつのいじめは俺をどん底まで引き釣り下した。

 俺だって誰かにコンプレックスを植え付けてまわったのは自分のコンプレックスのせいだった。

 まさかあいつがみたいなやつがコンプレックスを抱え込んでいる。

 顔の比重は馬鹿でかくおそらく50年前も同じかもしれない。とにかくテレビやら雑誌やらで同じような顔がもてはやされた。

 どうにも俺の顔はそいつらとかみ合わずに苦労する。

―どうにかしてくれ。

 ふいに俺は夢を見た。

 俺は真っ白な壁の美術館を訪れた。

 そこには俺の肖像写真が幾枚も張られていた。どれもこれも容姿端麗に見えた。

 奥の部屋には映写室になっていて、俺の映像がたんたんと映されていた。

 どのシーンもいいわけではないが、時折俺は寒気がした。

 気に入らない動作があったのだ。

 顔に仕草に体格に完璧を求めた。

 ふと気づくと初回の文学Ⅰの授業が終わっていた。俺はすごすごと講義室を後にした。

 大空の中をとんびが飛んでいた。

 俺は何気なく宙を舞うあの鳥を眺めていた。

 時間よ巻き戻れ。中学時代の俺に。

 と心の中で言っても巻き戻ることはない。永遠に時間は先へと進んでいく。

 次の授業で俺は基礎科目の英語を受けていた。外人の先生がいろいろと教えてくれるが退屈だった。

 魔法が使えたらこの教室にいる女どもにもかっこつけられるのに。

 そういうが早くか、俺は夢の中に舞い戻る。


 流星がきらめく空をぼんやりと眺める。あまりの美しさに俺はその絶景を眺め続けた。光り輝くそれはいったい何か。

 青い光だった。空と交錯する流れ星だった。

 小屋の中に戻ると一人のかわいらしい真面目そうな女の子がいた。

「さっきの流星は」

 唐突に女の子は言った。

「あなたが降らせた」

「は?」俺は訊ねる。

「だから」

「さっきの流星は」

「あなたのもの」

 俺はなんのことかわからずにぼんやりとテーブルに着く。そして何かすることを探した。

 金色のストーブの中に薪が燃えていた。何かをするのも億劫だった。唯一できることと言えば目の前の女を手に入れることだ。

「俺とお前はいったいどういう関係だ?」

「婚約者」短くそう言い捨てる。

 俺は狩りにでかけた。目の前を水牛の群れがかけぬける。俺は大地から水牛めがけて矢を放った。

 矢に魔法をかける。

 六芒星の光が矢の周りを帯び、水牛の頭へと突き刺さった。

 俺は片手を目の前に伸ばして、手の平をかざす。

 矢から出た魔法によって水牛が真っ黒に燃える。

 俺は群れの過ぎ去った後の一頭の水牛をその場で解体して、家へ持ち帰った。

 水牛のステーキを二人で食べた。

「ゆみ」と俺は言った。

「ん?」

「結婚しよう」


 俺は夢から覚めた。英語の講義はちょうど終わったところだった。ただ退屈に時間は過ぎていく。俺の目にはただぼんやりとした周りの視界が映っているだけだ。所詮この人生も人間でしかない。

 動物であり自我を持ち意識をしているだけに過ぎない。ただ周りに映る外界と楽しみを求めて俺は行動していた。

「死ぬのが怖いか?」

 ふいに耳元で声が聞こえた。俺は怖くなったが心の中で

―怖くない

と返事をした。

 声は消え去った。おおよそ恐怖が行動を抑制するのだろう。極論人間の行動も文化によって抑制されている。遥か昔なら暴力も個体間では当然のことだったのかもしれない。

 さすが社会的動物だ。

 ただ俺はセックスがしたかった。周りにいる女どもを無意識に追いかけている。

 ただ周りの人間たちに迷惑をかけていないか心配だ。

 

「闇よ消え去れ」

 と声が聞こえた。

 僕はふいにガラス張りの部屋の中に押し込まれた。

―いったいここはどこなんだ?

 俺はガラスの部屋に閉じ込められた。

「もうお前の役目は終わりだ」

 そう遠くから声がした。

「これはいったい」

 と僕は言う。

 僕の姿が前の方に映し出された。

「これがお前の姿だ」

 俺はただ茫然と眺めていた。


 また夢から覚める。家でウイスキーを飲んでいた。一日に何度も夢の中へと舞い戻る。極限まで自分の顔を意識している。そして自分の行動が恥ずかしくないか怯えている。

 確かに俺は自信がない。ただ言葉が自分を苛み続ける。

 コンプレックスは小学生の頃のビデオだろうか。中学の悪口だろうか。中学のビデオだろうか。

 かっこつける。恥ずかしくなる。

 難しいのはそこだ。

 適当に理由をつければ逃れられるのかもしれない。

 自意識が僕を苛み続ける。

 かっこつけることが自分のすべてではないか。

 実際異性などある程度見た目で決まってしまう。

 コンプレックスを抱えた僕になすすべはなかった。

 動けない。欲が出せない。

 本当は女に話しかけたい。

 顔面コンプレックスで性格が変わる。

 明るかった俺は自殺したい暗い人間へと変わった。

 自己認識だろう。

 仮にもし俺に性格が悪いというレッテルを張り付けたら暴力的になる。

 顔が悪いと暗く内向的になる。

 性格が悪いと外向的に暴力的になる。

 顔と性格がいいと人に優しくなる。

 まさか周りの人間もか。

 妄想をなぜ俺はしているのか。もしかしたら自己認識のためなのかもしれない。

 どこか遠くへ行きたいのも自己認識を向上させるためではないか。

 それとも妄想をするのも娯楽を見るのも欲求を増強させるのかもしれない。


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