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誰も使っていない会議室で、私は先輩がくれたアイスコーヒーに口をつけていた。先輩はあの後体育館と職員室を往復し、私たち二人なしでも活動が進行するよう強引に話をつけてきたようだ。
私たちは隣り合って座った。遠くでかすかに、授業する先生たちの声が聞こえている。
「京子ちゃんは何も悪くないの。悪いのは、四年三組なの」
「どういうことですか」
「四年三組は呪われてる」
「呪われてる……」
非現実的な言葉に、うまく思考が回らない。だが泉美先輩の顔つきは痛みに耐えているかのように深刻だった。
「これは全部、私が聞いた話だけど」
と前置きして、彼女の話が始まった。
十年前、当時の四年三組の担任――名前は知らないから仮にAとするけど――Aは四十過ぎの男で、教員経験は浅くないけれど、熱意には欠けていた。何かと理由をつけて仕事を避けたり、杜撰なクラス運営をするので評判が悪かったそうよ。
Aのクラスには、Sという少女がいた。彼女は友達は少ないけれど、大人びて賢い子だった。彼女は安易に集団に交わらなかったので、クラスの一部の女子から執拗ないじめを受けるようになっていった。
「生意気でむかつく」
「空気読めない」
「性格悪い」
「雰囲気壊れる」
当時の先生方の見立てでは、彼女に非はほとんどなかったそうよ。きっといじめる相手なんて誰でもよかったんでしょう。退屈と日常への不満が捌け口を求めた結果、そうなってしまっただけ。
その状況にAは気づいていた。けれど何もしなかった。
Sが助けを求めてきたこともあったけれど、Sに問題があるんじゃないかと言いくるめて退けた。
対処が面倒だったからという理由のほかに、クラスで誰か虐げられる者を作るなら彼女が最も都合がよかったと、彼が酒の席で漏らしたそうよ。Sは大人びていて打たれ強いし、自分に責がないこともわかっているから大きな騒ぎになることもないだろうと。
そんな状況が半年続いて、季節が秋になる頃。
放課後、Sが一人で歩いて下校していると、彼女をいじめていたクラスメイトの女子三人がついてきて彼女をからかい始めた。Sのそっけない反応に苛立った三人は、近くの藪に彼女を連れ込んだ。
藪の奥には焼却炉があった。エスカレートする三人のいじめに、Sはそこで初めて激しく抵抗した。三人も引っ込みがつかなくなって反撃し、力加減を誤った一人がSを小屋の壁に激しく叩きつけてしまい、Sは頭を打って気を失ってしまう。
三人はあわてふためき、Sを殺してしまったと思い込み、『死体』の隠蔽を考えた。焼却炉は当時使われていて、扉は開いていた。
燃やしてしまえば残らない。
そう考えた彼女らはSを小屋へ運び込み、炉へ放り込んで蓋を閉め焼却炉を稼働させると、一目散に家に帰った。
当日の夜、戸締りを確認していた警備員が、炉が動いているのを発見した。炉の蓋を開けると、中には黒く爛れた塊があった……。
検死によれば、炉に入れられたときにはまだ息があったそうよ。
死体発見の後、罪の意識に耐えられなくなった三人はAに事実を告白した。けれどAは三人に黙っているよう言った。きっと自分の首が飛ぶのを恐れたんでしょう。事件は不幸な事故として処理され、焼却炉は閉鎖された。
それからよ。呪いが始まったのは。
まず事件から一週間が経ったころ、事件にかかわった三人の女子が、体育の時間に出るために教室から出て、下足を履き替えて校庭に出てから行方がわからなくなったわ。下足箱には内履きがあって外履きがなかったから、移動する多くの児童に混ざって玄関から出たと思われるけれど、その後三人とも校庭に現れず、警察が捜索してもついに見つからなかった。焼却炉も調べられたけれど、使った形跡はなく、鍵も開けられていなかった。
ただ多くの人が、煙突から煙が出ているのを目にしていたそうよ。
そしてその翌日。Aはその日の授業に出た後、予定されていた放課後の職員会議に顔を出さなかった。駐車場に彼の車がなかったから忘れて帰ったのかと思われたけれど、彼の席には出勤時に持ってきた鞄がそのままで、携帯電話も財布もその中にあったそうよ。家に帰った形跡もなく連絡もつかないまま、その日の夜、隣の県境の山間で、彼の車が発見された。
運転席には黒く焼け焦げた彼の死体があった。車には目立った傷もなく、火元となるものもなく、車は内側から鍵がかけられて窓も閉まっていた。ダッシュボードの上には車内のメモパッドから千切られた数十枚のメモがあって、そこにはいじめに加担した三人から聞いた事件の一部始終が乱れた字で綴られていた。その最後には、
「追われている 俺は悪くない」
と書かれていたそうよ。
それから、この学校の四年三組はおかしくなった。
事件の後半年間は代理の講師が担任をして勤め切ったけれど、ひきつった顔で「四十一人いる」と言い続け、もう嫌だと言い残して辞めていった。翌年の担任は任期途中で失踪。その翌年の担任も精神を壊して任期中に退職。翌年は自宅で首を吊っての自殺……。クラスから二、三人、児童が消える年もあったわ。
「三組」というクラスに問題があるのかと呼び方を変えたり強引に二つクラスに分けたときもあったけれど無駄だった。
このクラスの担任は、異常の予兆として必ず、使わなくなった焼却炉から出る煙を見るそうよ……。
「私の知っていることは、これで全部」
長い話が終わった。怒り、悲しみ、怖れ、いろんなものがないまぜになった感情が私を揺さぶった。
「今の職員にはみんなこの話が知れ渡っているから、誰も四年三組の担任にはなりたがらない。だから新任のあなたが選ばれたの。あなたに仕事を振るのを避けたのは、あなたの身に何かあったときのことを考えてよ」
そうだ。誰しも死ぬかどこかへ行ってしまう可能性が高い人に熱心に仕事を教えたくないだろうし、そもそも深く関わりたくないだろう。
「本当にごめんなさい。何度も言おうとしたけど言えなかったの。実際に何かが起きてからでないと信じてもらえないだろうし、信じてもらえたところで、悪い方向にしか行かないと思ったから……」
「先輩のせいじゃ、ありません」
「ありがとう……」
そう言って、先輩が涙ぐむ。回らぬ頭で、私もAのように、そろそろ死ぬのかと考える。世界と私の間に半透明な皮ができたような朧気な感覚の中で、ひとつの疑問が沸いた。
先輩が時計を見上げて立ち上がる。じきに授業が終わる時間だ。さすがにこれ以上クラスを放っておくわけにはいかない。最後に私は先輩に訊いた。
「Sが死んでから学校がやったことは、焼却炉の閉鎖と、クラス割りの変更。それだけですか」
「ええ。私が聞く限りは」
電気を消して先輩は扉へと向かうと、ゆっくりと振り返った。潤んだ目に深い憂いが見えた。
「京子ちゃん」
「はい」
「あなたは、いなくならないでね」
私は小さく頷いて精一杯笑おうとしたけれど、うまくできたかどうかは自信がなかった。
体育館に合流し、子どもたちを教室へ向かう指示を出した後、体育倉庫の鍵を事務室へ返しに向かった。鍵箱を開けると、「焼却炉」と書いてあったシールが剥がされ、吊ってあった鍵もなくなっていることに気づいた。私がこの鍵の存在を知ったことがわかって、事務職員の誰かが隠したのだろう。
私は素知らぬ顔で鍵を返し、事務室を後にした。教室に戻り、この週末の過ごし方をクラスに伝えて帰りの会を終えると職員室へ戻って日直名簿を確認した。明日名前の入っている先生に適当な理由を言い、日直を代わってもらった。
翌日の土曜日、朝学校に来ると、事務室へと入った。
休日は事務職員が非番なため、日直にあたった教員が一人、事務室にいる決まりになっている。私は事務室中の抽斗やロッカーを開けてまわり、事務主任の机の一番上の抽斗に目当てのものを発見した。
小さく錆びた鍵を片手に、私は事務室を後にした。
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